薄毛の悩み

中学時代から僕自身、薄毛で悩んでおり、それが理由になっていじめられたりもした。
年齢を重ね、現在もはげてはいないものの、髪が薄いことには変わりはない。

 

髪を洗わないと、またはシャンプーの使用をひかえると毛髪が増えるという研究があるらしい。

 

www.eyasu2008.com

 

・シャンプーには身体に有害な界面活性剤が大量に含まれている

・シャンプーは本来必要な皮脂まで洗い落とし過ぎてしまう

・皮脂が不足すると皮脂線が発達し、髪の毛まで栄養が供給されない

・水だけで頭皮の汚れは洗い流せるためシャンプーは必要ない

・身体は本来自浄作用を持っている

・化学物質が赤みやかゆみの原因になる

・髪の毛が栄養失調で細い猫毛になる

 

ということらしい。

 

実際、作家の五木寛之氏などは殆ど髪を洗わないことで有名であり、それでも毛髪はフサフサだ。

 

bookstand.webdoku.jp

 

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タレントの中村アン氏も、あのつややかな髪の毛は、あまり髪の毛を洗わない事であると取材で明かしたようだ。

 

僕も試しにシャンプーをせずにいたことがあるが、髪がかゆくてたまらない。

それに、常に脂ぎっていて、それをツヤと呼べるのかどうかも疑問だった。

 

僕より丹念に実験した上記の方にしても、結果やめてしまったようだ。

 

www.eyasu2008.com

 

また、中村アン氏も、週三回の洗髪について弁解する記事があり、常に洗っていないわけでもなく、週に三回しか洗髪しない、という訳でも無い様だ。

 

www.oricon.co.jp

 

 

とはいえ、五木寛之氏のような例もあるし、また、作家の「村上龍氏も髪を洗うのが嫌い」とTVで答えていて、それでもあの毛髪量だから、実際のところはどうなのかやはり定かではない。

 

最近、自分自身の3年ほど前の写真を発見し、髪の毛を見たのだがやはり当時も薄いが、今も薄くて、別段、増えている気配もなく減っている気配も無い。

 

つまり、常に薄い。

 

数十年そうだったのだから、恐らくここから劇的に増えることはないだろうが、減っている訳でもないことは間違いないのでそれはそれで良しと自分を納得させた。

 

この手の髪の話でいつも羨ましいと感じるのは、イタリアといった、ラテン系の人たちだ。

 

彼等ははげていても顔のつくりが我々日本人と全く違うのでやはりカッコいいし、それは男性ホルモンが強い証ということで女性からもセクシーにうつるようだ。(全ての女性に聞いたわけではないのでわかりませんが)

 

日本人がはげてしまうと、カッコ悪いということもないだろうが、竹中直人氏や、高橋克己氏といった著名人が目に浮かび、セクシーというと、ちょっと何とも言えない。

 

渡辺謙氏くらいになると、セクシーだしカッコいい。

 

だが誰もがあのレベルにはなれない。

 

薄毛で、体躯もそこまでで、身長も小さめな短足の日本男児はどうしていいのか分からない。

宗教映画を二種類観た

一つは前にも書いたが、宗教をコメディとして描いたインド映画のPK(ピーケイ)。

 

pk-movie.jp

 

 

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DVDの表紙だけだと五流のサッカーコメディ映画にみえるが、実際には宗教にかなりつっ込んだ内容であり、爆弾テロのシーンも描かれ、そういった意味ではタブーにも挑戦した良作である。

 

キリスト教イスラム教、ヒンドゥー教と様々な宗教が登場し、それぞれの戒律を守るが故にその行動に矛盾が生ずる主人公の姿がコミカルに映し出されるが、主人公のピーケイ演じる、アーミル・カーン自身ムスリムのようだ。

 

2時間以上の長編映画ながら、物語の構成と、結末へ結びつける伏線は見事で、宗教とコメディと宇宙人という、極めて関連性の低い、かつ描きにくいテーマを、これほど分かりやすくシンプルに、また感動的に描いたものもない。

 

こういう映画は難しく考えず、頭を空にして鑑賞するに限る。

 

シンプルではあるが、無論、主人公演じるアーミル・カーン含め出演者の演技力も相当なモノであり、素晴らしい作品である。

 

 


もう一つは、沈黙。

 

日本の作家である、遠藤周作の "沈黙" が原作となっており、マーティン・スコセッシ監督が指揮をとった、1600年代、江戸時代初期の日本を描いたアメリカの作品である。

 

chinmoku.jp

 

movies.yahoo.co.jp

 

 

キリシタン禁制における当時の幕府の弾圧、日本人信徒に向けられる残酷で陰湿な拷問シーンはショッキングであり、それに対して<神の沈黙>を見事に描いたもの。

 

ピーケイに比べて沈黙は全体的に重苦しく、トーンもかなり低い。

 

教科書で習った "踏み絵" を実際に再現するシーン、十字架に唾吹きかけるように迫るシーン等は観ている無宗教の僕としても、神を冒涜するような行為を迫られているようで胸を掴まれる思いだった。

 

日本人の大多数は宗教を持たない国民とされていて(イスラム圏やキリスト教圏と比べてですが)、沈黙では、大昔から日本人が仏教の影響を色濃く受けていることや、
そして自然の中に神々を見出す "八百万の神" という言葉が持つ意味を丁寧に描いたところは見事であり、原作には忠実に沿っていないなどといった批判もあるようだが
アメリカ映画でありながら、日本人俳優の演技力の高さは群を抜くものがある。

 

浅野忠信窪塚洋介はもちろんのこと、個人的にはイッセー尾形の演技が見事だったと思う。


内容については詳しく記さないが、上記の二つの映画では "宗教" と "信じる" こと、そして "神の存在" について描かれている点が共通していて、ピーケイでは神の存在を否定することはないものの、沈黙は少なからず神を否定する、神の存在を疑わせるシーンがあり、取り扱っているテーマが同様であってもここまで異なる作風となることに驚かされる。


テレビ含む映像の世界の競争は年々大変なもので、DVDもいまや新作が出てもなかなか購入層が広がらず、レンタル市場も厳しさを増しているが、それでも映画の持つ潜在的な役割は大きい。

 

映画でないと描けない、問題提起が出来ないテーマもある。

 

この二つの映画はとにかく見事だった。

両方とも俳優が素晴らしい。

夜の時間の過ごし方に困ることがある

趣味があれば夜の時間を過ごすには困らない。


まず僕は酒をやらない。


ギャンブルもやらないし、任天堂のゲームやスマホのアプリ等に興じることもない。


女は買うこともあるが、年のうちで数えられる程度。

趣味と呼べるほどでもない。


趣味=風俗


というのもおかしいが。


マラソンを週に五日程度こなすが、好きでもないしきついだけだ、進んでやりたいものではない。


以前、年輩のビジネスマンと話をしたとき、「君は酒をやるのかね?」と質問され、いえ飲みません、と答えると、夜の時間はどう過ごすのかと問われ、答えに窮したことがあった。


そのビジネスマンも酒をやらないようで、「夜の時間の過ごし方に困るんだよなあ」と話していたが。


考えてみると、僕にはこれといった趣味がない。


本は読むが読書家というほどでもないし、集中力が1時間と持たない。


以前は、というか今も時間の許す限り映画を観るが、100分以上の作品を鑑賞する時はそれなりに覚悟がいる。

頭をシャキッとしていないと、日頃の疲れが出て寝てしまうのだ。


上述のビジネスマンからの質問のように、よく休日や空いている時間に何をしているか聞かれるのだが、僕も逆に聞き返すことも多い。


ゴルフ

ゲーム

スポーツ

飲み会

子供


人それぞれだが、返ってきた答えは主にこんなところだ。


一方で、プラモデル製作や裁縫といったインドア的なものから、サイクリングや舞踊といったアクティブな趣味に興じる者もいる。


そうした人たちは仕事に重きをおかないし、仕事のための自己研鑽など皆無。


それが良いとか悪いとかの話ではなく、彼等にとってはもはや趣味の領域を越えているのだろう。


趣味とは一人で時間を潰すことができるもの


そんな台詞をどこかで目にしたが、これだけ多様な人生が歩める時代、趣味は無いよりもあった方が良いと個人的には思う。


趣味=仕事


みたいな、価値観をごり押しする世代が僕の上には多いが、定年してやることがない人々もいるなか、その価値観が完全ではないことも白日のもとにさらされた。



仕事人間がいけないというのではなく、それ以外の、何か打ち込める対象があった方がより有益に時間が過ごせる。


対象は多ければ多いほどいい。


何らかの理由で、例えば加齢による体力の衰えでスポーツに打ち込めなくなると、何もなくなってしまう。


人生は短いけど、思っているよりも長い。


無駄なことをする時間は結構あるし、僕自身、時間管理をきっちりして物事を効率よくこなしたところで、空いた時間になにもすることがないことも多い。


だからこんなショウもないblogを毎日更新する時間もある。

カフェイン中毒が問題になっているようだ

www.nhk.or.jp

 

 

長時間労働に耐えるためにカフェイン含むエナジードリンクを多飲したり、錠剤にまで手を出す若者もいる。


「最初は一本のエナジードリンクから」


中毒になるまで摂取したり、依存してしまう若者の殆どが、軽い気持ちでエナジードリンクを飲み始めたことがきっかけらしい。


カフェイン等はアッパー系のものとして位置づけられており、覚醒剤等のドラッグに比較して、気分が高揚するような興奮作用はかなり小さい。


だが近年、エナジードリンクにも様々な原材料が含まれるようになり、より長く、そして強く興奮作用が働くようになった。


具体的には、「Lアルギニン」という物質。


ネットで検索しても信用できる機関の公式的な作用に関する記載は見つけられなかったが、精力剤のような要素も持つといった記述が幾つかあった。


僕が好んで飲むエナジードリンクには、更に高麗人参エキスまで投入されている。


まるで精力剤のようだが、別段、身体へ異常があるわけではなく、それを飲んだからといって勃起する訳でもない。


とはいえ、心拍数が上がってきつくなることはあって、それに、常用している人が言うほどに、気分の高揚や疲れに対する耐性みたいなものも感じられない。


つまり、僕としては飲んだところで殆ど変化は無いのだが、それは本数が1、2本程度だからなのだろうか。


問題は、多量にカフェインを摂取することで急に体調に異変をきたし、そのまま亡くなってしまうケースだ。


そういった危険性をはらんでいる飲み物を、抵抗感無しに常用する人間が増え、また、マーケットについても年々上昇傾向にあるために各メーカーもこぞって製品化にこぎつける現状だが、製造元の問題なのか、「過剰に摂取しなければやっていけない社会」と多量摂取する若者が問題なのか。


個人的によく飲むエナジードリンクのモンスターの裏にある商品のコピー文を読んでみると、ある特定層にターゲットを絞ってメッセージを送っているのがわかる。



何事においても満たされないやつらがいる。monsterアスリートの連中やmonsterガールもそんなやつらだからこそ、新商品開発のヒントをくれたのさ。
スッキリとした味わい、甘さ控えめ、それでいてエナジーブレンドをフルにミックス。
白ラベルがmonsterの新しいトレンドだ。
ようやく作り上げたこのmonster energy ultra で新たな野生を解き放て!
unleash the ultra beast



または、



ついにゼロカロリーmonsterが完成した。
これはただの炭酸飲料ではない。
monsterのmを名乗る、ゼロカロリー、ゼロシュガーへの道のりは険しかった。
エナジーブレンドの改良、斬新な甘さ、何百回ものフレーバーテストを繰り返し、ついにmonsterが求めていた味わいが完成した。

monster absoltely zero 

は、仕事に遊びに必要なエナジーをふんだんにミックス。
要するに、ヤバイ…。
ゼロカロリー、ゼロシュガー、湧き上がゾクゾク感…。


absolutely guaranteed!


金がなくて、若くて、仕事もそれ以外にも満足しておらず、有り余る時間を時給に変えるような人々、あるいはスポーツに打ち込むプロ以外の人間だ。


こうした文面は知らないうちに脳裏にするりと入り込み、次第に体内を侵食する。


エナジードリンクを飲んで元気いっぱいな老人、というのはちょっとイメージがつかないし、金持ちならその有り余る金銭で高級な純度の高い麻薬に手を出すだろう。


そこへいくとエナジードリンクは、お洒落に音楽を聴きながらグビッとやる、価格も煙草の半額以下で多少の高揚感も得られる。


そういう宣伝イメージには成功しているだろう、酒を飲む若者が減ったことと関係性もあるはずだ。


こうした流れが、潜在的なドラッグ顧客に繋がる可能性もはらんでいる点はいなめない。


アメリカでは、貧困層のダブルワークが常識になっており、それに耐えうるために多くのマリファナを常用し、それがドラマになるくらい社会問題となっている。


上記のNHKの放送でも、日本の若者にそうした一面が見られるが、人手不足で賃金も少しずつだが上げざるを得ない状況においてこの傾向が見られるのは疑問だ。


何か他の要因があるのかもしれないし、思っているよりも雇用環境の改善は進んでいない可能性もある。



僕はエナジードリンクを多飲したり、カフェイン錠剤を摂取しているわけではないが、やはり薬物への入り口のような気がして飲むのを躊躇ってしまうようになった。

まだ生きてたの?早く死ねば

僕が中学校時代にいじめに遭っていた時に、いじめっ子から言われた言葉だ。

 

記憶は定かではないが、小学校高学年くらいから、もう既に言われていたかもしれない。

 

似たような言葉を大人になってから耳にした、それも最近のこと。

 

 

www.hochi.co.jp

 

 

ご存じ、豊田真由子議員が秘書に浴びせた罵声である。

 

大人の世界にもいじめはもちろんあるし、小学生、中学生、あるいは高校生に負けず劣らずの凄惨なやり方。

 

意図的に、狡猾な方法で精神的に追い詰め、心を破壊し、時には仕事まで奪う。

 

大人の世界にいじめがあるのに、子供の世界で無くなるわけがない。

子供は大人を見ているし真似する、だから10代のいじめは陰湿なのだ。

 

 

一方、小学生時代や中学くらいだと、いじめっ子の立場が逆転して、希にいじめられる側になることもある。

 

いじめられていた側にしてみれば下剋上のチャンスが訪れるわけだが、あるとき、僕も小学生のいじめっ子がついに他の同級生との喧嘩に負け、復讐する絶好の機会にみまわれた。

 

僕を含め多くの、泣かされていた輩が弱々しい拳を握りしめ、そのタイミングを今か今かと待ちわびていたが、そのいじめっ子の兄貴の登場でせっかくの機会は幕を閉じる結果に。

 

 

我々同級生の前に、中学2年生のいじめっ子の兄貴が出てきて、

 

「いじめるな」

 

その鶴の一声で終わったのだ。

 

小学生時代の中学2年といえば、大人の一歩手前であり、体の大きさから不良への顔のきき具合といい、全てが異次元。

その兄貴自身も不良グループで一目置かれていた。

 

小学生も、チンピラみたいな、ちょっと悪さをしてみたい、そんなグループもあったものの、中学生を敵にまわせるはずがなく、この騒動は雲散霧消となった。

 

だが、数ヵ月もすると、そのいじめっ子はまた、とりわけ僕のような弱い立場の人間には大きい顔をするようになった。

 

都合悪いことはケツまくって逃げて、自分がしたことに責任をとらない。

今でも思い出すと腹が立つし、許せないところもあるが、この手の、面の皮の厚さみたいな点は豊田真由子議員とも共通している。

 

 

彼女は数ヵ月の間行方をくらまして公に姿を見せることは無かったし、雑誌の取材には「(暴言を吐いた)事実はない」と否定。

 

かと思いきや先日、眉毛の角度を変えてまで謝罪会見をひらき、徹底的にレクチャーを受けたのか、単なる開き直りなのか居直りなのかは分からないが、笑顔を見せつつ記者からの質問にこたえた。

 

「死んだ方がマシ」

 

発言もあったが、議員辞職をせずに生きることにしたようだ。

それ自体は良いことだ、死んではいけない。

 

法的には辞めさせられないのが現状だし、当事者以外に謝罪する必要はないかもしれないが、豊田議員を取り巻く周りの目だけは変わったが、彼女の経済的な面含めたところに関しては殆ど変わりが無い点についてはモヤモヤとした気持ちが残る。

 

普通の人間ならば耐えられずに辞職する。

 

政治家だから心臓に毛が生えているのか、そういう人間だからどんな状況にもびくともしないのか。

それは分からないが、政治家に必要な要素が面の皮の千枚張りなのであれば、冒頭のいじめっ子も充分に素質はある。

 

とはいえ今回の騒動は事件性も帯びているので、刑事問題になれば彼女も何らかの制裁を受ける事にはなるだろう。

 

いじめについても、今や傷害事件、殺人事件としてちゃんと捜査がされる時代にはなっているので、少なくとも僕の時代よりは良くなっている。

 

いずれにしろ、自分以外の人間に、いとも簡単に死ねば、とか、生きている価値ない、とか、本人を前にして平気で言えるのは、僕の中ではいじめっ子と豊田議員くらいだ。

月に5冊本を読むという習慣を身に付けた

本を読むのは好きな方で、社会人になっても読書をする時間はとっていて、月に5冊以上と決めている。

 

その理由はくだらないもので、恐らく日銀の元総裁だったと思うが、とある雑誌のコラムで、

 

「知識というのは掛け合わせ。幾つも幾つも重ねていくことによってそこからアイデアが生まれていく」

 

だから、ほんの数分でも読書の時間を取れば年間に換算すると膨大な時間となり、それは新しい何かに繋がる、といった記載があったのを読んで、それなら、と、いうことで始めた。

 

かといってそれまで全く読書をしなかった訳ではなくて、ある程度は読んでいたが、月の冊数を決めることによってどんなに他の事に時間が取られても、読書の時間だけは捻出する、といった方向性に持っていきたかったからだ。

 

 

news.mynavi.jp

 

president.jp

 

 

この手の記事を鵜呑みにしてしまった、というのも理由の一つ。

 

「忙しいビジネスパーソンほど読書の時間は惜しまない。あのビルゲイツも...」

 

等と書かれると、多くの人間が読まずにはいられないだろう。

 

とはいえ、坂の上の雲や、竜馬がいくの著者である司馬遼太郎氏も、本を一冊書くのにトラックの荷台がいっぱいになるくらいの書物を取り寄せて情報を集めた、という逸話があるくらいだから、読書と年収の相関関係は馬鹿には出来ない。

 

僕の地元の名士で、食品会社を展開する経営者がいるが、その方の学歴は小卒で、学がないものだから本を読むしかなかった、ということで本社ビルにはあちこちに書棚があったのを実際に見かけた。

 

過去に働いていた会社の飲食店創業者も、事業を興す前はガードマンをしており、月収の殆どを家族の生活費として渡し、残った五千円にも満たない金額で毎月の自分の食費をやりくりしていたようで、そのなけなしの金で買った経営本を毎日のように読んでいたそうだ。

嘘のような本当の話だ、読書は恐らく無視できない。

 

 

読書というのは習慣にするまではなかなか容易ではないが、身に付けてしまうとなんとかなるもので、多い時は月に10冊近くは読むこともあり、年間だと100冊くらいは読んでいるかもしれない。

 

今僕は独身で、自由な時間がたくさんあるから出来るのだと言われればそれまでだが、本職をフルタイムで働いた後、FPといった資格勉強に精を出し、休日は不動産会社で実務の勉強をし、その他の付き合いもちゃんとこなして、それでも読書の時間は作っていた。

 

これに日課のマラソンも加わる。

 

正直なところきつい日もあったが、出来ないこともないと実感したものだ。

 

本の読み方は遅い方だと思う。

幾ら読んでも読み方がうまくならず、早くもならない。

1冊読むのに2時間以上はかかる、仕事をしている人間が2時間捻出するのはなかなかだ。

 

だが、読み方の工夫のようなモノは出来るようになった。

 

例えば、買う前にはその作家の略歴にざっと目を通す。

 

 

「ある日突然、"社会を変えるためには、一人ひとりの意識の革新が必要だ"と痛感し、“読むだけで魂が目覚める”文章を...」

 

「家業を手伝う。〇〇年、パイオニアと呼ばれ、コンサルや講演依頼が多く来るようになる...」

 

自己紹介欄の箇所にこういった、無理矢理のせたような経歴があるものは買わない。

 

後は目次にざっと目を通して、興味のある所から読み、読みやすいものなら買う、そうでないなら買わない。

前書きやあとがきから読むこともある、その著者の、著書に対しる思い入れのような本気度がわかることがあるからだ。

 

どうしても時間が取れない時は、ざっと本に目を通して、その本の書評を書いているコメントを丹念に読む。

 

誰が書いているのかが重要で、例えば名の通った作家だったりすると、いい加減な書評は書けないから結構内容をしっかりかつコンパクトに詰め込んでいたりすることもままあるので、それだけでさわりを掴めることも多い。

 

何を読んだらいいのかわかならないこともあるが、心掛けているのはなるべく本屋に行って手に取り、そして本屋に行ったら1冊は買うようにしている。

 

 

あれこれ書いたが、本を読むことのメリットは人それぞれだし、年収が低い人で読書家の人間はいる。

 

僕自身メリットがあると思っているのは、時間管理がうまくなったことと、ボキャブラリーが増えた事、あとは知らないうちに知識の引き出しが増えていたことだ。

LINKIN PARKのチェスター・ベニントンは自殺か他殺か

 Linkin Park のチェスターベニントンが亡くなり、今も様々な範囲で影響が出ている。

 

 

www.barks.jp

 

 

www.barks.jp

 

奥さんや息子が、ファンによる後追い自殺を止めるために活動的になっていて、時おり、上記のような生前の、自殺直前の動画や写真の公開にも踏み切っている。

 

チェスターの自殺要因は、幼少時代の問題におけるものと、アーティスト特有の、曲作りに関するものといった見方が多い。

 

www.fuze.dj

 

 

ジェイ・Z、チェスター・ベニントンの自殺は他人ごとではないと語る。新作の制作秘話も明らかに (2017/08/30) 洋楽ニュース|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)

 

 

Jay-zも、チェスターの自殺はメンタル面が響いていたことを述べている。

 

僕もファンの一人なので、毎日のように記事を漁っているが、本国アメリカでは、チェスターはどうやら他殺だという見方もあるらしい。

 

www.bbc.com

 

 

koriworld.com

 


ameblo.jp

 

 

クリントン政権下におけるハイチの人身保護組織が、実は児童人身売買組織であることを知り、そこから政府やマスコミ、芸能界における人身売買と児童性愛を行う人物のリストを入手していて、その実名を全公開するつもりでいた、というのが内容。


上記の記事は、チェスターの幼少時期における虐待の内容もあり、ここでは記さないが極めて過激であり胸が塞がれるもの。


チェスター自身が虐待を受けていた事実を公表しているためにそれは間違いないのだが、児童人身売買にまで話がおよび、途方もない内容であるために事の真意は掴みようがない。


とはいえ本国アメリカでも波紋を呼んでおり、BBC も取り扱うネタではあるようなので、上記のblogにしてもトンでも記事と片付けることも出来ないくらいだ。



いずれにしろ、我々のような一般人は永久にその真意を知ることは出来ないのだろうが、チェスターベニントンの声が、2度と聴けないのは確かだ。