ラーメンガールを夢見た女性と日本と米軍基地

かつて長崎県佐世保に住んでいたアメリカ人女性が、ラーメンガールという映画を夢見て佐世保のラーメン屋で働いた。
そしてアメリカに帰国し、もう一度、佐世保に戻ってラーメンが作りたい、そんな模様がテレビで放送されていた。

 

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その模様は心温まるもので、アメリカ人女性は元々親の仕事関係で佐世保に滞在していたそうだが、そこには米海軍基地があり当然、仕事は基地関係であったろうことは想像に難くない。

 

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僕の好きな作家の村上龍氏も長崎県佐世保市の出身だが、デビュー当時は基地に関する内容の著述もある程度あったし、村上氏が10代を過ごした当時の日本の激動の時代から、上記のアメリカ人ラーメンガールに至るまで基地の影響力は大きく関係性は未だに切れない。

 

日本の限られた国土に、海外の国の基地が今でも点在するというのは考えてみれば異常な事ではあるが、これだけ長い年月が過ぎると、不思議なことにすべての事が同化されているような、当初からそれは一体だったように錯覚してしまう。

 

 


僕が20代前半にアルバイトをしていた米海軍を相手にするおっぱいパブでは、店長の娘がウェイターとして勤務しており、英語は堪能で、付き合っていた彼氏はやはりアメリカ人だった。

 

彼氏は米軍基地内で勤務してはいるが兵隊ではなく、特殊な兵器を管理する民間企業の社員として勤務しており、その職務上、命の危険も帯びることから月収80万円くらいの収入を得ていた。

そして間もなく2人は結婚した。

 

2人の出会いから結婚まではごく自然で、一人の女性と男性が出会い、恋愛に発展し、そして結ばれる。
ただそれだけのことではるが、2人を介在し結びつけたのは"基地"である。

 

こうした男女の物語は何も今に始まったことではなくて、随分と前から当たり前のように起きていたことでもあるから、基地に勤めるアメリカ人と日本人との間にできた子供たちが日本語を学び、日本の学校に通う。

 

そうすると、基地内に土地を保有する地主の子息と軍属の親を持つ子息が同じ環境で過ごすことも往々にしてある。

 

土地の地主にしても、保有する土地は特殊性を帯びるものの、その他の日本に広がる土地と同様に活発に売買されており、年間に得られる地料に対してその売買金額が跳ね上がり、投資不動産としては根強い人気を誇る。

あまり表に出ないだけでそれはもはや普通の光景だ。

 

基地を背景とした複雑な利害関係が、更にその子孫同士が結ばれることにより密接に、かつ緊密に絡み合い、そして関係性も構築されていくため、一概に基地反対、とはもうくくることが出来ない時代に突入している。

 

"基地"は、安全、兵器、戦争、お金、雇用、人の往来、様々なモノを生み出すが、実際には目に見える分かり易いものだけではなくて、上述のラーメンガールのように、心温まる人生物語だって作り出す。

 

作家の五木寛之はその著書の中で、第二次世界大戦時、残虐な行為を繰り返すロシア兵が、一方では非常に美しい声でコーラスを披露した一面を紐解き、「美しい人間から美しい歌声が生まれる訳ではない」といった趣旨の著述をしていて、感覚としてはそれに限りなく近いものがある。


僕は政治的な内容を記したいのではない。

基地に関する記述は人気が無いし、第一面白くないので書きたくなはい。

 

ただ、一つの事象を別の視点から見ると、ラーメンガールのような素敵な物語が紡ぎだされる一方で、お金と兵器と戦争を生み出す機能を持った場所が同じ世界で共存していることに関して、それに対して違和感を覚えることも無くなってきた、という点をラーメンガールのアメリカ人女性を観ていて思ったのだ。