手に無いものを嘆くより、いま手にある幸せに気付こう、という話

友人から以下のメールが届いた。

 


私たちは、ある条件さえ整えば間違いなく幸せになれると思っています。

こうした考えが真の幸福の妨げになるとは気づきもしません。

幸福という概念を手放せれば、すぐに本当の幸福が心に生まれます。

何かの資格や、特定の職業や、ある相手との結婚などが実現しなければ幸せになれない、そう考える若者たちにも出会ってきました。

私たちは自分で幸福の条件を作り出し、それに縛られているのです。

自由な人にはいつでも幸福が訪れます。

これが幸福だというひとつだけの概念にこだわる意味があるでしょうか?

そうすれば幸福は限定されてしまいます。

その概念を手放せば、あらゆる方向から幸福はやってくるのです。

 

 


既に幸せなのだから、まずその事に気付こう。

人間は他者との比較でしか幸せを感じられない生き物だから、まずはそれをなくして
いわゆる世間一般でいわれている "幸せの基準" を捨てよう、という考え方。

 

 

 

"既に幸せなのに、外ばかりみている だから今の幸せに気付いてください"

 

"車の外の女性ばかり見ていたら、助手席の女性に怒られる

だから隣の美しい女性に気付いてください"

 

 

とにかく様々な言い回しがあって、どれもこれも実に心地が良いのが共通点。
自己啓発書などではそういったメッセージが飛び交うしし、またこれが良く売れる。

それは現状に不満を抱いていても、無理して"変わる"必要はないといさめるし、多少なりとも幸せな気分に確かにしてくれる。


ただ、現状のどこかに不満を感じている人間がいたとして、上記のアドバイスや考え方は果たして的確なのだろうか。


人間は確かに他者との比較で物事を考えるが、ただ一方で、"本当に" 助手席の女性に不満を抱いていることだってあるはずだ。

 

無理に "幸せだと思い込もう" といった空気が蔓延していると最近感じるし、勿論それは悪いことではないけど、そのメッセージを真に受けてしまうと、本来は自分自身の深層心理でくすぶる向上心や上昇志向そして挑戦心に蓋をして、せっかくの可能性を自ら閉ざしてしまう結果になるのでは。

 

"いま手にあるものに幸せを感じよう"という考え方は、どちらかというと、安定した仕事、給与、家庭、マイホーム、家族がみんな健康、そういった、今や手にすることがなかなか難しいものを手にしている人々に対してのもので、今日明日のご飯がなくて、手元には本当に小銭しかなくて、仕事がなくて、生活保護も受けられるかどうか分からない人に

 

"あなたでも今幸せですよ、生きているのですから。手にあるものに早く気付いて"

 

と言ったら、その人はビルから飛び降りないだろうか。


万人に向けたものではないメッセージを真に受けてしまうと、大変な結果になる、と言う事を言いたいだけで批判をしている訳ではない。

 

上記は極端な表現だが、とはいえ、最近日本には何だか優しいメッセージが溢れていて、それが現状を変える姿勢を削いでしまう側面もあるように感じる。

動き始めたタカタ株

車メーカー各社が法的整理の債権者申し立てを検討と報道されて株価急落

 

jp.reuters.com

 

かと思いきや、タカタ側にも "柔軟姿勢" が見られるとされて。

 

www.bloomberg.co.jp

 

みずほ証券の土屋剛俊アナリストは、株価は法的整理を連想して下落しているのではないかとした上で、債券市場ではタカタの姿勢の変化の背景に「私的整理に向けた条件の緩和があるととらえられており、債券価格は倒産を意識した値付けとなっていない」と話した。

 

それを受けて、下がった株がまた上昇。

 

そして今日また新たなニュースが。

 

www.bloomberg.co.jp

 

記事をそのまま読んでいると、

 

強靭な姿勢を取り続けるタカタ

自動車メーカー各社債権者申し立てで重圧をかける(そうする気が無くても)

慌てたタカタ創業一族、一転して対話に応じる、要求に多少は応じる姿勢

 

と見て取れるが、素直に受け取って良いのか分からない。

 

今日のニュースでも上述のように「私的整理の再建案提示」と、株価上昇要因としてのニュースが流れるも、

上昇の仕方にも迷いがあるような動きがうかがえる。

 

僕は700円ちょっとで800株買い、あまりの乱高下にビビッて夜のPTSで売っパラった。

 

シャープの時もそうだが、支援がきっちりと決定してからその株を買っても、十分儲けは出ると思う。

 

とはいえシャープとはまた事情が異なり、タカタはその利害関係者があまりに多いことや、

自動車メーカーの意向と中国資本とタカタ創業者一族の思惑が絡みつき、買うにしてもタイミングがはかりづらい。

 

更にはタカタと取引を希望する各会社への影響もあり、なかなか支援が進展しなかった。

 

www.tsr-net.co.jp

 

買うかどうか迷う。

本当は、やりたいことはミュージシャンではなくて、親への反抗心から

とある40代の男性がミュージシャンを志望している。
彼は子供のころ地元では神童と言われ、その名を聞けば誰もが頷く指折りの進学校を出て、東大へ進学したエリート中のエリートだ。
元々家柄も良いようで、皆それぞれ医者や弁護士になっているとのこと。

 

だが長男である彼だけが40過ぎてミュージシャン志望とはいえフラフラしており、今も母親から月々の小遣いをもらい、そのお金で夜な夜な飲み歩いて弾き語りのようなことも行っている。

 

やはり頭も切れるし、弁も立つ。

きちんとした職に就けばあるいは安定した人生を送ることが出来たのだろうが。

 

ミュージシャン志望ではるものの、歌を唄えばとてもではないが聴けたものではない。

そういった話を飲み屋で僕も含めて話していたのだが、彼の目的は、本当は「ミュージシャンではない」とある人が言った。

 

「酒の飲み方もアル中っぽいし、ミュージシャンっていうよりは、"親への反抗心"。
親が敷いたレールの上を歩きたくない、という思いから "あえて" 道から外れるような行動をしているように見える」

 

と話し、なるほど、と思った。

 


別の例で言うと、幼少時から父親に激しい暴力(性的ではない)を受けていた女性がいて、彼女はずっと父親が許せなかった。
そんな父親に反抗して、その反骨心から自分で努力して海外の大学教授まで上り詰めた。

 

順調にキャリアを積んでいたかのように見えた彼女のもとに、父親の訃報の知らせが届いた。

 

その女性はどうなったかというと、驚いたことに鬱になったそうだ。

 

どういうことかというと、これまでは、父親が憎くて憎くて仕方がない、そんな父親を見返すためにこれまで努力をし、その憎しみが原動力となっていたが、父の死でそれが失われてしまった途端、彼女の原動力が無くなってしまった。

 

上述の神童と言われた男性と共通しているのは、親への反発心だが、親の言うことを聞かずに自分の人生を歩いているように見えても、実際のところは、その親の影響を強く受けて自分の人生を生きることが出来なくなっているというところ。

 

こういう時、その人に必要なのは「赦し」らしい。

 

ゆるすことが出来て初めて自分の人生がスタートする。

そこらへんに書いてある安易な自己啓発にも、「赦すこと、許すこと、ゆるすこと」とあるが、悔しいことにそれは本当だったということだ。

 

憎しみや反骨心は、臥薪嘗胆という言葉もあるように時には辛く過酷な状況において、強い原動力を生み出すが、ともすればそれは、その憎しみや反骨心が無くなると原動力が他には何もない、ということの裏返しであることを意味する。

 

そうすると、"本当の意味で自分の人生を生きている" のかと問われれば、答えを出すのは容易ではない。

 

常に誰かの言葉やメッセージを受けて我々は生きているからだ。

 

また、ゆるしも必要かもしれないが、自分の心の声を聞くことも重要だと僕は思う。

車いすバスケットを描いた、マンガの "リアル" で

 

「自分自身の"声"を聞こえないふりをしていると、そのうち本当に聞こえなくなる」

 

というセリフがあるが、年齢とともに聞こえにくくなっていると確かに感じるからだ。

女は立ち話が好きで、男は戦争、強姦、殺人、を生み出す らしい

女性はとにかく話し好きだ。

 

会社のオフィスでも、廊下でも、街中の通りでも、数名ときには二人でひそひそ話をしているのは大抵女性だ。

男は無口で、ストレスが溜まったり悩み事があると、一人で殻に閉じこもり、他者との交流を断つ傾向にあるが、女性は逆。

話すことそのものがストレス解消になるようだし、どこにでも行くし何でも食べる。
カフェで数時間、友人と話したはずなのに、お店を出てからも店の前でなおも話し、その後帰宅してからも電話やチャットで同じ話題を話し続ける。

 

女性はそういうことが出来る。

 

人の悪口も話すし、自分の失敗談や身近な人間の近況、とにかく何でも話す。

人の話が聞くのは割と好きで得意だと思っている僕でも、あいづちや返答に困ることもあるくらいだ。

 

僕の昔の同僚(女性)の彼氏が、合格率60%くらいの資格試験に落ちた時は、

 

「信じられる?あの人は東京六大学に入学できる頭脳を持っているのに、こんな簡単な試験に落ちるのよ。アタシは思わず笑ってしまった!"なんで落ちることが出来るの?"って。だってアタシがロクスッポ勉強していないのに合格したくらいの資格よ、ホントに笑えるったら」

 

と話す話す。

 

僕が言葉を間違って思わず、「バカではないのですね」とかえすと、少々ムキになり
「当たり前よ!バカじゃないのよ!」と反論してきた。

驚いた僕は即座に謝罪して、「そうですよね、元々の備わっている素養が凄いようですもんね」と答えて事なきを得たものの、

 

"えー、そんなあなたは自分の彼氏をバカにしていたじゃないですかー"

 

っと心の中で思うのだが。

とはいえ女性に限らず、人は誰しも自分の身近な人間を自分自身が悪く言うのは許せても、他人に言われるのは許せないらしい。

 

そんなあなたの口が、自分の身近な人間を悪く見せているのは間違いない。

 

まあ何て事はない、この女性は彼氏と二人仲良く同じ検定を受けたのだから、これは形を変えたある種ののろけ話だったのかもしれない。


こういう女性とのやりとりを、非常に煩わしいと感じている男性はきっと多い。

 深読みして返答するのが苦手だからだ。

 


 

とあるバーで大学教授(男性)と席が近くになり、男性の性分というか欠点について話す機会があった。

 

「戦争、強姦、殺人、世の中のあらゆる負の出来事は全て男性が生み出している」

 

と言い、その周りにいた女性客もうんうんとうなずいていた。

そんなに迷惑をかけているのなら、しぬしかないのだろうかと暗鬱たる気持ちでいると
うち一人の女性(独身)が、「男性のどこが良いんですか?」と質問した。

 

"どこが良いんですか?"

 

グサリとくる言葉で、「男って、生きている意味あるんですか?」とも聞こえる一言。

 

その教授が答えたのは、

 

「女性一人ではやはり出来ないこともある、男性にはやはり推進力がある。
前進する力。例えば車でいうと、男性はアクセルだね。ハンドルまで男性が握ってしまうとその車は暴走しがちだけど、ハンドルを女性が握るようにすれば世の中もっと良くなる」

 

逐一正確ではないかもしれないが、概ねこのような感じだった。

その場にはなるほど、といった空気が流れたが、僕は思った。

 

ブレーキは?

誰が踏むの?

 

ゲイが踏むのだろうか、と思案している間にこの話は終わってしまった。

 

恐らく、その教授は女性と男性の役割の違いを指摘したかったのだろう。

 

男は狩りをして、女は木の実や果実を獲って暮らしてきた。
男は守り、女は育てる。

-話を聞かない男、地図が読めない女-

 

そういった役割が学術的な考え方としては一般的、だった。

 

-女は男のどんなところに不満を覚えるか。
鈍感、のんき、人の話を聞かない、やさいくない、話をしてくれない、愛が足りない、2人の関係を大事にしない、触れ合いは二の次でセックスばかりしたがる、上げた便座をおろさない。

 

-男は女のどんなところにいらいらするか。
運転がへた、標識を見落とす、地図を上下さかさまにしないと読めない、方向音痴、むだなおしゃべりが多すぎる、セックスしたくても自分から誘わない、用がすんだあと便座を下げておかない。

 

男は探し物を見つけられないくせに、CDはアルファベット順に並べる。
女は車のキーがどこにあっても探し出せるくせに、目的地への最短ルートを見つけられない。
男は、男のほうが分別があると思っており、女は、女のほうが分別があると確信している。

 

-話を聞かない男、地図が読めない女-

 

 

 

今は男性が弱くなり経済的にも骨抜きになってしまい、金を稼げる男もずいぶん減った。(と感じる)
一方で、女性の社会進出はまだまだとはいうものの、前にもまして女性経営者や、稼ぐ女性は確実に増えた。

 

この前、マンションのモデルルームに見学に行った時にも、奥さんが女医で年収1,000万円以上、旦那さんが一般サラリーマンで年収400万という夫婦に出会った。

 

マンションを選んでいる最中は旦那さんが強気で発言し、バシバシとイニシアチブを取るもいざお金の話になると、奥さんが口を開き、旦那さんは貝のように口を閉じた。


僕がイメージしていたいわゆる夫婦のなかでは初めてみる光景であり、時代の変化を感じたが、立ち話が好きな女性と、戦争、強姦、殺人を生み出し続けてきて男性の役割は、それぞれが確実に着実に変わりつつあるのだろう。

必殺!バカリズム地獄 東京23区風俗嬢の鬼ギレ(食事中に読まない方が良いです)

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バカリズムが東京23区内にある風俗嬢の相談に乗る、という内容なのだが。

性的趣向は人それぞれであると分かっていはいたが、あまりにもどぎつい内容で目が釘付けだった。

 

 

-客に切れたことは?

という質問で、一番のトンデモは、「白いぽっちゃりさん」かすみさん(20)の女性。

業界未経験でぽっちゃり好きな男性が訪れる店で働く彼女が、過去に接客したお客で、

 

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「...事が終わった後に、お客さんの精子が入っているコンドームあるじゃないですか。
それを、自分が持参してきた(客が予め買ってきた)寿司に、かけて食べるんです、自分で。(客が)あーん、とかってやるんですけど、気持ち悪くて」

 

この番組をつけて一番初めがこの内容だったのでかなり衝撃的だった。

「寿司は醤油をかけて食えって感じです~」と話していたが、そもそも自分の精子を口に運ぶ男が世の中にいること自体が驚きであり、"普通男性は自分の精液を嫌がるものなのに"とうなるバカリズム

一体どこに性的興奮を見出しているのか不明。

 

他にも、

 

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「クチュクチュ」むぎさん(20歳)。

 

映画「スターウォーズ」の前振りを設定して、性的サービスに移行していくのを好む男性がいたようだ。

 

「"最後は俺のソードを出すか"とかって最終的に"俺の最終兵器を出す"って、お客様がズボンを下ろす設定なんです」

 

と、何とも細かいエピソード。


また、この「クチュクチュ」むぎさん(20歳)のもとには75歳のおじいちゃんが頻繁に通ってくるようで、

 

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「おじいちゃん殆ど立たないんですけど、たまに立つときにはバイアグラを飲んで来ているみたいなんです。それで私がフェラチオをすると、"あー天国のようだー"とかって言うんですけど、どちらかというと天国に近い年齢なので、ああ!おじいちゃん、そのまま天国にいってしまんじゃないかって」

 

と、高齢の客についても赤裸々に話す。

 

「おじいちゃん立たないのに、"入れていいか"とかって聞いてくるんです。いや、入らないだろ!って。(立たないから)"入れていいか"無理だろって!思います」

 

高齢者もおさかんなようだ。

 

一方で熟女好きの男性で、SMを求めたり、言葉攻めのようなものを好む客もいるらしく。

 

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-SMのときはなんていう?

「"...こんな天気の悪い日に呼び出してんじゃないわよ!"とか」

 

「あと、"欲しいの?"とかって聞かれるんですけど、10分前に初めて会った人のなんか、欲しくないです」

 

-"欲しいの?"って聞かれたらなんて答えています?

「うん、おちんちん欲しいのって言って、そのまま乳首いじりながらフェラチオするようにしています。欲しくないですが」

 

また変わった趣向として、


「お客様に、3つのお年玉袋みたいなものを出されて、中身が、"現金五万円ゲット" "アナル開発" "即尺"ってあって。30分くらい悩みましたけど、五万円ゲットしました」

 

という風俗嬢も。

 

あとは走っている車の中でフェラチオをさせる客のちんこが、白い珍カスで汚くてできなかったとか。

 

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ひたすら下卑た話。

 

それにしても日本人男性の変態性が凄い。(僕もそうだろうが)

 

上記のようなどぎついプレイに興じていても、日ごろは何食わぬ顔で毎日仕事に励んでいるに違いない。

 

風俗店はブラックボックスだ、この番組は面白い。

 

ちなみに、女性も男性の精子が飛ぶことを嫌がるようだ、髪の毛などに。

そう言えば僕の知人も、AVの見過ぎで、全ての女性が顔射を望んでいると勘違いしてしまい、初めて付き合った彼女とのセックスで顔射をしようとして振られた。

 

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期待よりも不安が上回ってしまうと、不安障害になる

不安障害は、今や誰もが憂慮すべき現代病。

昨年12月に行われた、世界クラブ杯の決勝戦鹿島アントラーズレアルマドリーにおいて、その才能を世界に知らしめた柴崎岳選手。


hungoveray.hatenablog.com


念願のスペイン移籍を果たすも、現地生活に慣れずに不安障害に患っていたようだ。


www.asagei.com


こういう話は尾ひれがつくので事の真意は定かではないが、不安障害に苦しむ人間は多い。

柴崎岳選手以外でも、例えば引退したアスリートが次のキャリアがなかなか構築出来ず、収入の目処が立たない不安から心のバランスを崩してしまい、不安障害となるケースもあるようだ。

3月と4月というのは、まさに出会いと別れの時期であり、学生は社会に出て、時には慣れ親しんだ土地を離れて働き、既に働いている人も異動などで別の地に赴くこともある。

物事が否応なしに変わるため、これまでの環境に大きな変化が訪れることは間違いない。

自己啓発等ではよく、自分を変えるための3つの方法として

付き合う人間を変える
住む場所を変える
時間配分を変える

といったものが挙げられる。

変化そのものについて、それらを受け入れ積極的に自らに変革をもたらそう、これまで手に持っていたものを捨てて、新しいものを手にしよう、というような、自己啓発にはそんなポジティブなメッセージが込められている。

自分を取り巻く物事の歯車が上手く回っているうちはまだ良い。

ただ、上述の柴崎岳選手のように新天地へ繰り出すことによる、「期待よりも不安が上回ってしまった」場合が問題だ。

今や心と身体は一体であるという考え方は科学的根拠からも明らかにされており、また、僕が思うに変化が訪れた時の適応力のようなものは、かなりの個人差があると感じるし、変革のための3つの変化が同時に起きると、それが急激であればあるほど心身ともに支障をきたしてしまう人間がいることも頷ける。

せっかくの才能も、新天地で発揮できないのでは宝の持ち腐れであり、自身のみならず周りにとってもマイナス面が大きくなる。

僕も20代に地方から東京に出て働いたことがあって、特に才能があるわけではなく、否応なしに訪れる変化に「適応出来て」いたように見えていただけだが、それも最初だけ。
実際には、若さがもたらす無謀さや行き場の無いエネルギーがあったからこそ何とかなったわけで。

今同じことするのは、どうしても躊躇してしまう。

自分の限界を越えて取り組んだ事による、反動を恐れているからだ。

とはいえ、日本全体が閉塞感に包まれ、経済も低成長が続く現代においては、誰もが自らの席を確保するため、自己研鑽は欠かせない。

そうなると、自らの成長を促すために自分自身で変化を仕掛け、変革をもたらす事そのものも避けられない。


「自ら機会をもたらし、その機会によって自らを変えよ」


この言葉通り、機会を常に探らなければ、そして危険をおかさなければ席を確保するのは難しい。

では、機会を作り出し、変化を起こし、自らにポジティブな変革をもたらす場合において、不安障害に代表されるように心身ともに支障をきたさぬようにするため、我々が出来ることは何か。

僕自身が強く実感している点を挙げていく。

1つは、孤立しないこと。

人間は恐らく、不安、恐怖、貧困や病気等よりも、物理的な孤独感から絶望的に悲観してしまうことが多い。

なので、とにかく人と繋がること。
ただ食事をするだけ、お茶を飲むだけ、下らない下ネタを話すだけ、といったものでも良い。

Pha氏も言っているが、緩く繋がるだけでも助けられている側面はあるのは否めない。


2つめには睡眠。

前にこのブログでも書いたが、睡眠時間が短いと(ショートスリーパーも中にはいるが)、どうしても構造的に人生に対して悲観的になるし、そこに仕事のストレスや肉体的な疲れがのし掛かると、これは致命的。

hungoveray.hatenablog.com


そんなときに酒でも飲みながらCoccoの曲など流してしまうと、もう自殺まっしぐらだ。

猫か犬かは忘れたが、大きな怪我をすると暫くの間姿を見せないらしい。

何をしているかというと、ひたすら寝ているようだ。

つまり、寝て怪我を治す。

我々も動物なのだから、寝て心と身体を治すのは基本だと思う。

実際あまりにも疲れた日に10時間くらい寝ると、物凄く気持ちが楽になった経験がある。


3つめは、食事だ。

心の問題は脳が作り出していることは科学的根拠で明らかなので、脳に栄養を送る意味で、食事は必要不可欠。

何を食べた方が良い、という健康志向に僕はあまり重きを置かない。
その時に食べたいものを食べるのが一番だ。
なぜなら、人生に絶望して疲れはてているときに、安さにまかせて賞味期限間近の、大して美味しくもないおにぎりで済ませたら、余計に心が折れてしまう。

それでも食べないよりはましで、ただ出来るだけ栄養価が高くて、旨い食べ物が良い。

むかし東京で幾つも仕事を掛け持ちしている中国人と親しくしていたが、短い睡眠時間で多くの活動をこなしていた彼は、本当に良く食べた。

今は亡き水木しげる氏は、戦争で片腕を無くして苦しい時代を生き抜いたが、氏もとにかく良く食べて良く寝たようだ。


4つめは、積極的に助けを求めること。

メンタルクリニックやカウンセラーにかかることについて抵抗がある人も多いようだが、少なくとも健康的になれるのであれば、手段は選ばず活用するべきだ。

薬も比較的軽いものもあるし、個人の症状に合わせて処方してもらえる。



柴崎岳選手も、今は持ち直し、これから新シーズンをむかえるところだが。


headlines.yahoo.co.jp


不安障害の対策として上記4つ以外で、挑戦、変化、変革、機会において、僕自身が大事にしていることは、「無理をしない」こと。

挑戦と変化と変革、そして機会は本来はポジティブなものだが、やはり本人の限界を大きく越えている場合は、その反動もそれだけ大きくなる。

反動も含めて挑戦していくべきで、そこで折れてしまうようならやるべきではなかったという結果になる。

限界を越えない、という意味ではなく、限界を大きく越えないこと。

ちょっとでも良いから限界を、自分の無理の無い範囲で越えていくことを繰り返していけば、時間はかかっても遠くへ行けるからだ。

世の中の社長は話を聞く筋肉が弱いのか

人の話を聞き続けることは、非常にエネルギーを要する。

世の中は話したい人ばかりだから、聞き手はいつも不足していて、それが出きる人には需要が集まる。

最近気付いたのだが、社長という肩書がついている人ほど、話が長い傾向にある。こちらの話なんかほとんど聞かない。

不動産会社の面談に行った時、社長自ら応対してくれたことがあったが、一時間近く話をされた。

延々と事業とは関係のない話を、内容を頭に入れるのは勿論のこと、きちんと相づちを入れながらも聞くというのは、なかなか骨のおれることではあるが、人間は他者からしか学ぶことが出来ないと思っているし、それに、元来から聞くのは結構好きな方なので、話の腰を折らずにずっと聞き続けることが僕はできる。

とはいえ、一時間近く話した不動産会社社長は、ついぞ僕を採用しなかったが。


社長という立場の方々は、その職業柄、人前で話すことは多い。
最も多くの時間が割かれるのは、自社社員の前で話すときだろう。

どんなにつまらない内容で、どんなに眠くても、基本的に聞かない社員はいないし、むしろ直立不動でメモも時には取りながら社長の話を聞く、という場面はまだまだある。

今年1月の水曜日のダウンタウンで、「社長が万歳を止めない限り、社員も止めない説」といったテーマが放送された。
普通、万歳というのは、「バンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!」と、三回までだが、社長がそれを越えてもなお続けると、社員はおかしいと思っていても、その万歳を止めない、というもの。

すぐにやめるところもあったが、最多は400回以上万歳を続けた。

それくらい、社長の影響力はまだ強い。

だが不思議なのは、あれだけ社員の前で話をしても、それ以外の場で更に自分の話ばかりをする社長がいることだ。

僕の面談の社長もそうだし、聞くところによると飲み屋でも同じようだ。 

家に帰っても奥さんや娘は自分の話なんか聞かないし、社長同士の集まりでも同様。

そうすると、金を出して自分の話を聞いてくれる、夜の店に足が向くのは自然なことなのだろう。

その話し方もなかなか巧妙で、「1ついい?」と言いながら、百くらい話して聞かせるといったものらしく、僕もそれでしょうもない話を聞いてしまったことが何度もある。


なぜ、人の話を聞けず、自分の話ばかりをするのか。

なるほど、と思ったのは、「筋肉」というもの。

どういうことかというと、冒頭にも記したように人の話を聞くのはエネルギーを要することなので、そのためのトレーニングが必要になる。

筋トレのように適度な頻度、あるいは毎日、自分以外の人間の話を聞く努力を続けると次第にその筋肉が鍛えられ、より長く、より深く話を聞く能力が備わる。

その「聞く筋肉」をより発達させ、発揮できるのは、賢く、有能で知見のある人間に限られ、多くの社長にはその筋肉もなければ、鍛える気もないそうだが。

僕は自分が賢いとは思わないし、その点で言えば客観的には、社会的成功とそれなりの収入を得ている、話を聞かない社長の方に軍配が上がるはずだ。


彼らは、何か1つの道を極め、収入に繋げる能力の高さもあるから、今後の人生において他者の話に耳を傾けなくても生きていけるかもしれない。

だが何もない僕がそれをやると、なかなか致命的なものがある。

自分の話がしたくない訳ではないが、やはり聞く方がためにはなるし、一度きりの人生において、他人の人生を多少なりとも垣間見ることが出来るのはプラス面が大きい。

それに、幸いにも世の中には話したい人間ばかり増え続けているので、トレーニングには最適でもある。

だが一方で、聞くばかりだと相手への伝え方が少々おろそかになる。

このblogも何を言っているのか、何を伝えたいのか分からずダラダラ書くことは結構ある。

書いている目的は別のところにあるが、もしかすると、聞くことの方が伝えるよりも楽で簡単だから、そこに逃げているのかもしれない。