創造力や才能と危機管理能力の割合
個人レベルでは発言一つで失脚したり、その軽率な行為が災いして表舞台から姿を消したり、また企業体では会社が法的整理にまで至るほど経営を傾かせたり。
社会的な地位や盤石とされる組織でも、あっという間に姿を消してしまうこの世の中。
こうしてみてみると、大事なことは何かを生み出したりする創造力や才能に加えて
危機管理能力のような才覚も問われるような時代なのではないかと感じる。
例えば有吉弘行氏や坂上忍氏を見ていると、売れ始めたころはなかなかの発言で刺々しいところも多かったが、どちらも今も引き続き毒舌のようで、足元をすくわれかねないような発言は一切しなくなっている。
爆弾を踏まないように慎重にふるまっているのだろう。
僕の会社の上司でも、抜群の危機管理能力を発揮している人がいる。
普段は仕事を殆どせず、上司の、そのまた上司の目の届かないところでは平気で遅刻もするし、部下のマネジメントなんて論外だが、危機管理能力はずば抜けて凄い。
会社の要人が部署に訪れる際や、自らが要人を訪ねたりする際に、やるべきことをしっかりと、それも120%くらいの力を持って取り組んでいる。
下っ端からみて「大丈夫か?」というような仕事ぶりでも全く問題なく、自らの地位をがっちり守り、下からの評価は低いが、上からの評価はまずまず、それどころかむしろ高い評価を得ている。
評価というのは他人がするもので、ある個人を評価する人間が誰かによっても左右されるが、評価される側としては、自分を評価する人がいわゆる "お客様" なので、それが社長であれば社長がお客様だし、課長であれば課長がお客様。
上司は、自分のお客様が誰なのかをちゃんと分かっているのだ。
毎日のように報道される、いわゆる失脚した人々は、自分にとっての "お客様" を敵に回すようなことを実行し、更に、その危機管理能力の無さも手伝って、残念ながら表舞台から姿を消さざるを得なかったのだろう。
これまで築き上げたきたものが簡単に崩れ去る姿を見るのは、何とも心苦しい。
"ざまあみろ" だなんて、とても思えない。
僕の上司のように危機管理能力だけではいけないが、少なくとも、何かを生み出す能力や才覚の割合を多少削ってでも、その分、危機管理能力に目を向けるべきだと個人的には思う。
一つでも間違うと取り返しのつかないことが起きてしまうような世の中で、そこからのリカバリーはかなり絶望的。
だからといって何も挑戦しないのでは新しいものも生まれない、この辺のさじ加減が非常に悩ましい。
そこのところのさじ加減が絶妙な人間が今の時代は頭角を表すのだろう。