孤独と自信の欠如がもたらす現代の病

僕は孤独に弱い、それは30代を過ぎてからようやく気付くことができた。


人間は社会的な生き物だから、「自分は必要とされていない」と感じ、内にこもってしまうと、何らかの病気になってしまう。


僕の友人が都心で働いていたとき、仕事のストレスが原因で自宅のドアに手をかけるだけで手が震え出し、心も動悸とは違う、何やらざわついた感覚に襲われ、職場に行くことが出来なくなってしまったという。


心療内科を受診し、適応障害と診断された友人は、そのあとカウンセリングを受けた。


「その病院には一回しか行っていないが、すぐに治った」


と話し、適応障害となってしまった理由は、誰にも心の内を話すことが出来なかったことを挙げた。


つまり孤独で、話し相手がいなかったのだ。


人間の頭をよぎる、不安、恐怖、心配事、そして罪悪感といった負の感情は、想像以上にエネルギーを消費し、我々を疲弊させる。


今日、現代人が疲れているのはそういった負の感情にエネルギーを使ってしまい、その他のこと、すなわち仕事や人生を愉しむ分の力が残されていないためである。



自分の心の内を誰かに話すと、何も解決しなくても、なんだか心がスッキリして晴れやかな気分に包まれる、そんな感覚を味わったことは誰でもあるはずだ。


あれは、負の感情を解放する役割を果たしていて、スッキリした分だけ気持ちが楽になるのは、それだけ、膨大なエネルギーを使用しているからだ。


アメリカの映画で、教会で自らの犯した罪を告白するシーンがあるが、あの懺悔の持つ意味も同じだ。


孤独になってはいけない、そして同様に注視すべきは、自信の欠如だ。


自信がないと、窮地を打開するためのエネルギーとアイデアを実行することが出来ないし、ここ一番の勝負で勝つことも難しくなる。


自信が欠如すると、仕事でも業績を上げることは難しくなるし、恋愛については愛する人にプロポーズも出来ない。


自信はなくてもいい


岡本太郎はそう言ったが、自信の欠如から人生に敗れてしまう人が多いのも現実で、やっかいなのは、何らかの実績を積んだから、それが自信に繋がるとは限らない、ということだ。


自信が欲しいなら、何か実績を上げることも大事かもしれないが、極論すれば自信をつける練習、自信たっぷりに見える訓練を行う必要がある。



いずれにしろ、孤独にもならず、自分への自信があるならば人生に絶望することはない。