昇給も昇進も無かったので、適正年収を調べることに
まず前提として、評価は他人がするものという点は認める。
なので詳細は書かないが数字で結果は出したので、さすがに昇進も昇給もないとガックリきたのも事実。
上がらない収入を補うために、世の中は副業で溢れているのだろうが。
とにかくあまりにもがっくりきたので、グーグル検索で給与が上がらないと検索すると、こんな記事。
余計に元気が無くなるので、読まない。
どんどん検索していくと、
"職務経歴や経験・スキル情報から自分の市場価値を診断。あなたの適正年収は"
といったサイトに行き着く。
これまでは気が進まなかったが、今回は気が滅入っていたこともあり適正年収を調べてみることに。(企業の回し者と思われたくないのでサイト名は書かない、有名なのですぐに分かるだろうが)
ちなみに、実際にサイトに登録して適正年収を調べた人がかなり多くいて、関連ブログもたくさんあったので、それらを先に読んでみると
「このサイトで給与を査定したら、自分の適正年収500万以上だった、思ったより高い」
とか
「ニートで未経験だが年収500万円で就職できた」
といった、比較的好印象な記事ばかり。
とにかくまずはサイトにユーザー登録。
登録すると同時に年収が算出され、その時点で僕に興味がある企業からオファーが届くというモノ。
どんどん入力していくと、何か年収のところの数字がくるくる回って上がったり下がったりする。
アルゴリズムの仕組みはわからないが、スロットの数字合わせに似ていて人間の心を高揚させるものがある。
結果算出された僕の適正年収は、、
適正年収が想定オファー年収に変わっているのが気になったが続ける。
だが、企業からのオファーは、
なし。
ゼロ。
僕は宅地建物取引士の資格や証券外務員やFPの資格等があるが、30代前半で経験会社数は5社という
恐らく企業からは敬遠される人材だから致し方ない。
そう思っていると、しばらくしてオファーが届いた。
その数13社。
素直に喜んでいると、トップに表れた企業は、、
何だ、それかよー。
これまで登録してきた求人サイトと同じ企業がトップに。
他の12社も知らない名前ばかりで、希望勤務地とはかなり異なる求人ばかり表示される。
年収は330万円~といったものが多かったが、そのどれもがミニマムからのスタートと思った方が恐らく良い。
「あなたの年収は思ったよりも高いかも!よりよい転職を!ニートの僕が~」
といったブログは眉唾物だろう、考えてみれば年収500万以上の人材は就業人口の中でも半数はいない中で
そう簡単にもらえる訳が無い、というのは自明の理。
このようなサイトに慰めを求めた僕が間違っている。
だが自分の適正年収とオファー企業を見て余計に元気が無くなってしまった。
それにしても、
こういう記事は何なのだろう。
とにかく面白くない事ばかりなので、タイ刑務所から帰国したばかりの竹澤氏に
日本での彼自身の適正年収を調べてもらうように書き込みをしよう。
不動産投資は見た目ではない、とのこと
上がり続ける不動産価格。
リーマンショック前を上回る水準で上昇を続けている。
国土交通省発表でおなじみの公示価格において、地価最高額の銀座4丁目の山野楽器銀座本店は、1平方メートル当たり5050万円(前年比26%上昇)で過去最高を更新。
不動産といえば今やサラリーマン大家は常識で、もはや年収300万円の人間が億単位の不動産資産を保有していることもざら。
一方で、東京オリンピックの影響、東日本大震災の復興のために建築価格も上昇し、新築でアパート建設をしようものなら莫大な費用が掛かる。
そこで、中古物件に注目があつまる。
中古物件でも価格がなかなか高い。
例えば、2階建てアパート間取り2DK、8世帯、家賃月32,000円の物件が売りに出ていた。(ざっくりな説明だが)
築年数は数十年経過しており、かなりの劣化が見られる、リフォームどころではない。
空き室はわずかに1部屋というものの、価格は3,000万円から3,500万円で売りに出されており、驚いたことに買い手がいる。
外装も内装もかなりボロボロだが、不動産投資としてはきちんと利益が出るようだ。
内装はそこまでお金をかけずに、個人レベルでペンキや内装張替等を行う。
販売価格を3,300万円としたときの表面利回りとしては、
32,000円×8世帯=256,000円×12(1年間)=3,072,000円
3,072,000÷33,000,000×100=9.3%
一般的には、7%~8%くらいの表面利回りがあれば良いとされ、そこから固定資産税等の諸経費を抜いても
恐らくは6%以上は確保できる、ということらしい。
この物件、その戸数の半数は生活保護者で、家賃の未払いのリスクはあるものの昨今の未払い問題を背景に、自動引き落としや振込制度を導入しているようで、とりっぱぐれもないと知人は話す。
住民間のもめ事はあるようだが、上述のお金まわりだけを見れば、投資先しては確かに魅力的。
繰り返すようだが信じられないことに3,000万円から3,500万円の価格帯でも購入したい人間がいるし、今はマイナス金利の影響で金利も低いし銀行からの借入も比較的簡単に出来る。
抜け目なく、購入した値段と同じ価格で売却すれば、手元にはきちんとキャッシュが残る。
無論、短期・長期売買の税率区分の確認は必要だが、不動産の目玉は何も、銀座一等地ばかりではない。
サラリーマンをしていても、頭を使えばちゃんとお金を作れる。
株と不動産投資の相乗効果で一財産築くのも、夢ではないだろう。
チャンスの女神は前髪しかなくて
気が付いたときには走り去ってしまっている、女神の後ろに髪はないので、前髪を掴むしかない。
あまりにも有名な言葉。
千載一遇のチャンスは突然訪れて嵐のように走り去っていくから、つかみ損ねて、あとで後悔しても遅い。
概ねこういった意味合いだろうか。
"チャンス" という言葉には、様々な表現がある。
"人生には3回チャンスがある"
"失敗をチャンスに変えろ"
"ピンチのあとにチャンスあり"
"災い転じて福となす"
実に掴みどころのない言葉ばかりだが、最近、"チャンス"を逃したかもしれない、という出来事に出会った。
僕がずっと異動したかった部署に申請を出し、その願いは通らなかったのだが、別の部署でキャリアを積む機会が舞い込んできた。
"どうしてもいきたい"
という部署ではないし、異動を受入れれば、僕があまり気が進まない都市圏に移り住むことになる。
だが、今の部署は墓場といわれていて、そこから脱出することは相当な困難を極めており、僕も五年ではきかないくらい同じ部署で
同じ仕事を続けていて、さすがに精神的にも参っている段階で、その話がきた。
いきたい部署ではない事、自分が本来望んでいる仕事のキャリアが積めそうにない事、とにかく、今の場所を捨ててまで
飛び込んでいけるようなオファーではなかったことは確かで。
「いけるの?いけないの?」
と詰め寄る上司を前に、僕は即答できずに考えさせて欲しいと答えた。
数日経ち、その上司は昇進し別の部署を統括することになり、僕が彼にキャリアの相談をすることは出来なくなった。
つまり、流れてしまった。
昔、海外でキャリアを積んだやり手の外国人と話したとき、
「"イエス" という言葉には大きな力がある。
そこで "ノー" と答えるのと、 "イエス" と答えるのとでは、その後の結果が全然違うものになる。
だから君は、"ノー" と答えるときは良く考えなければならない」
確かこういったニュアンスの話をされたことがある。
一つ目の返事で"ノー" と答えると、恐らく、その後かなりのチャンスが遠ざかる。
だからもしかすると、最初の答えほど、慎重にならなければならない、ということも彼は伝えたかったのかもしれない。
今となっては確かめ術もないが、少なくとも今僕はようやく、同じ会社で他の道を選択できるところまでは到達して、その機会も確かにもらった。
だが、ただ、"イエス" と即答できなかったために、話そのものが流れてしまった。
人間万事塞翁が馬ともいう。
果たしてチャンスだったのかどうか、実はこれから、チャンスが訪れるのか。
チャンス、という言葉は実に悩ましい。
DV被害の傾向
被害者の性別は「男性」が10.1%と1割を占めるが、圧倒的多数は「女性」(89.9%)だ。
一方、加害者は男性が89.9%、女性が10.1%。
被害者の年代別では、婚姻率が高まる30代以降での被害が多い。
統計だけを見れば、DVは増加傾向にある。
僕のDVのイメージは、経済力を背景に夫が妻に暴行を加え、妻は不安や恐怖を感じていても、子供が小さい、自分に経済的基盤が無い、といったことから逃げ出せずに殴られ続ける。
そうしていて、次第に殴られ続けることに生命の危機と、次は子供への影響を恐れて、着の身着のまま保護施設へ助けを求める、というものだ。
数年前に沢口靖子が演じる、NHKのドラマ「シングルマザーズ」も概ねそういった内容だった。
だが、今や女性が経済的に力を持ち、むしろ夫が家庭に入って主夫となるなかで、それでもDVが増加しているのはなぜなのか。
以前、このブログでも少し触れたが、妻が女医での家庭はDV率が結構高いらしい。
知り合いレベルでの話で、詳しい統計が無いので分からないが、妻が女医、夫も医者、というケースでもDVが起こりうるようだ。
「経済力を持った女性は頭も切れるし弁も立つから、夫としてはつい手も出てしまう」
また、「あたしの方が収入があるから」と、例えばマイホームだとか大きな買い物をするときのお金の管理について、女性からすれば事実を言っている点でも、男性からすれば「プライドを傷つけられた」となり、手が出ることもあるようだ。
周りにDVを受けているキャリアウーマンがいないので分からないが、それが事実なら、経済力が無くて殴られ、経済力があっても殴られ、女性からすれば踏んだり蹴ったりだ。
本当のところの理由が分からないだけに、まだまだ議論が必要なことでもある。
一方で、上述したようにDVの被害者の1割は男性で、実はこのケースもなかなか深刻。
僕の知人には、奥さんに肩を思いっきり殴られて脱臼した男性や、奥さんに顔面を殴られ、目の周りに青タンが出来てしまった男性もいる。
どちらも笑い話と済ませていたが、この傾向が強まるなら、男性なだけに「DVを受けている」とは言い出せず、流石に笑っては済ませられない。
実際に、別の例で奥さんからの深刻なDVを言い出せない男性も存在すると聞く。
いずれにしても、これまでにないDV被害が台頭してきており、ひとくくりのカテゴリーに当てはめて、同じDVとして議論が出来なくなりつつあるくらい、問題が複雑化している。
悩んでいる時の相談相手
ここ数日、今の仕事と将来的なキャリアの構築で選択を迫られて悩んでいる。
あれか、これか。
考えてみれば、20代の頃からキャリアの選択肢を前にして
その当時の場所とは異なる道を歩む決断ばかりを割としてきたが(大した決断ではないと思うが)
その時はもっと楽に、もっと素早く判断してきた。
それは現状への不満が明らかで、そこから歩みを変えることによって、良い結果が期待できたからだ。
「少なくとも、今よりは良くなる」
というような。
ところが今のようにある程度の安定さと収入を得て、それが世間一般的にもまあまあ悪くないものだと
キャリアへの足かせとなっていてもなかなか捨てられない。
年齢もあるのかもしれないが、未知の世界へ歩を進めることに関して極度なまでに臆病になる。
「決めてから方法を考える」
「考えるよりまず行動」
というが、今回はそれも裏目に出た。
これまでは人に相談せずに決めてきたが、今は積極的に他者の意見も聞くようにしている。
だがそれも、相談する相手が適切でないと、かえって相談しなかった方が良かった結果になる。
僕がまさにそうで、安易に、考え方もバックボーンも将来見据えているキャリアも何もかも違う人間にアドバイスを求めてしまい
返り討ちにあってしまった。
独立したいなら独立した人に、転職したいなら転職した人に、価値のある異動をしたいなら、価値のある異動をした人に。
そうじゃないと、無意味な情報ばかりを頭に詰め込んでしまい、余計に迷う結果となってしまう。
人はなにがきっかけで薬物 "依存症" になるのか
僕はアルコール依存症なのだが、長い間酒を止めているので、自分がなぜ依存症になったのか分からなくなることがある。
今はどんなにストレスがかかっても、僕の中に酒という選択肢はなく、それ以外の方法で忘れるようにしていて、例えばマラソンだったり、意味もなく歩いてみるだったり、人がいないところで叫んでみたりと、とにかく、身を亡ぼすような何かにはけ口を求めるようなことはしていない。
アルコール依存症は最後はしぬしかないからだ。
とはいえ、これだけ誘惑の多い社会になると、これからも道を踏み外さずに生きていけるかは分からない。
そこで今一度、人がなぜ、薬物といったものに依存するのか、そのきっかけについて調べ、考えてみた。
①「一度だけ使ってみたい」という好奇心
②痩せたい、やせ薬、と聞いて
③心理的ストレス、大きなプレッシャーから
④ハイになりたい
概ねこういった理由がきっかけで、最初に薬物に手を出すようだ。
厚生労働省のHPでは、その殆どが "好奇心" から薬物に手を染めてしまう、とあった。
薬物は一度でも使用してしまうと、脳の一部が、その薬物によって植えつけられた強烈な "快楽" "多幸感" によって変化してしまい、それを求めるために薬物欲求が止まらず、覚醒剤等は常用してしまうと最後はそれなしでは日常生活が送れないため依存症に陥る。
薬物は今や多種多様で、ヘロイン、コカイン、覚醒剤、LSD、MDMA、大麻、危険ドラッグ、シンナー、そしてアルコールもそれに含まれ、中でもアルコールや大麻は敷居が低く、大麻の場合は世間一般では "依存性はない" という認識が強い。
本当にそうなのかは、僕はアルコール以外をやったことがないので分からない。
記憶にあるのは10年以上前に、僕を含め友人と三人で飲んでいる時に、うち二人が大麻をやり出して突然笑い出し、朝方までずっと楽し気に、二人とも笑っていたのが印象的だった。
僕も勧められたが、さすがに本能が "ヤバイ" と訴えてきて断った、今でもそれは良かったと思う。
なぜなら、大麻は、それ以外のドラッグへの入り口になる可能性があるからだ。
大麻だけに限らない。
例えば、マーシーこと田代まさしは、逮捕時はコカインと覚醒剤を使用していたが、10代のころはシンナーを使用していたことを告白した。
「僕はシンナーを吸っていたけど、ある時期がきたら止めることが出来た。だから覚醒剤を始めた時も時期がきたら止めることが出来ると思っていた。でも、無理でした」
シンナー
清原和博氏も、現役時代に覚醒剤使用疑惑があったものの、昨年の独占告白の際に、現役中は覚醒剤は使用していないと否定したが、巨人でプレーしていたときに、グリーニーと呼ばれる薬物(疲労感を無くし、身体的能力を向上させる)を使用していたことは認めた。
二人のきっかけを見ると、 "軽い薬物" でも、最終的には覚醒剤、コカイン、ヘロインへと繋がる可能性は高いことが分かる。
一度目の薬物さえなければ依存症になることもないが、マーシーは初めて覚醒剤を使用した理由として、仕事へのプレッシャーからだとその著書で触れていた。
若いころにシンナーをやっていたこともあり、恐らく覚醒剤への抵抗感も低かったのだろう。
清原和博氏も、引退後のキャリアへのプレッシャーがきっかけで覚醒剤を使用し始めた、と告白した。
上述のきっかけの、③心理的ストレス、大きなプレッシャーから という点が二人とも共通している。
僕が酒におぼれたのもそれが理由だし、加えて ④ハイになりたい ということもあった。
普通に生きていると、毎日同じことの繰り返しでつまらない。
また、これだけ閉塞感のある社会で、日々様々な重圧や圧迫を受けていると、どうしても息が苦しくなる。
そういう心の隙間をかいくぐり、巧妙に薬物は人生に侵入してくる。
薬物使用年齢の低年齢化が問題視されているが、一方で、覚醒剤をはじめとした薬物の上得意は、これまでのように若者ではなく、ちょうど清原和博氏のようなある程度の年齢層に達した立派な大人たちであることもまた事実。
30代の若年層から、50代くらいまでの中高年層が新しいターゲットになっているようだ、彼等には何しろお金がある。
そしてちょうど、ストレスのかかる年齢層だ。
ストレスは解消することは本当は出来ないものだから、いかに忘れるか、コントロールするかが大事になってくる。
となると、感情のコントロールが苦手な人は、どうしても薬物依存になりやすいことは否めない。
ストレスがかかりやすく、プレッシャーも感じやすいからだ。
薬物厚生施設に所属するとある女性のドキュメンタリーを観た時も、その女性が感情の渦に巻き込まれ、涙を流し、 "薬物に逃げたい" という葛藤との戦いが描かれていたが、上手に感情をコントロールするのはそのくらい大事なことなのだろう。
いずれにせよ、ちょっとしたことがきっかけで薬物に手を出してしまう可能性は、誰にでもある。
それがどのくらいの代償を支払う結果になるのかは、全てを失った薬物常用者を見れば分かるはずだ。
人前でスピーチしなければならないときに読む小説
スピーチの極意十カ条
一、 スピーチの目指すところを明確にすること
二、 エピソード、具体例を盛りこんだ原稿を作り、全文暗記すること
三、 力を抜き、心静かに平常心で臨むこと
四、 タイムキーパーを立てること
五、 トップバッターとして登場するのは極力避けること
六、 聴衆が静かになるのを待って始めること
七、 しっかりと前を向き、左右を向いて、会場全体を見渡しながら語りかけること
八、 言葉はゆっくり、声は腹から出すこと
九、 導入部は静かに、徐々に盛り上げ、感動的にしめくくること
十、 最後まで、決して泣かないこと
上記は、「本日はお日柄もよく 原田マハ」という小説からだ。
一般会社員として働く27歳の女性主人公が、スピーチの素晴らしさと魅力に惹かれ、そしてその道のプロと出会い、ひいては政界で自身の才能を開花させていく、といったような内容。
ビジネスと政治の場一辺倒ではなく、多少の恋愛模様も描かれていて、30万部以上売れ、ドラマ化も決定しているようだ。
意外とおろそかにされがちな、この "言葉" と、"スピーチ" 。
日本で一番売れている作家の村上春樹氏が出す作品はどれもスマッシュヒットで、その著書は世界中のファンを魅了するが、村上氏の小説が売れている理由は、"言葉" と "言葉" の組合せが恐らく誰よりもうまいからだろう。
前アメリカ合衆国大統領のバラク・オバマ氏にも、専属の若いスピーチライターの存在が大きかったとされる。
上述の「本日はお日柄もよく」では、その内容は別にして、聴衆に語りかける "言葉" を自由自在に操るプロについて描かれているところは斬新で、結婚式やその他の公の場で、スピーチをしなければならない人にとって真似できそうなところもたくさんあった。
「"CHANGE"という言葉を少し変えるだけで、"CHANCE"になる。
大切なのはこれ、GをCに変える、ちょっとした勇気を持つことです」
例えば↑↑↑のような、バラク・オバマ前アメリカ合衆国大統領の演説になぞらえ、日本人が喜びそうな、かつすぐに使用できるフレーズがこの小説には溢れている。
これだけ情報発信が入り乱れ、常日頃メッセージの相互受信を求められる時代には、これまで以上に言葉の持つ力の重要性が意味を持つことになる。
スピーチや言葉で世界が変えられるかというと、それは分からないが、少なくとも歴史書に名前が記載されている偉人は、やはり聴衆に語りかける能力に長けていた、という側面があることは否めない。