何も考えないというのは簡単ではない
多くの人間が取りこし苦労に頭を悩ませ、心の中が不安でいっぱいになり、ついには精神や身体にまで悪影響を及ぼしてしまう。
一方で、何も考えていない人間もいる。
「あなたは良いよね、悩みなんかなさそうで」
僕は20代のころよくそう言われていたが、実際のところはそんなこと全く無くて、神経質で小さなことにいつまでもこだわる性格が嫌で仕方がなかったから、あえて、周りにはバカのように振る舞っていた。
悩みなんかない、という風に。
何も考えていない人、というのはそういう人間ではない。
本当に、何も考えていない人がいるのだ。
ニワトリのような目をして、口を開けて仕事に取組み、起承転結の無い中身の無い話をし、その内容すら何を話しているのか自分でも分かっていなくて、全く深みの無い人間だ。
決して馬鹿にしている訳ではなく、僕は知人に何名かそういう人がいるが、振る舞いや生活スタイルはさておき、実に幸せそうだ。
考えてみれば当たり前だ。
人にどう思われているのか気にしていないのではなくて気付かないし、相手の気持ちもくみ取れなかったりするので無駄な悩みが無い。
「嫌われる勇気」がベストセラーとなったが、勇気なんか持っていなくて、それを素でやっているのだ。
意図を読み取れないその姿勢に当初は腹も立ったりはしたが、ふと思ったのは、こういった人間が今の時代では最も強いのではないかということだ。
朝起きてから、夜寝るまで、我々は様々なストレス負荷をかけられる。
その影響は甚大で、精神も肉体も破壊してしまうほどの威力があり、人生までもをも変えてしまう。
何も考えていない人間はそんなことに思考回路を使用しないので、悩まされることも破壊されることも無い。
何も考えないということは、深みのある話や相互理解は出来ない可能性があるが、ニコニコしてさえいればコミュニケーション上では問題は生じないはずだ。
先日、統合失調症(精神分裂病と呼ばれていた)の病と付き合いながら社会生活を送る人たちのディスカッションが行われていた。
ある日突然、 "鳴っているはずの無い電話音が鳴りやまない" 幻聴の症状が始まり、次第に幻覚や妄想に悩まされこれまで普通に送っていた生活を続けることが出来なくなった...
そんな内容が語られていて、とある作詞家の女性も、キャリアの絶頂期に突然、統合失調症を患ってしまい、遂には自殺未遂まで至ったらしい。
今は適切な診療と適度な薬を服用し、社会復帰を果たして仕事もこなし、徐々に好きな歌の仕事にも手を付けているようだが、それでも以前のような生活に戻ることは出来ず、自分にできることをちょっとずつ進めているようだ。
以前、統合失調症の知人が隣人トラブルで揉めていた時に仲裁をしたことがあって、彼等は薬を服用している時は一般人と殆ど変わらず、会話も普通に行う事が出来るが、薬を飲むのを忘れてしまうと、幻覚や幻聴、妄想に悩まされるため、そうなるとどうしても自分だけではなくて家族や近隣住民にも迷惑をかけてしまいがちだ。
平凡な社会生活を送ることすら困難を極める。
統合失調症の原因にはストレスが深く関わっているとされているが、元々が物事を深く考えてしまう質だからそういう病になってしまうわけで、治療としては薬で思考を停止させる必要もあるのだろう。(様々なケースがあるでしょうが)
そんな人間が、何も考えない、という行為を実行するには非常にハードルが高い。
実際のところ、女性作詞家にしても曲を創造する仕事という職業柄、 "深く考える" ことを強く求められ、それがキャリアに繋がっていた部分もあるだろう。
完全なるチェックメイトという映画では、かつて世界に名をとどろかせたチェスの天才であるボビーフィッシャーが、ソ連のボリス・スパスキーと対戦し伝説となった一局を再現したシーンが描かれていた。
あまりに頭脳を刺激するために、ボビーフィッシャーはちょっとした物音に対しても神経質になり、「FBIに監視されている」という妄想にもとりつかれていたことから、突然試合の場所変更を申し入れ、倉庫のようなところで観客もいない形式の試合を行う。
その様子はなかなか噴飯ものだが、当の本人は大真面目であり、結果として彼は、アメリカとソ連の代理戦争と言われたこの対戦に勝利し、多くの人々に称賛され、偉大な仕事を達成することになる。
このことからみても何も考えないずに、"創造" 的な仕事をすることは容易ではないことが分かる。
とはいえ、これは極端な例えかもしれないが。
多くの一般人の場合は、常々思考を強いられがちな現代社会においても、 "頭を空にする" 練習と訓練を行う事によってある程度のレベルまで達することは出来るだろう。