日本人の年間自殺人数が多い理由
参考文献やニュースその他を読まずに、今日僕なりのひとつの解釈が出た。
それは、信仰を持っているか否かだと思う。(既に言われているだろうが)
例えばこの男性。
-たった2日で22年を失った男-
25歳のマーティンはシドニーに住み、仕事である車の販売も好調だった。
しかし手っ取り早く大金を稼ぎたいと思い、報酬20万ドルでタイからオーストラリアに麻薬を密輸しようとして、出国時に空港で発見されてしまう。
隠し持ったヘロインは4.7キロ。
それは死刑に相当する量だったが、奇跡的に懲役40年に減刑される。
タイで最も危険な刑務所でマーティンは生き抜くことができるだろうか。
~ ナショジオチャンネルにて ~
40年といえば終身刑にも等しく、人生の殆どを塀の中で過ごすことになる。
それでも彼は10年間はしぶとく生き抜く。
だがその後、当初収容された刑務所よりも更に過酷な、重犯罪者が送られる刑務所に収監され、他の受刑者からも命を狙われる過酷な生活とプレッシャーから精神に異常をきたし、ついに自殺を決心。
断食による餓死を試みる。
数週間が過ぎ、いよいよ彼のもとにも死が訪れるという時、イスラム教徒のパキスタン人と出会う。
ハビブと名乗るパキスタン人は毎日のように、彼に「自ら命を断つ権利はない」と語り掛けた。
そして断食から31日目の朝、マーティンは断食をやめ、イスラム教徒となることを決める。
その後は、タイ国王の恩赦により、40年の刑が22年と短くなり、2015年に終えた彼は、母国オーストラリアの地に戻ることが出来たわけだが。
自分の想像をこえる、また精神的な限界を大きくこえた現実にぶちあたると、人間はもろいので多くは死を選択肢の一つとして掲げる。
ただ、それを実行に移すか否かの分かれ目は、マーティンのケースと日本人の自殺率から見るに、やはり信仰だろう。
日本は八百万の神と古くから言われる独自の概念から、厳格な宗教は浸透していない。
それは、千と千尋の神隠しに代表されるように、あの不思議な神々の存在を誰もが身近に感じているということの表れだが、時としてその概念はかなりもろく、人生における過酷な状況時には、個人の支えにはならない。
支えにならないから、自分で自分をあやめてしまう。
だが、イスラム教の教えだと、アッラーは自分で自分をあやめることを許さない。
別の切り口でいえば、例えば、日本人は真面目で、勤勉で、責任感が強い、というのが一般的な見られ方だ。
だから何らかの不運に見舞われると、"その責任は自分にある"と、自分で自分に刃を向けてしまい、それが行き過ぎて自殺になってしまう。
これが信仰を持っていると、「この試練は神が私にお与えなさったものだ、だから耐えよう」といった受止め方が出来るので、ともすればそれは、自分以外の何かに"責任転嫁"をしているようにもみえる。
そういった人々は、自分で自分を追いつめるようなことはしないし、当然、自ら命を断つこともない。
だから誰しも信仰を持つべきだ、といいたいわけではない。
ただ、信仰を持つことそのものが、結果としては死という選択肢以外の選択肢に目を向けさせている、という事実がそこにはある。
とはいえ、"信仰により一人の人間を救った"という見方がある一方で、単に"宗教に勧誘した"という見方があることも否めない。
それに、責任感が強いはずの日本人でも、大企業の経営者や政治家となると、厚顔無恥な人間が多く、誰しも保身に走り、逃げてばかりで責任を取ろうとしない。
その場合は、一番弱いところから死んでいく。
それが、年間3万人近くという数字の、何割かにあたるはずだと、僕はそう思っている。