自分で限界を知っている人間は対処法を心得ている

双極性障害の友人がいる。

 

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最近は落ち着いているようで仕事もしており、僕と話していても、気分の落ち込みや妙にテンションがあがったりだとか、そういったことは全く無く常に安定している。

 

先日、その友人と話す機会があった。

僕自身落ち込むことがあり、話す相手がいなくて、たまたま捕まったのがその友人だったのだ。

 

苦しい時に話を聞いてくれる友人が一人でもいるのは本当に素晴らしいことだ、それは恐らく多くの人間が実感していることだろう。

 

彼は特に口を挟むでもなく、淡々とこちらの話を聞いて、時折、返答する、といったことを繰り返していた。
話を遮るでもなく、淡々と、まさに傾聴だ。

 

僕の気分が大分楽になってきたこともあり、友人に、

 

「一体きみはなぜそんな風にいられるんだ」

 

と質問してみた。

 

"そんな風" に、というのは、精神障害を患っていながらも安定した状態にいられるのか、ということ。

 

彼は、自身がそういった障害があるということ、またそれは遺伝による傾向も多くみられることや自身の祖先にもその片鱗が見られたことなどを挙げ、

 

「それが分かって(不可抗力である場合もあると)、 "付き合っていくもの" ととらえてからは楽になった」

 

と話した。

 

自分の限界がどこにあるのか分かるようになり、その限界をこえるような仕事を引き受けないようにし、そして限界を我慢して我慢していつの日か爆発してしまう、といったことを避けることが大事だ、とも語った。

 

多くの人間が、 "我慢" が大事でどこか美徳のような風潮もあり、それは決して否定はしないものの、例えば本来向いていない仕事を心に反してやり続けたところでやはり限界があり、これがどこかの段階で爆発して何らかの精神疾患を発症してしまうと、これまで積み上げてきたものがゼロになり、文字通りゼロになり。

 

しかも、そのツケを自分が払う事になる。

 

「そうなる前からSOSのサインを、周りに出せるようにしておく姿勢が重要」

 

友人はそう語り、積りに積って決定的に駄目になってから、実は限界を越えていたことを、自分自身とそして周りの人間が知るのではなく、その大分前から知っておくようにする、そういう環境を常に整えておく。

 

彼自身、今は自分の障害と向き合い、出来る仕事と働き方を見つけたようで、ちゃんと社会復帰し、定期的に病院に通って薬も処方してもらっているようだが、これも強すぎる薬のようで仕事に差し支えがあるために今は殆ど薬を飲んでいないようだ。

 

それでも、自分の限界とペース、そして障害に向き合っているから体調を崩すこともあまりない。

 

面白いのは、仕事や働き方と人生の歩み方、そして自分の限界をジェンガになぞらえた持論を話したところ。

 

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「常に限界に挑戦して、ジェンガのブロックを一つずつ抜き取って、上段に積み上げていく作業を延々と続けていく」

 

限界に挑戦して常にジェンガに臨む姿勢とその姿は周りから見ても美しいが、いつかは必ず崩れるので、積み上げたものは一瞬にしてゼロになる。

 

ゼロになったツケを払うのは、これまで、自分自身に対してああでもないこうでもないと言ってきた周りの人たちではなくて、常に自分であると。

 

友人自身大変な思いをしてこの考え方を体得したようで、

 

ジェンガに興じているふりをしつつ、例えば、実は隣でこっそりトランプタワーを作って楽しんでいる」


そんなやり方をしてもいいはず、と僕に微笑んだ。

 

ジェンガに興じているのは自分自身でジェンガそのものは自分の人生、仕事、その他全て周りの人間が見ている "自分の全て" を象徴しており、自分だけの "人生" やり方、生き方の象徴がトランプタワーだ。

 

「障害のこともあるので、谷があれば山があること、下がれば上がることを体で実感しているから、"今は苦しくても、これから良くなる" といった考え方も出来るようになった」

 

とも話し、落ち込む僕を励ましてくれた。

 

これは僕にとっては画期的な出来事であり、彼との数時間がまさに、ちょっとしたカウンセリング、キリスト教であれば懺悔の時間にも似たようなもので、僕の中にある負の力が解放されて、また翌日から動き出す力を得ることが出来た。


日本もどんどん変わってはいるものの、友人のようなつまづいた人間に世の中はまだ厳しい面がある。

 

だが一方で、彼等もただ転びっぱなしではなくて、痛い思いをしてそれなりに学び、対処法を心得て力強く社会復帰を果たしている。

 

そういった人間は決して弱い訳ではない、弱さを知る人間が実は最も強いと僕は思う。
だからこそこうして助けられることもある。