会社と結婚してはいけない
USJ、V字回復の立役者となった森岡毅氏の著書に記されていた言葉だ。
・「職能」を選べない日本企業が多い
・日本企業の多くは、能力を縦に伸ばさず、年功序列でキャリアの進度も遅い
・間違いなく終身雇用は崩壊するだろう
森岡氏が就職活動を行い複数の企業から内定した1995年代当時、この3つの観点から日本企業への就職はせず、外資系企業であるP&G-プロクターアンドギャンブルへの入社を決めたようだ。
「個人が会社と結婚したいと思っても、会社は個人と結婚することはできない」
「右肩上がりの成長が望めない時代に終身雇用を維持していくのは数学的に不可能(略)生き残るために企業は、年功序列も終身雇用も崩して人事コストの最適化をはかるに違いない、企業に必要なスキル(職能)のみに値札がつく時代がきっとやってくるはず」
こういった思考回路を当時から持っていたというから根っからのマーケッターというか、知性の高さを感じる。
だがこれまで、僕が歩んできたつたない転職人生を振り返ってみても、やはり望んでいるスキルを磨く機会が期待できる仕事や、心からやりたい仕事に就くことは日本の組織においては容易ではなく、長い期間働いている同年代の友人を見ていても、会社に対して殊勝なことは言ったりするが、実際は何の能力も身についていない事が多い。
放り出されてしまえば一瞬で食えなくなってしまう。
「会社ではなく職能で選ぶ」
ことを森岡氏は勧めているが、それとて僕のような学の無い人間が、転職を良しとしない文化を持つ日本においてその方法を取ること自体はなかなか容易ではない、出来ないことはないが、非常な困難が伴う。
不動産業界への転身を望んでいる僕の最近の転職活動でいえば、求人広告には「正社員 売買仲介業務」と出ていた会社へ赴き実際に面接を受けてみると、
「最初は試用期間で時給〇〇円からスタート。売買の前に学んでもらう事もあるので例えば清掃業務とかそういうのもやってもらいます」
とか、広告に出ていないことを平気で要求してきて耳を疑う。
弱小の不動産会社においては売買仲介がちょっとした花形業務になっている点はあるものの、このようなやり方はフェアじゃない。
今回のケースだと、キャリアの最終関門としては売買業務は"やらせるかもしれない"が、最初は違う業務をやらせるし、その会社としても、実のところは違う業務をやらせるための社員を本当は募集しているのだ。
こんなことに巻き込まれていては時間だけが無駄に過ぎてしまう。
僕のような人間が、自らが望む職能を身に付けたいと思えば、限られた時間と、自らの適正と現在手に持っている能力、そして可能性を照らし合わせ、どの道が開かれているのかをまず考える必要がある。
足りないものがあればそれを見に付けていく必要もあるだろうし、もしかするとそれは自分の本来の適正ではないのかもしれない。
出来ることと好きなことは必ずしも同じではない
といったことも、職能や生涯におけるキャリアの築き方においては知っておく必要があるだろう。
こうして見て見ると、
人生における選択肢を多く持っていること
例えば森岡氏のような人間は、その選択肢の多さそのものがその人間の優秀さ、また希少価値の高さを表しているのだと痛感する。
同じ土俵で戦う事を考えていてもうまくはいかないので、もっと別の思考を持つ、別の視点を持つことが僕のような人間には求められてくる。