世界の風俗桂林編
中国では、風俗については厳罰に処罰されるらしい。
桂林でも、表向きは風俗店、いわゆる性サービスを提供する店は看板を出していないが存在はしている。
移動する時に使っていたタクシーの運転手に尋ねると、やはりあった性サービス店。
ホテルにチェックインを済ませ、タクシー運転手の案内がされるままに現地へ。
すると、かつてはホテルだったのか、今は廃墟ビルとなっているところへ連れていかれる。
おばさんたちがたむろしていて、野良犬もあちこちにいてとても性風俗サービスの地域ではないが、運転手は「大丈夫大丈夫」とばかりについて来いと促す。
入口の看板、表向きはSPA、という事らしい。
部屋の一室に通されて、これから女性を連れてくるからその中から選べ、という。
内容は、本番含めすべてのサービスありの90分で430人民元。
¥7,000くらいだが、安いのか高いのかは女性を見ないと分からない。
とはいえ、あまりに雰囲気が怪しすぎて怖くなってしまい、女性を見る前に店を出ることに。
タクシー運転手の案内を断り、自分で探すことにした。
中国全土かどうかは分からないが、桂林では少なくともホテルの中に性サービスを提供する店が併設されている。
見た目は格式高そうなホテルでも、エレベーターに乗り、一つだけ階が押せない場所があって、そういうところは殆どが性サービス店の階だ。
画像が切れてわかりづらいが、このホテルもやはりそのような仕組みになっていた。
7階が性サービスを提供する店で、エレベーターは7階では降りられないため6階で降り、非常口から7階に上がる。
すると、やはり非常階段にも関わらず階段にはカーペットが敷かれ、入り口は多少飾り付けがされ、いかにも、という門構えの店が現れた。
表向きはやはりSPAとマッサージ店だったが、当然のことながらそこは風俗店。
90分の性サービスを、700人民元から提供する店だった、¥11,000くらいだ。
ここでもやはり部屋の一室に通されて女性が連れてこられる。
6名くらい女性が入ってきたと思ったら、一斉にこちらに向かって大声で中国語で挨拶する。
そして一人一人自己紹介し、コンシェルジュのような女性が一人一人の料金を説明していく。
一番高いので1,100人民元、¥16,000くらいだ、日本の地方のソープ価格くらいだろうか。
女性はと言うと、皆20代前半と若いが、容姿はピンキリでプロポーション抜群の女性は一番値段が高いし、いまいちの女性は値段も一番安い、と非常に分かり易い仕組み。
何度か女性の面通しをしてもらったが、アジアでこういった遊びをするのは危険と心得ているので最終的にはこの店も出た。
中国には性風俗サービスは殆ど無いのかと勝手に勘違いしていたが、やはり、最も古い商売は売春とい言われているだけあって、中国にも実に巧妙な形でその手の店は存在していることが分かった。
世界の風俗は面白い。
快楽を求めて脳内麻薬を出しまくる
マラソンランナーが経験する、"ランナーズハイ"というのがその脳内麻薬が頭に出まくっている状況のようで、モルヒネの5、6倍くらいの効果があるとかどうとか、そういった書き込みがそこここにある。
本当かどうかは知らないし、僕はマラソンを日課としているのだが、高揚感のようなものならば味わったことがある。
"自分は何でもできる" といった、ある種の万能感ともいうだろう。
だが、モルヒネの数倍というのは誇張し過ぎだ。
それならマラソン愛好者とラリ中が世の中にはもっといて良いはずだし、僕自身マラソンは苦痛でしかなく、ストレス解消と体力増強以外の意味は見出だせない。
中島らも氏が書いた、アマニタパンセリナという本では、様々なドラッグが氏の体験談も交えて紹介されており、僕はファンでもあるから今それを好んで読んでいるのだが、マラソンなんかではとても味わえないような薬物ばかりだ。
大昔はガマガエルを口に含むことにより、ガマガエルが持つ毒を薬物として接種していた人々も存在していたようで、今も昔も人間が薬物に求めるものは同じということがわかる。
中島らも氏は、「薬物やアルコールといったドラッグ性のモノにてを出す理由は、やっている側からすれば気持ちいいから」と話していたが、それは事実だろう。
とはいえ日本ではアルコール以外の殆どが禁止されているので、犯罪に手を染めたくない多くの人間は、酒に手を出すか、僕のように酒が飲めない者はその他の事を実行する。
その1つが、先程のマラソンだ。
上記にも記したが、マラソンではとてもあのような感覚は味わえないと個人的には思う。
だが実際にはランナーズハイというものは本当に存在するらしいところを見ると、走る距離や時間と身体への負担によって表れるものなのだろうか。
だとすればどれくらい走ればいいのだろう。
ちなみに10~20キロくらいならばこれまでにも走った事は多々あるものの、お腹を壊すくらいのもので、フルマラソンに至っては極度の疲労で満足に歩けなかった。
つまりどちらも、モルヒネのような効果は味わえなかった。
それが目的ではないから別にどうということは無いのだが、毎日のように走っていると、すれ違い様に顔を合わせるランナーもいて、特段挨拶を交わしたりなどはしないが、中には恍惚の表情というか、「イッて」いる方もいるからそれはやはりランナーズハイなのだろう。
マラソン以外で、脳内麻薬が出るものについては何があるのかよくわからないが、だが他人が見れば驚くような苦行にあえて挑戦する人達が存在する事を見ると、あれも快楽を求めてのものなのかもしれない。
小説家のW.バロウズが、「麻薬はひとつの生き方だ」という言葉を残したらしいが、脳内麻薬を出しまくって人生を送るのもひとつの生き方なのだろう。
気が付かないだけで世の中はそういう人間で溢れているはずだ。
FP2級の合格発表
FP協会主催の、今年五月に行われた試験を受けたのだが。
結果は、
合格していた。
FP2級の資格はその難易度に比較して社会的な評価が割と高いこともあり、そこまで難解な資格ではないものの、やはり合格したのは嬉しい。
宅地建物取引士との相乗効果も得られるし、不動産業を生業としたく進めている僕としてはそういった意味でもまた一歩前進した。
このFP2級の試験は、3回目にして合格したのだが、1回目は申込みのみ行い教材等は買い揃えたにも関わらず一切勉強せずに試験当日は寝ていた。
2回目も一切勉強はしなかったが、これではいかんと一念発起し、試験だけは受けた。
そして3回目。
3月下旬から徐々に勉強を開始し、そしてとうとう合格へと至った。
勉強方法は特別なものでは無く、どこにでもあるテキストと過去問題集を購入し、テキストは嫌になるまで読んだ、少なくとも七回は読んだ。
問題集は3往復はし、更に、FP協会のHP上に公開されている、最新の過去問題集を全て一回ずつ解いた。
要した時間は100時間前後。
結果、学科試験の得点は60点満点中の50点、実技試験は6~7割の得点率だった。
勉強してきた感想としては、当たり前だが勉強すれば誰でも合格可能であるという事。
そして、通学や通信教育によらずとも、独学でも十分だという事。
僕は3回も試験を受けたので費用はテキスト代だけでも1万円くらいかかっているが、1回だけの受験で独学で進めれば費用はかなり抑えられる。
これを取得したからといってすぐに何かに繋がるものでは無いのが残念ではあるが、希望している不動産業界に転職しやすくなった面もある。
とはいえ、サラリーマンという働き方には本当に限界を感じているのでどうにかしたいと思う毎日だ。
桂林で食べた食事
桂林の食事がどのようなモノか分からず、また、以下のようなブログもあることから
食事についてはあまり期待できない、という風に思っていたのだが。
これがなかなか美味しかった。
とはいえ、桂林特有の料理というよりも、一般的な中国料理を屋台で食べた、という表現が適切かもしれない。
まず初日は飛行機の遅延トラブルで航空会社提供の弁当を食した。
ミートボールと野菜炒めと卵焼きの中にひき肉を入れたようなもの。
日本で食べる味付けと何ら変わりなく美味しく食すことが出来た。
二日目の朝は名物のビーフン。
朝7時から営業している飲食店に入ったのだが、食べるのに夢中でビーフンの画像を取るのを失念。
薄い味付けでこれも旨かった、朝食として食べたのだが量が非常に多い。
二日目の昼は、屋台で食べた。
ザリガニを唐辛子ともやしで煮たもの。
ザリガニなんて大丈夫か!?
と思ったのも最初だけで、エビと何ら変わりない、身がやや少ないと言った印象。
そして上記画像の下から二つ目の、川魚のビール煮。
これも旨かった、トマトが非常に良い味を出していてご飯も進む。
加えて空芯菜を炒めたものと一緒に食べて昼は終了、ボリュームも大満足。
その日の夜もやはり屋台で食事を取った。
上から卵豆腐、豚肉の唐辛子炒め。
ニガウリと卵の炒めものも美味しかった、沖縄にはゴーヤーチャンプルーという料理があるが、それを彷彿とさせるもので、沖縄の料理は中国料理に強く影響を受けているのかもしれない。
これらの料理で缶ビール一杯で、大体1,600円くらい。
ほろ酔いでしとしと雨が降る梅雨の桂林をフラフラと歩いて帰った、非常に心地良い気分だった。
3日目は、観光地で出た弁当くらいしか食べていなくて、後は適当に済ませてその日の深夜に帰国の途についた。
この弁当は肉団子以外美味しくなかった(泣)
桂林は中国でもまだまだ田舎になるのだろう、ホテルの中にある飲食店以外は、お世辞にもきれいとは言えず、胃袋がナイーブな日本人はお腹を壊すのかもしれない。
僕はお腹は壊さなかったのだが、ウェットティッシュを持参しそれで現地の箸や皿を磨いて食べるようにしていたし、火が通ったものだけ口に入れていた。
そこまで神経質にならなくても大丈夫かもしれないが、ミャンマーに行った時はホテルで出された食事でお腹を壊した。
日本は潔癖すぎるほど衛生面が行き届いているが、一方では他国に行くとそれがかえって仇となり恐らくお腹を壊しやすいのかも。
心配な人は屋台では食事をしない方が無難だろう、あるいは胃腸薬を持参する等といった前準備も忘れずに。
予定通りにいかなかった桂林の旅
先月、日本から上海を経由して桂林に旅行した。
上海までが大体2時間半くらい、そこから桂林が1時間40分くらいなのだが、まず、当たり前のように上海行きの出発時刻が遅れた、中国の航空会社だ。
1時間遅れで出発し、近代的なつくりの上海浦東国際空港に到着。
そこから5時間ほど待機し、現地時間21時に桂林行きの飛行機に乗るはずだったのだが。
ここでもやはり遅延、上海は分からないが桂林は今梅雨の時期なので雨が凄い、そのためらしい。
遅延の時間が凄かった。
なんと、3時間遅れ。
しかも、出発搭乗口を3回ほど変更した挙句、最終的には元の搭乗口に戻るという、何とも中国らしいやり方。
現地の人は慣れているのか腹を立てている様子はないもののしきりに航空会社の担当者に何時に飛ぶのか質問を繰返し、担当者も特に悪びれることなく淡々と対応、どうやら謝るほどの事ではないらしい。
だが、さすがにこれだけ遅れると航空会社も何もしないわけにはいかないのだろう、弁当と水を無償で支給してくれた。
ご丁寧に温めて出してくれた。
僕は大食いなので1つだけでは足りないのだが、後ろにいた同じ桂林行きの現地の人が、弁当を更に1つくれた。
弁当も人間的も温かい。
そうやって桂林に到着したのだが、最終的にその日ゲストハウスに到着したのは夜中の3時過ぎ。
移動だけで1日が終わってしまった。
中国はあまりに大きいので移動だけで大分時間を取られてしまう。
本格的な観光は翌日からとなった、中国旅行を計画している人は、スケジュールを少なくとも3泊は取っておいた方が良いだろう。
中国は危険だという先入観
中国の広西にある、桂林。
http://m.arukikata.co.jp/city/KWL/
先日そこへ旅をして来た。
結論から言えば非常に素晴らしい場所だった。
中国という国にたいしてかなりの抵抗があり、毎日のように日本で流れる中国のネガティブニュースを真に受け、危険だという刷り込みがなされたままの渡航だった。
渡航前に、
軍事施設に立ち寄らない
無闇に撮影しない
見知らぬ人間の荷物を預からない
食中毒と飲み水注意
スリに注意
その他ぶらぶらぶら。
その手の情報を調べあげればきりがなく、とにかく不安で仕方なかったのだが。
人々はおしなべて素朴で親切な人も多く、のどかなところだったし、梅雨の時期で雨がちではあったものの、ゆっくりとした時間が流れていた。
桂林という、観光地特有のものでもあったのかもしれないが、そうだとしても非常に、良いところだった。
桂林についてはまた記したい、いずれにしろ、中国は危険だという先入観を捨てる大きなきっかけとなった旅だった。
議論するとその後に大抵しこりが残るのは否めない
日本人は人と摩擦を起こすのを嫌がる、議論はどんどん交わすべきだ
という考え方と
議論はしない方が良い
という考え方があって、これまでは後者の方が多かった印象があるが、これだけ多様性が広がり個性や考え方を重要視したりする風潮が高まってくると、前者の考え方も良しとする雰囲気もある。
僕は後者なのだが、最近友人と議論に発展してしまってやはり後味を悪くしてしまった。
人から批判的なことを言われるのが僕はあまり好きではなくて、勿論、第三者の意見を取り入れるのも大事だから全く何も聞かないわけではない。
これまでは議論をするのも好きでは無かったので、自分の考えは発信せず、相手の発言を聞き、相槌を打ち"そういう考え方もある"という程度の認識で、あまり深く考えずに受け止めていたのだが、そうしていると相手も僕があまりにもハイハイと聞くものだから、次第に自分の価値観を押し付けるようになってきてこちらの考えていることを内容を聞かずに僕をコントロールしようとしていることに気付いた。
この、"相手をコントロールしようとする"というのは、本人も気付かずに行っていることがあって僕自身、第三者に意見を求められた時に相手をコントロールしようとしている自分の姿を見て驚いたものだ。
そうなると、こちらの意見を相手に向かって発信することも、かなり大事になってくる。
相手に自分の考えを分かってもらわないと、建設的な話が出来ないし、それをしないと自分自身が考えている自分と、相手から見える自分にかい離が出来てしまい、話している内容がおかしな方向にいくためだ。
だがこれがなかなか難しくて、どうしても相手を否定したり、反対意見になってしまうものだから、今度は向こうもムキになってどうにかしてこちらを納得させようと躍起になり、最後にはお互いが感情的になって収拾がつかなくなる。
先日の友人との会話も、まず僕が先に感情的になってしまい、今度は友人が僕を納得させようとして感情的になり、
「日本人は一般論としての話が出来ないから議論が出来ない」
と友人は言い放った。
その友人自身も、自分が感情的になったことに気付いていなくて、論点もズレて何の話をしているのか分からなくなっていることも分かっていなかった。
松下幸之助氏は、何か事を決めるとき第三者に意見を求め、それに黙って耳を傾けたというが、これは実は本当に難しいことだと気付かされる。
何も話を聞かないと良い考えは思い浮かばないし、かといって第三者の意見をそのまま全て自分の中に入れてしまうと、時には相手が自分をコントロールしようとしたり、感情論に発展してしまい何が何だか分からなくなることも。
こういった事態を防ぐためには、やはり、議論をしないこと、個人的な主観だがこれに尽きると思う。
議論好きの知人を二人ほど知っているが、彼等が議論を始めると周りの人間が離れていくのが本当に良く分かる。
どんなに正しくても、その人と一緒にはいたがらないものなのだろう。
そういう意味では友人が言うように日本人はまだまだ議論が出来ない国民性なのかもしれないが、そもそも議論がどいう意味を持つものなのかをきちんと把握し、適切な方法と内容と話し方や言葉の選び方で、それを相手に発信できるような人間は果たしてどれくらいいるのだろう。
加えて不思議なことに、この知人二人は本当に正論をバシッと言うが、どちらも自身の生き方はいい加減だし、とてもではないが人に何か意見が出来るほどの実効性を持っている訳でもない。