自分の悩みは他人事のように、人の悩みは自分の事のように

人間は悩む生き物で、どんなに満たされていても心の中には一つくら悩みがあるものだ。

 

大変な内容ももちろんあるが、僕自身これまで悩んできたことの殆どが、いま思えば下らないことだ。

 

取り越し苦労で心がズタズタになったことも数知れない。

 

そんな時、よほどの強い人かポリシーでもない限りは多くの人間が僕も含めて他者にその悩みを打ち明けるのだろうが、大抵、誰もが、自分以外の他人の悩みなんか大した事無いように見えるから(実際大したことないことが多い)

 

「なんだそんな事か、だったらこうすればいいじゃないか」

 

と軽くあしらい、話すら最後まで聞かず簡単に片づけてしまう。


悩みを打ち明けた方としては、話すことにより整理したり自分の気持ちを消化することも目的だったりするから、

 

「それはそうなんだけど...」

 

と、何だかスッキリしない気持ちが残る。

 

僕も一回り近く上の人間に悩みを打ち明けたところ、その話を途中で遮られ、

 

「お前の問題なんか全然大したことない、俺が解決してやる。
俺なんか、〇〇〇で、それどころじゃないんだ、もっと大変なんだよ...」

 

と、いつの間にかその人間の話を聞く側に回っていたこともあったりした。

 

何だかなあ、と消化不良に陥った心境をなだめられずにいたことを覚えているが。

 


だが気付いたのは、これを逆にするとなかなか良い結果が出るのではないだろうか。

 

具体的には、自分がいま悩んだり考えたりしていることは、きっと他の誰かからしたら、下らない内容でしょうもない事だから、

 

「こんなことは簡単なんだ」

 

という風に、思考を無理やり他者目線に切り替えてみるのだ。

 

かくいう僕もいま実行中で、何かに悩んだり思考を巡らせるたびに

 

「今考えていることは大したことなくて、シンプルかつ簡単でくだらないこと」

 

という風に自分自身に言い聞かせるようにしている。

恐らくすぐには出来ないから練習が必要だが、それによるメリットが少しづづ享受出来ていて、まず、これまでの

 

悩む・考える → 悲観的・暗い気持ちになる → 疲れる → ストレスがたまる → 他の事までうまくいかない → 余計悩む

 

この手の永遠に続くかのように思われる負のサイクルをバッサリ断ち切れるということがかなり大きい。


一方で、人の話を自分のように聞くと、かなり親身になって寄り添うし、無駄にこちらからは口を開かないから相手も全幅の信頼をこちらに委ね、思いのたけをぶつけてきて、結果お互いの距離も縮まるしある種の絆も生まれる。

 

とはいえ、人の話をあまり全身で受け止めて何もかも自分に入れてしまうとかなり疲れるので、ある程度の距離感も必要ではある。

 

いずれにしろ、頭の中で考えている悲観的かつネガティブな内容は、その殆どがゴミで全く根拠のないことだと知るのはかなり効果的ではある。

それは意味すらないのだ。

 

そのような下らない、自分自身の頭を駆け巡る思考や悩みは、早いことゴミ箱につっ込んで、頭の中を愉しいことで埋め尽くす方がよっぽど身体にも良い。

 

人にも優しくなれる。