決められない時はコイントスで人生を決めるのも悪くない
そうは言っても、人はいつでも迷うものだ。
あれか、これか......。
こうやったら、駄目になっちゃうんじゃないか。
俗に人生の十字路というが、それは正確ではない。
人間は本当は、いつでも二つの道の分岐点に立たされているのだ。
この道をとるべきか、あの方か。
どちらかを選ばなけれなならない。
迷う。
(中略)
しかし、よく考えてみてほしい。
あれかこれかという場合に、なぜ迷うのか。
こうやったら食えないかもしれない、もう一方の道は誰でもが選ぶ、ちゃんと食えることが保証された安全な道だ。
それなら迷うことはないはずだ。
もし食うことだけを考えるなら。
そうじゃないから迷うんだ。
危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。
ほんとはそっちに進みたいんだ。
だからそっちに進むべきだ。
-岡本太郎-
人生、迷うことばかりですねー。
例えば僕は大学卒業時の段階で、自らの進路において公務員は選択肢から捨てていた。
なれる程の学力が無かったことは確かだが、それ以上に、一度なってしまったらそれがどんなにつまらなくても辞められない自分の弱さを知ってもいたからだ。
地方公務員の事務職として数十年働き、酒ばかり飲んで毎日暮らしていた近所のおっさんが定年退職したが、今ならそのおっさんがなぜ毎日酒を飲んでいたのか理解できる。きっとそんな人生が嫌だったのだろう。
公務員のような安定した職を辞せない人間は割と多いようで、その悩みは計り知れない。
同じ境遇になったことは無いので理解は出来ないが、気の毒だ。
だが僕は、公務員をやめて他の道に歩んだ人間を三人ほど知っている。
一人目は消防士として就職するも書道の道を捨てきれず、奥さんと子供を抱えながらも書道の道へ転じた。
その人は今や書道教室を幾つも経営する事業者としての顔を持ち、業界では有名だ。
二人目は、警察官を退職して中小企業に就職し、今は自身で会社を立ち上げ、経営も順調のようだ。
三人目は、教員の道を捨て、やはり中小企業へ転職。
そしてその会社の役員まで上り詰めた。
もちろん、それ以外の失敗例もあるのかもしれない。
だが、まだ失敗例には出会ったことがなく、上記の三人は全員、いい顔をしていた。
自分の選択に満足しているのだろう。
何かやりたいことがあったり、頭の中が、その事で埋め尽くされたりするのならば、もうやるしかない。
誰かをがっかりさせる結果になるのかもしれないが、それをやらないことによって、自分自身をがっかりさせるよりはずっといいはず。
そうはいっても、簡単じゃない、そんな安易には決められないんだ、という人があるかもしれない。
その通りだ、自分自身にブレーキをかける理由は幾らでもある、いつでもある。
でも、やりたいことが頭から離れない。
そういう時は最も苦しい時で、僕も経験したが、どちらにいくのか決めるよりも、決められない時間の方がきつい。
精神がズタズタになるし、寝られないこともある。
極限まで悩んで決められないのなら、コイントスで人生を決めるのもありなのかな、と僕は思う。
あまり人生を重く受け止めると何もできなくなるし、将来の事ばかり考えると身動きが取れなくなってしまう。
だから、迷っていることを、コインの表裏にして、あとは運を天に任せてしまうのだ。
表が出てほっとする自分がいるかもしれないし、裏が出てがっくりする自分に気付くかもしれない。
コインの結果に従わないこともあるかもしれないが、そのくらいの気持ちで道を決めるのはきっと悪くない。
少なくともただ悩んでいる時よりは一歩前進する。
一夜にして携帯電話の販売員から世界的オペラ歌手となった、あのポールポッツも
コイントスで人生を決める場面があったらしい、本人に会って直接聞いた訳ではないので分かりませんが。
近頃はコイントスのアプリや、「あなたの迷いをズバッと解決」なるものもある。
アプリに人生を委ねるのもなあ、とは思わないでもないが、無駄な時間を浪費するよりはずっと建設的なのだろう。
だがはたからみて絵になるのは、映画のシーンで描かれるようにコイントスで人生の大事を決する場面。
一人、部屋の中で、「あれか、これか」を考えながら、アプリをいじる姿は、やはりちょっと想像できない。