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あたりまえだろうが、中国でも自殺はあるようだ

自殺。

日本では3万人をようやくきったものの年間多くの人間が自ら命を絶つ。
理由は様々だが、やはり、この閉塞感から逃れたくて不幸な結果を選択してしまうことも多いように感じる。


また、大きな挫折、例えば離婚や就職や自営業、そういったことに関して失敗して立ち直れずに自殺してしまうこともある。

 

加えて最近の風潮としてよく感じるのは、他人の迷惑に以前よりも、それも相当に非寛容になっているところ。
なにかヘマをするとかなり酷く叩かれるのは、もう日常的な光景となったし、そうするとどうしても他者に積極的に頼りづらくなるので、場合によっては生活保護を受けずに餓死するようないたたまれないことが起きるし、迷惑をかけたくないという思いから孤独死が無くならない。

 

一方で、中国社会にも自殺があることを知った。

当たり前だが。
だが、これまで付き合ってきた中国人の友人や現地の書物、彼等の人生観からすると、自殺という概念は無い、というのが僕のイメージだった。

 

友人に言わせれば、日本ほどではないものの、「エリートの自殺があるよ」ということらしい。

 

考えてみれば、あれだけの人口の受験戦争を勝ち抜き、最高峰の大学に入学するだけでも物凄いことだが、そういうエリートでさえ、就職できない、という現実があるそうで、それに敗れて心が折れるのも納得ではある。

 

中国では政府が、起業家を支援するような仕組みが出来つつあるようで、ただそれは、増え続ける就職希望人口を既存の企業では受け入れが出来ないためだ、という見方もある。
それに、世界第二位の経済規模になっても、なぜか日本企業に就職したいという中国人も多い。

そういった、限られた網の目から零れ落ちたエリートは、初めての挫折を味わって、自殺をするのだという。

 

とにかく、図太さにかけては世界一だと思っていた中国人に、まさか自殺という選択肢があるとは驚きだった。


自殺をする人は、本当は他の選択肢が幾つもあるのに、そういうモノは排除してしまったのか、あるいは最初からその人にはそのような選択肢がないのか。

いずれにしても勝つか、しぬか、みたいな二択しかないのだろう。

 

二択は厳しい、二択だとしぬひとはたくさん出てしまう。

二択ではない、違う選択肢を、もっともっと見つけられるような世の中になって欲しい。

それが多くの人間の見本になるのだから。