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距離感を間違うと疲れることになる

この世の殆どの悩みな人間関係に集約されると思うが、その中でもやはりポイントは人との距離感だと感じる。

この場合の人とは、自分以外の他者をさす。

 

美輪明宏氏が、「人間関係は腹いっぱい付き合わないこと。腹六分くらいで十分。他人の問題に首を突っ込まない自分の問題にも立ち入らせない」と話していたが、今の怨恨沙汰が多い時代、本当にそれは重要だと強く思う。

 

僕自身、人に立ち入らないように立ち入らせないように心掛けていた。

だが、数年前に親しい知人との距離感の取り方がうまくいかず、例えばそれ以上は相手に親切にされないようにした方がベターだったかもしれないのに、それをせずに距離感を縮めてしまったがために、"この人と付き合ってもためにならない"と、判断し次第に距離を取り始めた時はすでに遅し、最後にはその人間から首を絞められる事態に陥った。

 

詳細は省くが、他人が客観的に見たら僕が悪いところは殆ど無かったものの、その人を、"僕の首を絞めるくらい"に可愛さ余って憎さ百倍の状態にしてしまったのは、やはり自分に責任があるとしかいえない。(肉体・恋愛関係ではなかった)

 

そうでなくても、自分にすべての責任があると思って、今後の人付き合いを変えていった方が楽になる、人は変えられないのだから。

 

美輪明宏氏の話ではないが、6割くらいの距離感を持てば、相手の嫌なところを見なくて済むから好印象しか残らないし、自分の事も比較的、好意的に見てくれる傾向が強い。

それが6割を下回ると「冷たい人、あたたかみがない」となるし、それだと人生はやはりつまらないので、だからといって6割を超えてくると、相手への執着と支配欲求、おせっかいや過度な干渉にとなり、良くない結果を生む。

 

こうして書いていて思ったが、距離感で大事なのは、何も他者とのものだけには限らない。

自分自身との距離感も大切だ。

過度に自己に集中し執着しすぎると、物事や周りが見えなくなり、暗いことばかりに頭がいってしまい、「なぜ自分だけがこんな目に」「自分はなんて不幸なんだ」といった思考に陥りやすい。

 

もちろん全てではないが、抑うつ傾向にある人は、過度な自己愛と他者への無関心が感じられる。

精神的な解放や自身の心から悩みを一掃する方法の具体的な方法の一つとして、他者への奉仕が挙げられることがある。

「我を忘れて」とよく言われるが、本当に、自分の事はさておき、人のために心から尽くすと、幸福感で満たされることも確かにある。

その時、自分自身への執着からはなれて、はじめて他者に関心を抱いている訳だが、とはいえ他者への奉仕は、まずは自分の心がある程度の幸福感で満たされていないとうまくいかないことも多いし、相手への過度な自己犠牲は、これはこれでかえって良くない結果を生む。だからこれもやはり距離感。

 

こうして考えてみると、自分自身との距離感はそのまま他者との距離感につながるし、それらは単体で完結しているのではなく、双方向に影響を与えている。
だからこそ、どちらか一方に偏ってはいけないのかもしれない。

 

だが、そうはいっても、今のところそんなに簡単にいかないことが多い。

「わかっている」ことと、「できること」は違う。