不動産業界で食べていけるだろうと確信し始めた

久しぶりにブログを更新するが、これまで

 

 

2017年 銀行退職

 

2018年  地元大手建設会社の不動産部門に前職と同水準の給与で転職するも

      わずか三ヶ月の試用期間中に退職に追い込まれ

 

2018年 ↑の半額の給与で零細企業の不動産会社に就職

 

 

で、今そこで三か月が過ぎようとしているが、給与は安いものの何とかやっていけている。

 

fudousankaigyou.hatenablog.com

 

上記のブログでは2年で開業した社長の経験談が記されていて、彼は当初は不動産会社に未経験で転職し、3か月で契約が取れなかったら辞める、と決めていたそうで、僕もそれを見て、まずは3ヶ月で結果を出してやろう、と、出来得る限り全力で働いた。

 

結論から言うと、僕の場合は2ヶ月目にして初契約、3ヶ月目には2件目の契約を得ることが出来た。

不動産売買に携わっているので、売るのは勿論の事、売るものを仕入れる事もかなり重要である。

 

僕はこの3か月で4つの物件を仕入れた、つまり、2件契約をし、4つの物件を仕入れた、ということだ。

 

自分の中で目標にしていたことはクリアできたので、何となく、この業界でやっていける、という確信も持つことが出来た。

 

不動産業界は魑魅魍魎としており、昭和や平成初期時代ほどの荒れた事象は少ないものの、やはり現場レベルでは丁々発止、他業者ともバチバチやり合っていて、手を出さないケンカは日常茶飯事だ。

 

やくざのようななりをした輩と臆することなく当たり前のように接するのだが、最初はその見た目に圧倒されても、こっちも生活と人生が懸かっているため、特に僕の場合は銀行を捨ててきているので、「この契約が他社に奪われたらそいつをころしてやる」くらいの気持ち入れで前に出ると意外と相手も引く。

 

いずれにしろ、ここはゴールではなくスタートに過ぎないし、稼ぎ方は色々あることも分かってきたので自分で勝負できるレベルくらいには早く到達したい、そんな気持ちで毎日過ごしている。

 

 

www.eyasu2008.com

 

 

上記のブログではサラリーマンからセミリタイアに踏み出すまでの内容が記されている。

僕の目からすると、物凄いリスクを取った英雄にうつるわけだが、ある程度のリスクを僕自身が取った今、少なくとも感じるのは、「思っているよりもずっと危険ではないし何とかなる」ということだ。

 

人間というのは手に入れたモノが(収入、社会的地位、その他)傍からみて羨むものであればあるほど、それが例え「これは違う」と思っていてもなかなか手放せないものだ。

 

別にそれが悪いことだとは思わないし自分自身を納得させられるのであればそれはそれで幸せなことだと思う。

 

一方で、人生は一回しかないし、時を戻すことは出来ないので、ある種の選択をした時に、後から振り返って、その選択を後悔するかしないか、後悔するとしてもどのくらいするのか、そういう問いは必要なのかもしれない。

 

僕の場合は、もう少し早く辞めても良かった、出来れば20代に、と毎日思っている。

だがそれとて、これまでのつまらない仕事人生があったから決断した訳なので、これは今更言ってもどうしょうもない。

 

いま歩いている道に疑問を持っていて、むしろ、「この道ではない」と、はっきりとした心の声が聞こえるのならば、その他の条件や周りの声は無視してそっちに向かった方が良い。

 

と、あえて言いたい。

 

 

 

安定を捨てて新しい道を踏み出した

昨年11月、10年近く勤めた銀行を退職した。

新しい分野、具体的にいうと不動産業界で自分の腕試しをしたいという気持ちに蓋をすることができず、二年間迷い、挑戦することにした。

かなり慎重な性格ということもあり、転職先の給与や待遇面の選択にはかなり注力した。

銀行員時代は年収500近く貰っており、高くはないがまだまだ伸びしろもあった。

上がった年収を下げたり捨てたりするのはなかなか容易ではない、と気づいたのも銀行を辞めた時だった。

そういうこともあり、転職先はその年収をある程度加味したもの、というところが僕の次のキャリアでの譲れないポイントになったわけだが。

結果どうなったかというと、まず、銀行員時代と殆ど変わらない年収で建設業の不動産業務を多少取り扱う会社への転職に成功した。

普通、異業種からの転職組の年収は前職よりも低くなるのが一般的なため、これはかなりの好条件であるといえる。

僕は定説を崩したわけだから、「常識にとらわれるな」ということを自身の体験を通して実現させたことになる。

注目すべきはそのあとで、僕は転職先の会社を、3ヶ月間の試用期間が完了したと同時に退職した。

色々と理由はあるが、やりづらかったのは、経営者に直接、「君の給与は高すぎるんだよ、考えなければならない(雇用条件を暗に匂わせる話し方で)」と言われたことだ。

業界未経験のため殆どなにもできない僕に、それほどの給与は差し出したくない、という本音が出たわけだが、そんな環境では働きづらい。

そもそもその会社は建設業だったため不動産実務には結構疎くて、僕が希望している仕事ではなかったということももちろんあるが。

そんな流れから今何をしているかというと、不動産業の会社に再就職し、銀行員時代の年収より40パーセントくらい下回る給与で働いている。
(もともとはそれがセオリーな入り方だ)

こうしてみると、やはり人生というのは分からないものだ。

安定を捨てて違う道に踏み出すと決意したときには、大きな志を持って新しい1歩を踏み出したわけだが、それが試用期間で退職するという、なんともお粗末な結果に終わり、今また違う会社で働き始めている。

こんなことは予想もしていなかったし、勿論、望んだわけでもなかった。(少なくとも顕在意識においては)

芸術家の岡本太郎は、

「計算づくでない人生を体験することだ」

とその著書で語ったが、僕は今その第一歩を遅まきながら踏み出したことになる。

そんな僕を見て、バカな選択をしたな、という人も少なからずいたことは事実だし、自分自身、これで良かったのだろうか、と、思うこともしばしば。

だが一方では、銀行の仕事をあと数十年も続けるのかと思うと気が重くなり、キャリアを自分で選べないことにも嫌気が差していて限界だったのもまた事実。


いずれにしろ、この道の選択の答えが出るのはまだ先の話だろう。

不確定要素が増えた僕の人生で何が起きるのか、あまり重くとらえずに愉しんで受け止めようと思う。

どの道を選んだとこで後悔する、ということを覚えておくと楽になる

昨年、10年近く勤めた会社を辞めた。

 

入りたくて入った会社であり、銀行だったため社会的なステータスも割と高かった。

お金まわりの仕事は好きだが、どうしても、旧態依然とした組織での窮屈な働き方が合わなかったのと、それ以上に、不動産業界で自分がどこまでいけるか試してみたい、という気持ちに抗えなかったのが決め手になった。

 

「自分自身の心の声を聞こえないふりをしていると、そのうち何も聞こえなくなる」

 

どこかで耳にした名言めいたセリフだが、これは事実であり、人間というのは、いま手にしている安定を捨てるのは-それがこの世界で価値あるとされていればいるほど-なかなか容易ではないと気付いたのも、会社を辞める時だ。

 

全く異なる世界で、自分の全人生を賭けて新しい挑戦に挑むことを選択した今、その判断に対して後悔はないかといえばそうでもない。

 

「間違った選択をしてしまったのかもしれない」

 

そう思う事もしばしばであり、それは専ら現在の仕事に向けられるものでは無く、経済的な意味合いが強い。

それは裏を返せば、仕事や業界の選択については正しかったと思っていることでもある。

 

サラリーマンという働き方では、経済的な自由と仕事に対しての満足度を両立させるのはなかなか容易ではない。

 

とはいえこうして考えてみると、人生は選択の連続であり、朝起きてから夜寝るまで、そして死ぬまでの間に我々は数え切れない程に選択を迫られる。

 

朝起きて、クソをしようかどうか、会社で上司に頭を下げるか無視するか、といった下らないことから、子供が欲しくない恋人と結婚をするのか、別れるのか、このまま家族のために好きでもない仕事に就き続けるか、あるいは勝負に出るのかといった比較的大きなものまで、それらは様々だ。


だが、どちらか一方の選択をしたとして、果たしてどれだけの人間が"100%満足した"と胸を張ることが出来るだろうか。

 

ameblo.jp

 

「後悔後悔といいますがね 仮にですよ、もうひとつの人生を選んでいたら、ちっとも後悔しなかったと言いいきれますか?」

「人生には後悔はつきものなんじゃないかなぁと思うの ああすりゃ良かったなぁという後悔となんであんなことしてしまったんだろうっていう後悔」

 

女優の岡田嘉子氏がテレビで上記のように心情を語ったようだが、これは人生の一つの真理を指していると思う。

 

 

numbers2007.blog123.fc2.com

 

「人生最大の決断・結婚でも後悔するんだから、どんな選択でも後悔はある」

 

 

自分自身のこれまで選び取った道を振り返って見ても、今とは異なる道を選んだところで、いずれにしても後悔はしただろうという点はやはり否めない。

どの道を選んだとこで後悔する、ということを覚えておくと、人生は楽に生きられる。

 

選択において重要であると僕が思うのは、「現状維持」を選択せずに、「今とは異なるステージに挑戦する」という選択をすることであり、それはつまり、"自分の気持ちを優先させた" ということであり、何より、たった一度の人生で勝負に出たということは、非常に重要な意味を持つ。


現状維持は後悔しか残らないが、挑戦という選択は最低限、自分の道に納得することは出来る。

一年あれば結構なことができる

去年このブログを始めて、一年以上かけたわけだが、特に得られたことはナカッタ。

一般的には長い時間をかけてコツコツ何かを続けることは素晴らしいことと位置付けられているが、その対称がどういったものか、という点はそれ以上に重要だ。

ある牧師が毎日何時間もかけて、血圧の数字からその日届いた迷惑メールまで、全ての事柄を事細かに日記に書き続けた。
死ぬまでに残した日記は文字数にして3750万語にも及ぶ。

だが、その結果として金持ちになった訳でも、ギネスに載った訳でもなく、奇妙で人目を引く死亡記事によって、頭のおかしな男として世に知られただけ。

僕がこの一年ブログを書き続けてわかったのもこれに近くて、自分がやっていることは公衆便所に書かれている落書きと何ら変わりなく、誰の目にも留まることのない、その程度のものだ、ということ。

卑下しているわけではなく、世の中から注目されているブログや、そこから著書になりお金になるといった経済活動は稀なのだ。

とはいえ、宝くじも買わないと当たらないし、買うにもお金が必要。

そんなジレンマを抱えた時代に生きてもいるわけで。

ブログをかいて思ったことは他にもあり、一年という時間は短いようで長く、結構なことを成し遂げられるものだ、ということ。


https://blogs.yahoo.co.jp/taketsune52/69701968.html


タイ刑務所帰りの竹澤氏は、日本帰国後に金もなくて生活保護からスタートしたが、自伝をだし、メディアにも出演。

そしてタイ料理店も開業に漕ぎ着けた、人の人生たが大したものだと思う。

下らないブログを書くよりも、現実的に何かアクションを起こさねばならない。

実際起こしてはいるが、それをやり続ける必要がある。

合コンは出会いの場としてはもう古いのだろうか

本日は合コンだった。

4対4だったが、いまいちパッとしなくて、男性側の僕がそう思うのだから女性側も恐らくそうだろう。

 

女性はこちらの年齢は聞くにもかかわらず、こっちからすればあちらの年齢は怖くて聞けないし、(恐らく30代手前)良くもないし悪くも無くて、何のために来たのかわからなくなってきて途中で疲れてしまった。

 

ある程度の年齢になると、というか、もしくはかなり早い段階からなのかも知れないが、女性は男性の仕事とその収入と見た目を天秤にかける。

 

僕の場合はそれも心得ているし、それに仕事の話はしたくないので、「コンビニのバイトです」と言うと、「あー」という感じであっけなく引き下がってしまう。


いつもその手を使って仕事の話をかわし、こちらのイメージをそんなに良く見せようとはしないのだが、今日もやはり例外なくその手でいくともう食いついてこなくなった。

 

とはいえ今日は仕事帰りにYシャツとスーツパンツ姿で参加したので、まともな頭の人間なら多少は疑問を抱くはずなのだが。

 

僕は前職が金融機関で、会社名を言ってしまうと誰もがそれなりの反応を見せるところではあったので、その時の人間の変わりようが嫌だったこともあり、途中からは言わないようにしていた。

 

言わなくなったらなったで、「コンビニのバイト」男に、連絡先を教えてくれる女性はいなくなった。

 

げんきんなものだなーと苦笑するばかりだが。

 

 


最近、知人女性が10万円近い入会金を払ってネット上の結婚相手を探す本気のサイトに登録し、見事結婚した。

 

彼女は30代半ばのバリバリのキャリアウーマンで、平均的な男性の所得よりも高い。

サイトで知り合った男性と6か月間足らずで肉体関係を交わして結婚までこぎ着けた、相手の素性までは僕は詳しく聞いていない。

 

スピード婚が流行っている、ということもあるのかもしれないが、選びに選んで結局結婚できなくて、気がつけば選んでいたはずの自分が、「選ばれることがなくなっていた」という状況に気付いて、タイミングさえ合えば結婚してしまう、という側面もあるかもしれない。(分かりませんが)

 

僕は結婚願望なんかなくて、セックスが出来れば良く、たまの休みの日に一緒にいる恋人がいればいい、くらいの人間なので、30代前後の、結婚願望がある女性だと逆に失礼な結果になってしまい、「コンビニのバイト」で引き下がってくれるのは良いことなのだろう。

 

コンビニのバイトを熱心にやっている人には失礼だが、職業に貴賤はある、間違いなく現代も。

 

とはいえ、今は女性も稼ぐ時代なので、結婚と出産のために男性の年収や仕事は問わない、という方も中にはいるだろう。

 

いずれにしろ、合コンで見事カップル誕生、というケースを最近めっきり見かけなくなった、僕自身も含めて。

 

一方で、かつては胡散臭いとされていたネット上での結婚サイトも今や大反響であり、結婚まで実際にたどり着くのは上述の知人のように珍しいことではない。

 


僕の結婚、いや、それどころか恋人へのステージもまだまだ遠そうだ。

 

それにしても、つまらなかった、金も時間もどぶに捨てた。

 

あれは何だったんだ。

「忙しい」という言葉や概念は人によって違う

忙しい忙しいとばかり言う人が、誰の周りでも結構いると思う。

 

 

「明日の予定は?」 「忙しい~」

「来週の予定は?」 「忙しい~」

「来月の予定は?」 「忙しい~」

「半年後の予定は?」 「忙しい~」

「来年の予定は?」 「忙しい~」

 


つまりいつも忙しい。


で何をやっているかというと、僕の周りでいえば、仕事以外に目立ったことはしていない。

 

その仕事にしても、例えば僕の友人はのんびりと仕事して、次にやることを五分くらいボーっとしながら考えてタバコ吸って、と。

 

それでも二言目には「忙しい」という。

 

「忙しい」という感覚も、当たり前ながら、受け止め方そのものや言葉、概念が人によって全く違う。

 

5分刻みで動いている人は忙しい、と言って良いかもしれないが、一日に用事が一つか二つしかない人でも、「その日は忙しい」という場合もある。

 

jp.wsj.com

 

 

「忙しい」が口癖になってしまうと、誰からも誘われなくなるので僕は極力言わないようにしているのだが、忙しいを自ら連発して自慢する心理も見え隠れする場合があるようだ。

 

何の自慢にもならないが。

会ったことも無い人に対して行為を抱く

驚きを隠せない衝撃的な事件。

 

www.nhk.or.jp

 

神奈川県座間市のアパートの部屋で9人の遺体がみつかり、白石容疑者が逮捕されてから1週間。被害者の身元の特定が進められている。

警視庁の調べで3人の女子高校生が被害にあった可能性があるなど、若い女性をターゲットにした白石容疑者は、どのような手口で女性を誘い出したのか。

連絡をとりあった15歳の少女の新証言からその実態が明らかになってきた。

前代未聞の事件の真相は?そして容疑者の動機は?捜査の最新情報をまじえて検証する。

 

 

 

定食屋で食事していたら、上記の内容がクローズアップ現代で放送されていた。

容疑者の目的は金銭や性的暴行など様々取りざたされているが、まだまだ不明な部分も多い。

 

そんな中、容疑者と実際にコンタクトを取って会う寸前までいった15歳の女子高校生と、20代の女性が匿名で証言する場面が番組であった。

 

 

15歳の女子高生は、学校、友達関係、バイト、その他もろもろが嫌になり軽い気持ちで自殺希望の旨をツイッターでつぶやいたところ、すぐに容疑者からコンタクトがあったそうだ。

「自殺の方法などを丁寧に返してきて...」と話し、それが却って好感を抱いたらしく、しばらくの間連絡を取り合っていたとのこと。

「家が近かったりしたら会っていたかも」そう話す女子高生は、その世代ならではの移り気な感情というか気持ちというか、結局2週間で容疑者と連絡を取るのをやめ、当初は「30~40%くらいあった」という自殺願望も、薄れてしまったそうだ。

 

 

20代の女性も悩みを抱えた中で自殺願望についてほのめかしたところ(SNSツイッターか分からない)、容疑者からすぐにコンタクトがあり、「本気なの?」と、引き留めるでもなく説教するでもなく、そのやさしさ?が彼女の琴線に触れて、ダイレクトメールでやり取りをするほどまでに親しくなっていったそう。

「10月末に会う」という約束をし、そしてまさにその10月31日に、容疑者は逮捕された。

20代の女性は、「私が10人目の被害者になっていたかもしれない」とつぶやいた姿が印象的だったが。

 

 

二人に共通するのは、 "承認欲求" "自己重要感" 表現は何でもいいが、話しを聞いてくれて、適切な言葉を適切なタイミングで発する、 "インスタントな存在" を欲していたということだろう。

 

顔も性格もバックボーンすら知らない人間を、ネット上のやり取りだけで、「良い人」や「誠実な人」と、思ってしまう人間がおかしいのか、思わせる人間がプロなのか。

 

クローズアップ現代では、ネットナンパ師なる人間も登場してきて思わず苦笑したが、だが彼等からしても、ネットの発達により以前よりも異性と出会う敷居はかなり下がった、ということらしい。

 

そこに社会の暗部が宿ることも確かだが、笑うせえるすまんの、「心の寂しい人ばかり」という言葉はいつの時代にも言えることなのかもしれない。