タイ国王の喪がそろそろあける

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10月26日(木)が火葬日にあたり、同日はタイ国民が敬愛する前国王に最後のお別れをするための休日となります。

 

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11月1日〜11月30日までの1ヶ月に渡って、故プミポン前国王陛下を偲んだ展示会が王宮前広場で開催されます。

 

 

最後のお別れを偲んでか、タイ観光局のHPもモノトーンで彩られている。

昨日26日は、殆どの機関が休みとなっており国民全体でお別れを行う流れのようだ。

29日までかけて火葬を行うらしいが、数日間、火葬し続けるのだろうか?

 

詳しくは知らないが29日の日曜に全てが終わり、翌日の10月30日から、通常のタイ王国に戻る、ということだろう。

 

これは楽しみだ。

僕は3年前にタイをはじめて訪れ、夜の飲み屋街しか出歩かなかったが観光の見所も満載であり、今や日本人もかなり多い。

とはいえ観光スポットは殆どまわれなかったので、タイ旅行の初心者と何ら変わらない。

 

神聖なる場所から、夜のダークでエロチックな世界、果てはこの世の地獄とも称される刑務所までタイはまさに魅惑に満ちた国だ。

 

刑務所といえば、僕のブログで良く記載する竹澤氏は99年?

だか何だかタイへの立ち入り禁止のようだが、今はどんな心境なのだろうか。

 

質問をしてみようと思う。

 

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それにしても竹澤氏はしぶとい。

 

手記も書くし、テレビにも出るし、今では日本での生活もある程度建て直して自身の店を開業し、また東南アジアのどこかの国に旅を計画しているようだ。

 

刑務所中でもタイのフリーペーパーに記事を書いたり、刑務所内で雑貨を売買して金を得ていたらしく、出所直前には100万円近くは持っていたらしい。

 

まあいずれにしろ、タイ国には様々な一面があり、一般旅行客が訪れる神秘的かつ魅惑の場所もあれば、竹澤氏のようなダークサイドの世界もある訳で、それが一つの国に同居しているという点がまた面白い。

 

人々の熱気は凄いし、明らかに何らかの麻薬をやっているようなおかしな人もいるが、それはそれで人間臭さを感じてまた面白い。(麻薬をすすめているわけではない)

 

 

まだまだ経済発展の余地はあり、例えばマッサージ料金等は日本とさほど変わらないレベルにまで達している。

性風俗サービスについても、バンコクに限って言えば、もう日本と比較して驚くぐらいに安い、とは言い切れない水準にまで達している。

 

金を持っているタイ人が日本の都心の不動産を買うケースだって目にしてきた。

 

もちろんタイに限らずだが、今は東南アジアそのものが熱気に溢れ、世界で最もホットな場所なのかもしれない。

北朝鮮の影響は株式だけではないようだ

株式投資でいえば、石川製作所豊和工業などが今日も値上がりしていたが。

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北朝鮮情勢の緊迫化に伴い、在日米軍基地の周辺にも影響があるようだ。

アクセス - 航空自衛隊横田基地


具体的には、兵隊の移動にともない、日本での将校クラスの兵隊の住居あっせんなどだ。

彼等は月に物凄い額の住宅手当てが付くので、良いところに住まいを構える。

また現在は海外からの観光客の増加にともない宿泊施設は不足していて、新規で建設される例えばマンション等を投資物件として購入し、それを賃貸に出して利益を得るといったことが当たり前のように行われる。

いまに始まったことではないが、基地問題で揺れるなか、この流れはしばらく続きそうという見方も強い。

戦争が産み出す経済規模は計り知れない。


とはいえ、戦争で儲けるのは軍需産業の武器売買が主だった方法と思い込んでいたが、考えてみればその他にも、上述のように将校クラスの住居、それに伴う引っ越し費用だったり、家電、日常生活に必要な一連の身の回りのモノから他に至るまで金になることは山ほどある。

上述のように株式投資だって、その気になれば数百万円規模の利益を上げることは僕にだってできた。


個人の力で生きていくためには、起業以外でも、例えばそこまでのリスクを取れない人間はサラリーマンをしながら他に何か収入源をつくるだとか、面倒だし頭も使うし、もちろん努力も必要だがそれはやっていかないといけないのかもしれない。

3日、3月、3年の区切りで

新しいことに挑戦する時は、場合によっては生活スタイルまで激変するので大きなストレスが伴う。

本気でやれば1,2か月くらいで何とかなることもあるが、慣れるまでに大体6ヶ月くらいは要するものらしい。

 

以前の職場の先輩が、30代後半で九州から横浜に転勤になり、何から何まで激変する中で悪戦苦闘する様子が伝わってきた。
どうやら本当に大変のようだ。

 

僕自身、今月の頭まで10年近くやってきたことを捨てて、新しい仕事に挑んでおり、その内容も大きく変化したためかなり戸惑っている。

 

道を誤ったかなーと思うくらいだ。

 

とはいえ、これまでの会社も入社した当初は

 

"判断ミスをしてしまった"

 

と思ってきたが、ある程度業務を把握すると、その選択は間違いでは無かったと実感することばかりだった。

今回も恐らくそうだろう。


だが人間というのは現在が厳しいとどうしても過去を振り返るようなことをする生き物で、懐古主義的な考えにとらわれ

「あの時は良かった」

と、これまでの慣れた環境を懐かしみ、今に全力を尽くすことを怠ってしまいがちだ。

 

この、慣れた環境を捨てることの難しさが、新しい道へ一歩踏み出すことへの大きな足かせとなることも間違いない。

 

いずれにしろ、懐古主義の思考のママいくと、その選択をしなければ良かった、と、結果失敗を招くことになってしまう。


だからまずは、大それた目標は設定してもいいがしばらくは隅に置いておき、ある程度の日数の区切りで仕事に取り組むことの注力する。

 

僕が新卒で入った会社に教わったことは、3日、3月、3年。

 

今は時代のスピードが早いので、3年も勤める必要はないかもしれないが、まずは3日、そして3ヶ月とこなしていくことがかなり大事になる。

 

時間が解決することは割と多くあって、人間は慣れる生き物だというのは本当だ。

 

今はどうかしらないが、かつては、AV女優が初めて作品に出演する時は必ず泣いてしまうものだった。

 

そこには色々な理由があるのだろうし想像もつかないが、もう二度と、引き返せない一歩を踏み出してしまった、そういったありあまる心境が極度の重圧をもたらすのかもしれない。

 

昨日までやっていたことが、突然、180度近く変わってしまうという点に関して人間は思った以上に弱い。

 

それを前もって知っておくだけでも全然ちがう。


だが考えてみれば、現状に不満があって、何かしらの辛い事があって、それをより良くするために新しい道を選択したわけなので、元いた場所に、安住の地にいることを心から望んでいるのであれば、青い鳥をよそで探そうなんてしない。

 

隣の芝生は青く見えるというのは確かにそうだが、一般的には、現状に満足しないから飛び出す選択をする、またはその判断を迷うのだ。

 

つまり、行きたい場所だったはずなのだ。

 

その選択をした当初は自分の選択に自身が持てずに迷いながら進むこともあるかもしれない。

 

そんな時は無理することは無い、まずは時計の針を3日、3月と進ませること。

 

そうすれば、自分がなぜその道をあえて選択し、今そこを歩いているのか、思い出すことだろう。

 

向かう先には明るい未来が待っているはずだ。

個の力で生き抜く時代

こういうのがあったらしい。

 

president.jp

 

実際のPDFはこちらから

http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf

 

 

内容そのものは賛否両論あるものの、 "不安な個人" という表現は適切だと思うし、この得体のしれない閉塞感と、どこにいってもつきまとう見えない将来への展望については、誰しもが手探りであろうことは間違いない。


僕も30を過ぎてまた会社を辞め、不動産業界に転職する事になったのだが本音を言えばもう雇われるのは嫌で嫌で仕方がない。
不動産業界で個人としてやっていくと考えときに、やはり稼ぎ方を知りたいということもあり、また就職を選択した。

 

だがもう、これまでと同じような働き方ではやっていけないことも痛感している。

自身の事業に繋がることを常に考える必要がある。


とはいえ、新しいことに挑戦する際には不安がつきまとうもの。

不安を払しょくするためにここ数日、明るい材料を必死で探していた。

 

ある程度の年齢を過ぎてもチャンスがあること

または機会を生み出せること

それにより成上ることも充分可能であるということ

 

希望が無いと歩き出すのは難しくなる。

 

すると、

 

50歳からの個人起業でもう一花咲かせたいときに読む本


この本が目にとまった。

 

著者は50過ぎて通販コンサルタントとして起業し、ピーク時は年収が1億円を超え、それが数年間続いたようだが、様々な条件が望ましいタイミングで揃ったために素晴らしい結果を収めただとか、色々な要因はあるものの、この年齢で大きく稼ぐのは単純に凄い。

 

記している内容もよくあるような転落からの成功劇への自慢話ではなく、極めてシンプルかつ簡単な行動原理に則った誰にでも実践できる起業論であり、そのための具体的な方法まで記載している。

 

・情報の仕入れ
・情報発信
・向上心を持つ
・楽観的にかまえる

 

他にも月に100名と名刺交換するだとか、情報の仕入れにしても図書館やネットをうまく活用してお金を出来るだけかからないようにしたりと、本当に誰にでも出来ることであり、いずれも、それをうまくお金に繋げる流れた著者ならではの実行例から導き出したもの。

 

個人的に特に重要だと思ったのは、楽天主義であるという著者の考え。

 

 

50歳になって、会社を辞めたとき、私には先が見えませんでした。
「通販」という多少の専門分野はありましたので、それを強みにしていこうとは思っていましたが、何ひとつ、具体的なものは決まっていませんでした。
新聞を買うお金すらもったいなかったので、毎日、朝になったら図書館に行って新聞を読んで、お昼になったら自分で作ったお弁当を図書館のベンチで食べ、午後になったらまた調べ物をして...。
その繰り返しです。
出口がどこにあるのかすらも分かりませんでした。

中略

この「不安でたまらない気持ち」を追い払うのに欠かせないのが楽天主義なのです。
ここで「何とかなるさ」と思えなければ、残念ながら、そこから先へは進めません。

中略

楽天的になることの意味は「前に進みやすくする」ことにあります。

 

 

"自分には出来ない" という気持ちが強すぎると、大事な最初の一歩が踏み出せない。


踏み出せないという事は、そこに留まる事になる、留まるという事は、何も変わらないという事。

 

だが時代は日進月歩どころではないスピードで動いているので、実際には、何も変わらないという事は殆どない。
動かないことがかえって、悪い状況を招いてしまう事だってある。

 


あなたの最良の日は、 "自分の人生は自分のものだ" と決めた日

 


自分の人生の手綱を自分で握ることは大変だが、恐らくその分、大いなる財産が得られるのだろう。

 

 

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モデルなんていくらでもある。

嘘や思い込みはあると思う

26歳の頃に正社員として勤めていたところを実質的にクビになり、その当時はリーマンショック直後で、また正社員として働けるところはない、あるとしても非常に少ない、そういう見方が大勢だった。

 

「今からでも遅くはない、経営者に頭を下げて戻してもらいなさい」

 

そう諭してくれた年配の経営者の方もいた。

 

また、僕の場合、転職先を決めて退職した訳では無かったので、次が決まるまで大変な苦労を強いられるということも言われた。

 

だがふたを開けてみれば5社受けて2社くらいは採用通知が届き、そのうちの一つの契約社員として入社したわけだが、最初から前職よりも給与があったし、正社員になってから辞めるまで収入はずっと上がり続けていた。

 

さほどもらってはいなかったが、一人で暮らしていくには十分だし、海外旅行に年数回行くこともできるほどだ。

 

つまり、辞めて正解だったのだ。


こうして歩んできた道を振り返ってみると、やはり嘘や思い込みで動けなかったりすることって結構あるものだと気付かされる。

 

「今の待遇より良いところは絶対にない」

 

という思い込みがその人をその場所に縛り付け、延々と、やりたいとは思わない仕事をし続けなければならなくなる。

だがそれにしても、ある程度、周りが驚くほどの結果を出し、また惜しみなく努力し続ければ悪くない結果が出る。

年収や地位を上げるのは、実はそこまで難しいことではなかったりするということにも気付ける。

 

ただ、企業体が大きかったり組織の規定が多かったりすると、それにがんじがらめにされてしまい思うように前進できなかったり、前進したとしてもかなり遅かったり、働きに見合った処遇が得られなかったり、そういうことも起き得る。

 

だがそれは反面、自分が思うような結果が出なくても収入は落ちずに保証される、ということを意味してもいる。

 

いずれにしろ、現状に不満があるならば、より良い条件を探し続けたり、そこへ到達するために何が必要であるのかとか、具体的に行動を起こした方が良い結果が出やすいと個人的には感じる。

 

失敗することもあるかもしれないし、辞めて後悔することもあるかもしれないが、今よりも最善を求めるその思考が、更に高みへ達するステージへ導いてくれることだってあるはず。

 

自分自身に言い聞かせているところもあり、より高みを目指すために10年近く勤めた会社を今月で退職することになった。

やはり、その選択肢をとった僕に対して、「早まったな」と、否定的な意見を述べる人がいたのも事実。

 

ある見方をすれば確かにそうだが、先の見えない仕事を、大して多くも無い収入のためにあとどのくらい費やすのだろうかという不安には抗えなかった。

 

それに、まだ勝負できる年齢である、という思いが自分を後押ししたことも大きい。

結果が出るのはある程度の時間を要するが、思うほどには時間はかからないと僕は感じている、案外早く、それも良い結果がでるはずだと。

 

僕が簡単に成功したら、そうやって否定的な言葉を述べた人はなんていうのだろう。

 

他にも僕のあらを探して、「でもこっちの方がいい」と、そう言うだろうか。


自分には出来なかった選択を、他人がとることにより良い結果が出ることを恐らく多くの人間は望まない、それは嫉妬があるから。

 

いずれにしろ、現状に満足しているならばそれ以上になることは絶対にない。

人生を変えるためには膨大なエネルギーがいる

人生を変えるためには膨大なエネルギーがいる。
学校で学び直さなければいけないかも知れないし、海外を旅しなければいけないかも知れないし、何より、重要な他人、
異性と出会う必要がある。

村上龍

 

 


35歳までに人生は決まるとか、その後の人生はほとんど変わらないだとか、ある程度の年齢を過ぎた人間が、人生に大きな変化を起こすのは非常に難しい、というのが恐らく一般的な見方だ。

 

本当かどうかは分からないが、一定の年齢を過ぎると、その時点での境遇が安定していればいるほどそれ以上の環境を望まなかったり変化を望まなかったりするというのはあると思う。

そうでなくても、大した環境でなくても変化を嫌うのは間違いなくて、それは悪いことではない。

 

上述の村上龍氏のエッセイでは、人生を変えるためには膨大なエネルギーが必要である、という点について、現状に不満を持っていてそれが強烈なモチベーションとなり、一人の人間を何らかの行動に駆り立てる、ということは確かにある。

 

つまり不満が原動力であり、不満などが無ければ変えるためのエネルギーも生まれない。


確かに現状を変えるには物凄い力が必要だ。

僕自身でいえば5年以上契約社員をしていた時に、交通事故に遭い、貯金もそんなになくてむしろ借金があって仕事も選べない、といった状況を危惧して一念発起して宅建の資格に挑戦した。

 

1年近くかけて勉強し点数もギリギリで合格したが、その後、FP2級の資格を取ったり、少しずつ自分の人生の選択肢の幅を広げてきた。

文章に記せば簡単だが、たかだか資格取得するだけのために寝る間を惜しんで勉強したし、休日も皆が遊んでいる間僕は勉強をした。

 

仕事にしても全身全霊で結果を出し、そのくらいやると絶対に何らかの変化は起こる、それが自分にとって好ましいものかどうかは抜きにして。


だからまず、何が何でも変えたい、というモチベーションの源はなんであるのか、それにどこでどうやって出会うのか、それも大事になってくると思う。

 

全てを賭けて挑んでくる者に対して神は拒絶しない

 

という言葉があるが、全てを注ぎ込める程のエネルギーの源が必要であり、それが膨大なものとなればどんな人生であろうと変化を起こせる。

どん底から這い上がっていくストーリーに弱い

ある日突然40億円の借金を背負う――それでも人生はなんとかなる

 

president.jp

 

巷では話題を呼んでいるようで、僕も読んだ。
物語の主人公の湯澤氏は、高学歴のエリートサラリーマンで人もうらやむような経歴を辿ってきたが、自身の父親の死去、その事業と同時に借金まで受け継ぐこととなる。

それまでは順風満帆すぎるほどの人生を送っていたというから何が起きるか分からない。

 

とはいえ、元々は恵まれた環境で育ってきた湯澤氏に対して共感できない人も一部いるようで、だがそれを差し引いてもなお、40億という借金のボリュームは手応えがある、いやそれどころか想像もつかない世界だ。

 

他にも、例えばオウケイウェイブの創業者である、兼元氏のホームレス時代の話はあまりにも有名だ。

 

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こういう、人生の底から這い上がった人の話に僕は弱い、恐らく多くの人間がそうだ。

 

日本は成功者に対してやっかみや嫉妬が物凄い国らしいが、これが、貧困や借金、その他の人生の苦難を乗り越えて大成した人間だと、 "特別にゆるす" みたいなところがあって、割と好感的に受け入れられるようだ。

 

はたからみて何の苦労も無く、例えば親から受け継いだ事業をそのまま展開していく二代目以降の経営者には素直に賞賛出来ないのかもしれない。

 

そして個人的に思うのは、艱難辛苦を乗越えた、例えば徒手空拳で成上った人物を見ると、 "自分にもチャンスがある" という気になるところが大きいと感じる。

 

チャンスがあるのは確かだろう、恐らく誰にでもある、というのは本当だ。

 

問題なのは、誰にでもあるという前提でそれを生かせなかった場合だ。

 

人生を盛り返すのは難しい、最後まで捨てずに勝負する、そういう姿勢がやはり大事であり、それを押し通してこそ、また新たなストーリーが生まれるのだろう。