個の力で生き抜く時代

こういうのがあったらしい。

 

president.jp

 

実際のPDFはこちらから

http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf

 

 

内容そのものは賛否両論あるものの、 "不安な個人" という表現は適切だと思うし、この得体のしれない閉塞感と、どこにいってもつきまとう見えない将来への展望については、誰しもが手探りであろうことは間違いない。


僕も30を過ぎてまた会社を辞め、不動産業界に転職する事になったのだが本音を言えばもう雇われるのは嫌で嫌で仕方がない。
不動産業界で個人としてやっていくと考えときに、やはり稼ぎ方を知りたいということもあり、また就職を選択した。

 

だがもう、これまでと同じような働き方ではやっていけないことも痛感している。

自身の事業に繋がることを常に考える必要がある。


とはいえ、新しいことに挑戦する際には不安がつきまとうもの。

不安を払しょくするためにここ数日、明るい材料を必死で探していた。

 

ある程度の年齢を過ぎてもチャンスがあること

または機会を生み出せること

それにより成上ることも充分可能であるということ

 

希望が無いと歩き出すのは難しくなる。

 

すると、

 

50歳からの個人起業でもう一花咲かせたいときに読む本


この本が目にとまった。

 

著者は50過ぎて通販コンサルタントとして起業し、ピーク時は年収が1億円を超え、それが数年間続いたようだが、様々な条件が望ましいタイミングで揃ったために素晴らしい結果を収めただとか、色々な要因はあるものの、この年齢で大きく稼ぐのは単純に凄い。

 

記している内容もよくあるような転落からの成功劇への自慢話ではなく、極めてシンプルかつ簡単な行動原理に則った誰にでも実践できる起業論であり、そのための具体的な方法まで記載している。

 

・情報の仕入れ
・情報発信
・向上心を持つ
・楽観的にかまえる

 

他にも月に100名と名刺交換するだとか、情報の仕入れにしても図書館やネットをうまく活用してお金を出来るだけかからないようにしたりと、本当に誰にでも出来ることであり、いずれも、それをうまくお金に繋げる流れた著者ならではの実行例から導き出したもの。

 

個人的に特に重要だと思ったのは、楽天主義であるという著者の考え。

 

 

50歳になって、会社を辞めたとき、私には先が見えませんでした。
「通販」という多少の専門分野はありましたので、それを強みにしていこうとは思っていましたが、何ひとつ、具体的なものは決まっていませんでした。
新聞を買うお金すらもったいなかったので、毎日、朝になったら図書館に行って新聞を読んで、お昼になったら自分で作ったお弁当を図書館のベンチで食べ、午後になったらまた調べ物をして...。
その繰り返しです。
出口がどこにあるのかすらも分かりませんでした。

中略

この「不安でたまらない気持ち」を追い払うのに欠かせないのが楽天主義なのです。
ここで「何とかなるさ」と思えなければ、残念ながら、そこから先へは進めません。

中略

楽天的になることの意味は「前に進みやすくする」ことにあります。

 

 

"自分には出来ない" という気持ちが強すぎると、大事な最初の一歩が踏み出せない。


踏み出せないという事は、そこに留まる事になる、留まるという事は、何も変わらないという事。

 

だが時代は日進月歩どころではないスピードで動いているので、実際には、何も変わらないという事は殆どない。
動かないことがかえって、悪い状況を招いてしまう事だってある。

 


あなたの最良の日は、 "自分の人生は自分のものだ" と決めた日

 


自分の人生の手綱を自分で握ることは大変だが、恐らくその分、大いなる財産が得られるのだろう。

 

 

www.eyasu2008.com

 

 

モデルなんていくらでもある。

嘘や思い込みはあると思う

26歳の頃に正社員として勤めていたところを実質的にクビになり、その当時はリーマンショック直後で、また正社員として働けるところはない、あるとしても非常に少ない、そういう見方が大勢だった。

 

「今からでも遅くはない、経営者に頭を下げて戻してもらいなさい」

 

そう諭してくれた年配の経営者の方もいた。

 

また、僕の場合、転職先を決めて退職した訳では無かったので、次が決まるまで大変な苦労を強いられるということも言われた。

 

だがふたを開けてみれば5社受けて2社くらいは採用通知が届き、そのうちの一つの契約社員として入社したわけだが、最初から前職よりも給与があったし、正社員になってから辞めるまで収入はずっと上がり続けていた。

 

さほどもらってはいなかったが、一人で暮らしていくには十分だし、海外旅行に年数回行くこともできるほどだ。

 

つまり、辞めて正解だったのだ。


こうして歩んできた道を振り返ってみると、やはり嘘や思い込みで動けなかったりすることって結構あるものだと気付かされる。

 

「今の待遇より良いところは絶対にない」

 

という思い込みがその人をその場所に縛り付け、延々と、やりたいとは思わない仕事をし続けなければならなくなる。

だがそれにしても、ある程度、周りが驚くほどの結果を出し、また惜しみなく努力し続ければ悪くない結果が出る。

年収や地位を上げるのは、実はそこまで難しいことではなかったりするということにも気付ける。

 

ただ、企業体が大きかったり組織の規定が多かったりすると、それにがんじがらめにされてしまい思うように前進できなかったり、前進したとしてもかなり遅かったり、働きに見合った処遇が得られなかったり、そういうことも起き得る。

 

だがそれは反面、自分が思うような結果が出なくても収入は落ちずに保証される、ということを意味してもいる。

 

いずれにしろ、現状に不満があるならば、より良い条件を探し続けたり、そこへ到達するために何が必要であるのかとか、具体的に行動を起こした方が良い結果が出やすいと個人的には感じる。

 

失敗することもあるかもしれないし、辞めて後悔することもあるかもしれないが、今よりも最善を求めるその思考が、更に高みへ達するステージへ導いてくれることだってあるはず。

 

自分自身に言い聞かせているところもあり、より高みを目指すために10年近く勤めた会社を今月で退職することになった。

やはり、その選択肢をとった僕に対して、「早まったな」と、否定的な意見を述べる人がいたのも事実。

 

ある見方をすれば確かにそうだが、先の見えない仕事を、大して多くも無い収入のためにあとどのくらい費やすのだろうかという不安には抗えなかった。

 

それに、まだ勝負できる年齢である、という思いが自分を後押ししたことも大きい。

結果が出るのはある程度の時間を要するが、思うほどには時間はかからないと僕は感じている、案外早く、それも良い結果がでるはずだと。

 

僕が簡単に成功したら、そうやって否定的な言葉を述べた人はなんていうのだろう。

 

他にも僕のあらを探して、「でもこっちの方がいい」と、そう言うだろうか。


自分には出来なかった選択を、他人がとることにより良い結果が出ることを恐らく多くの人間は望まない、それは嫉妬があるから。

 

いずれにしろ、現状に満足しているならばそれ以上になることは絶対にない。

人生を変えるためには膨大なエネルギーがいる

人生を変えるためには膨大なエネルギーがいる。
学校で学び直さなければいけないかも知れないし、海外を旅しなければいけないかも知れないし、何より、重要な他人、
異性と出会う必要がある。

村上龍

 

 


35歳までに人生は決まるとか、その後の人生はほとんど変わらないだとか、ある程度の年齢を過ぎた人間が、人生に大きな変化を起こすのは非常に難しい、というのが恐らく一般的な見方だ。

 

本当かどうかは分からないが、一定の年齢を過ぎると、その時点での境遇が安定していればいるほどそれ以上の環境を望まなかったり変化を望まなかったりするというのはあると思う。

そうでなくても、大した環境でなくても変化を嫌うのは間違いなくて、それは悪いことではない。

 

上述の村上龍氏のエッセイでは、人生を変えるためには膨大なエネルギーが必要である、という点について、現状に不満を持っていてそれが強烈なモチベーションとなり、一人の人間を何らかの行動に駆り立てる、ということは確かにある。

 

つまり不満が原動力であり、不満などが無ければ変えるためのエネルギーも生まれない。


確かに現状を変えるには物凄い力が必要だ。

僕自身でいえば5年以上契約社員をしていた時に、交通事故に遭い、貯金もそんなになくてむしろ借金があって仕事も選べない、といった状況を危惧して一念発起して宅建の資格に挑戦した。

 

1年近くかけて勉強し点数もギリギリで合格したが、その後、FP2級の資格を取ったり、少しずつ自分の人生の選択肢の幅を広げてきた。

文章に記せば簡単だが、たかだか資格取得するだけのために寝る間を惜しんで勉強したし、休日も皆が遊んでいる間僕は勉強をした。

 

仕事にしても全身全霊で結果を出し、そのくらいやると絶対に何らかの変化は起こる、それが自分にとって好ましいものかどうかは抜きにして。


だからまず、何が何でも変えたい、というモチベーションの源はなんであるのか、それにどこでどうやって出会うのか、それも大事になってくると思う。

 

全てを賭けて挑んでくる者に対して神は拒絶しない

 

という言葉があるが、全てを注ぎ込める程のエネルギーの源が必要であり、それが膨大なものとなればどんな人生であろうと変化を起こせる。

どん底から這い上がっていくストーリーに弱い

ある日突然40億円の借金を背負う――それでも人生はなんとかなる

 

president.jp

 

巷では話題を呼んでいるようで、僕も読んだ。
物語の主人公の湯澤氏は、高学歴のエリートサラリーマンで人もうらやむような経歴を辿ってきたが、自身の父親の死去、その事業と同時に借金まで受け継ぐこととなる。

それまでは順風満帆すぎるほどの人生を送っていたというから何が起きるか分からない。

 

とはいえ、元々は恵まれた環境で育ってきた湯澤氏に対して共感できない人も一部いるようで、だがそれを差し引いてもなお、40億という借金のボリュームは手応えがある、いやそれどころか想像もつかない世界だ。

 

他にも、例えばオウケイウェイブの創業者である、兼元氏のホームレス時代の話はあまりにも有名だ。

 

biz-drive.jp

 

こういう、人生の底から這い上がった人の話に僕は弱い、恐らく多くの人間がそうだ。

 

日本は成功者に対してやっかみや嫉妬が物凄い国らしいが、これが、貧困や借金、その他の人生の苦難を乗り越えて大成した人間だと、 "特別にゆるす" みたいなところがあって、割と好感的に受け入れられるようだ。

 

はたからみて何の苦労も無く、例えば親から受け継いだ事業をそのまま展開していく二代目以降の経営者には素直に賞賛出来ないのかもしれない。

 

そして個人的に思うのは、艱難辛苦を乗越えた、例えば徒手空拳で成上った人物を見ると、 "自分にもチャンスがある" という気になるところが大きいと感じる。

 

チャンスがあるのは確かだろう、恐らく誰にでもある、というのは本当だ。

 

問題なのは、誰にでもあるという前提でそれを生かせなかった場合だ。

 

人生を盛り返すのは難しい、最後まで捨てずに勝負する、そういう姿勢がやはり大事であり、それを押し通してこそ、また新たなストーリーが生まれるのだろう。

2017年度宅地建物取引士合格点

1年に一度の宅地建物取引士試験。

昨週行われた本試験では、約20万人以上が受験した。

 
 
 
毎年のことだが、気になるのはその合格点。
今年は33点と34点が拮抗している。
 

 

 

この日のために一年間やってきて試験に臨む人も多く、正に人生を賭けた正念場ともいえる。

 

合格か不合格か。

一点、二点の差が運命を大きく左右する。

 

僕が受験した2014年は、宅地建物取引主任者として最後の試験であり、民法の出題内容がこれまでとは異なり、物凄く難解な、スタンダードとなる試験と言われていた。

 

その年の合格点は32点。

対して僕は33点のギリギリ合格だった。

 

20万円以上モスる学費をなけなしの金を叩いて受講したので、背水の陣ではあった。

 

 同様に、いやそれ以上の意気込みで試験に臨む方もきっと多いだろう、大変な試験だ。

たった一点、されど一点。

 

業界では名の知れた講師陣も袖まくりをして合格点を予想するお祭りのようなもの。

 

まだ合格発表まで日があるので、恐らく予想も変わってくるだろう。

マンション修繕費が狙われる

マンションの大規模修繕にのための積立金が、適正に使用されずに過度な工事代金として計上され、それにともなうお金の流れの不透明さについて、NHKの放送でも問題提起されていた。

 

hh.pid.nhk.or.jp

 

新築マンションが建設されなくなった現代、仕事にあぶれた1級建築士が大規模修繕のコンサルタント業務に群がり、知識の無いマンション住民に対して工事代金を修繕積立金いっぱいまで見積額を提示し、その工事額をもとに建設会社に入札させ、バックマージンコンサルタント会社が10%~20%受取っていたというもの。


マンション修繕に関しては明確な基準やガイドラインが設定されておらず、お金のあるところで、法整備がいきとどいていないところに、うまみを求めたコンサルタント会社による起こるべくして起きたことだ。

 

http://www.mlit.go.jp/common/001170196.pdf

 

国土交通省も異例の早さで問題について発表したようだ。


僕の住む地域でもマンションが建設ラッシュであり、それは日本全体が不動産バブルに浮かれるところも追い風となっているが、とにかく作れば即完売で、例えば土地が借地で建物だけが所有権となっているようなケースもあり、その後の将来的なガイドライン等も含めた住民目線の建築と販売に繋がっているとは言い難い面もある。

 

マンションの構造や運営の仕組みに何らかの問題をはらんでいるとしても、それが噴出するのは10年以上も先の事であり、その時にはマンションを施工した会社も存在していない可能性がある。

 

考えてみれば、住民はそのくらい大きな買い物をしているわけだが、どういうわけか実際に住み始めると自分の事としては考えられずに無関心で組合の集まりにも参加しない。

 

修繕積立金というのは都道府県にもよるのだろうが、月々馬鹿にならない金額を積み立てているのであり、それを取り崩して建築するのだから、一戸建てに住む人の修繕と同じように考えなければならない。

 

だが大きなマンションで100戸以上になるとどうも団地に住んでいるような感覚にとらわれ、当事者意識を失ってしまうのかもしれない。

 


特筆すべきは上述のコンサルタント会社で、マージンは10%~20%とされているようだが、修繕工事というのは時に億単位の金額にも上り、コンサルタント会社は数千万円を稼ぐ、まさに濡れ手に粟の商売。

 

自ら何かを創る訳ではないからぼろ儲けだ。

 

しかも、この手のバックマージンの問題は実証するのが極めて難しい、つまり罪に問われるケースはまれだという。

良く思いついたものだ。


法整備のいきとどかないところや規制のゆがみがあるところでは金が生まれやすい。

ランサムウェアをダウンロードしてしまった

ランサムウェア | トレンドマイクロ

 

ランサムウェアRansomware)」とは?

ランサムウェアとは、感染したPCをロックしたり、ファイルを暗号化したりすることによって使用不能にしたのち、元に戻すことと引き換えに「身代金」を要求する不正プログラムです。

身代金要求型不正プログラムとも呼ばれます。

 

 

safe.trendmicro.jp

 

 

昨年くらいに話題になり、企業メールにまで被害が拡大しているランサムウェア
この手の情報に僕は疎かったこともあり、何も分からずに開封し、あっという間にPCがおかしくなってしまった。


ランサムウェアの種類は幾つかあるようだが、僕の場合は、Lockyと呼ばれるもの。

 

japan.cnet.com

 

元に戻すパスワードが欲しければお金(身代金)を払うようにとの脅迫メッセージが表示されるのだが、困ったものだ。

 

まず、画像ファイルは全滅。
その他の資料も全てやられてしまった。

 

流れとしてはこうだ。

 

普段あまり使用しない携帯のメールアドレス宛に、英語でファイル付きのメッセージが届いた。

携帯では開封できないので、わざわざPCに取り込んで開封したところ、上記のようにLockyにやられてしまったというわけだ。

あーLocky。

 

なぜ疑問を持たずに開封してしまったかというと、英語を話す外国人の知人が数名いて、その誰かからの連絡だと思ったのだ。

 

まあ今思えば僕の知識不足なのは間違いないが。

 

ただ幸運なことに、本当に大事なもの、例えば金融関連の暗証番号やその他のパスワード、また個人情報に絡む類のものはPC内に保存していないので、被害はさほど大きくはなかった。

 

初期化することも考えたが、それよりも良い方法、「システムの復元」機能を使用することにした。

 

正直なところあまり有効な方法ではなく、失ってしまったファイルは恐らくもとには戻らないのだろうが、被害がこれ以上広がらないようにするのが精いっぱいだ。

 

このランサムウェアだが、様々な機能を停止させるほどのパワーを持っており、事態はかなり深刻だ。

 

www.npa.go.jp

 

警察庁まで情報公開をするくらい被害は甚大なのだろう。

 

あーやっちまった。