嘘や思い込みはあると思う

26歳の頃に正社員として勤めていたところを実質的にクビになり、その当時はリーマンショック直後で、また正社員として働けるところはない、あるとしても非常に少ない、そういう見方が大勢だった。

 

「今からでも遅くはない、経営者に頭を下げて戻してもらいなさい」

 

そう諭してくれた年配の経営者の方もいた。

 

また、僕の場合、転職先を決めて退職した訳では無かったので、次が決まるまで大変な苦労を強いられるということも言われた。

 

だがふたを開けてみれば5社受けて2社くらいは採用通知が届き、そのうちの一つの契約社員として入社したわけだが、最初から前職よりも給与があったし、正社員になってから辞めるまで収入はずっと上がり続けていた。

 

さほどもらってはいなかったが、一人で暮らしていくには十分だし、海外旅行に年数回行くこともできるほどだ。

 

つまり、辞めて正解だったのだ。


こうして歩んできた道を振り返ってみると、やはり嘘や思い込みで動けなかったりすることって結構あるものだと気付かされる。

 

「今の待遇より良いところは絶対にない」

 

という思い込みがその人をその場所に縛り付け、延々と、やりたいとは思わない仕事をし続けなければならなくなる。

だがそれにしても、ある程度、周りが驚くほどの結果を出し、また惜しみなく努力し続ければ悪くない結果が出る。

年収や地位を上げるのは、実はそこまで難しいことではなかったりするということにも気付ける。

 

ただ、企業体が大きかったり組織の規定が多かったりすると、それにがんじがらめにされてしまい思うように前進できなかったり、前進したとしてもかなり遅かったり、働きに見合った処遇が得られなかったり、そういうことも起き得る。

 

だがそれは反面、自分が思うような結果が出なくても収入は落ちずに保証される、ということを意味してもいる。

 

いずれにしろ、現状に不満があるならば、より良い条件を探し続けたり、そこへ到達するために何が必要であるのかとか、具体的に行動を起こした方が良い結果が出やすいと個人的には感じる。

 

失敗することもあるかもしれないし、辞めて後悔することもあるかもしれないが、今よりも最善を求めるその思考が、更に高みへ達するステージへ導いてくれることだってあるはず。

 

自分自身に言い聞かせているところもあり、より高みを目指すために10年近く勤めた会社を今月で退職することになった。

やはり、その選択肢をとった僕に対して、「早まったな」と、否定的な意見を述べる人がいたのも事実。

 

ある見方をすれば確かにそうだが、先の見えない仕事を、大して多くも無い収入のためにあとどのくらい費やすのだろうかという不安には抗えなかった。

 

それに、まだ勝負できる年齢である、という思いが自分を後押ししたことも大きい。

結果が出るのはある程度の時間を要するが、思うほどには時間はかからないと僕は感じている、案外早く、それも良い結果がでるはずだと。

 

僕が簡単に成功したら、そうやって否定的な言葉を述べた人はなんていうのだろう。

 

他にも僕のあらを探して、「でもこっちの方がいい」と、そう言うだろうか。


自分には出来なかった選択を、他人がとることにより良い結果が出ることを恐らく多くの人間は望まない、それは嫉妬があるから。

 

いずれにしろ、現状に満足しているならばそれ以上になることは絶対にない。

人生を変えるためには膨大なエネルギーがいる

人生を変えるためには膨大なエネルギーがいる。
学校で学び直さなければいけないかも知れないし、海外を旅しなければいけないかも知れないし、何より、重要な他人、
異性と出会う必要がある。

村上龍

 

 


35歳までに人生は決まるとか、その後の人生はほとんど変わらないだとか、ある程度の年齢を過ぎた人間が、人生に大きな変化を起こすのは非常に難しい、というのが恐らく一般的な見方だ。

 

本当かどうかは分からないが、一定の年齢を過ぎると、その時点での境遇が安定していればいるほどそれ以上の環境を望まなかったり変化を望まなかったりするというのはあると思う。

そうでなくても、大した環境でなくても変化を嫌うのは間違いなくて、それは悪いことではない。

 

上述の村上龍氏のエッセイでは、人生を変えるためには膨大なエネルギーが必要である、という点について、現状に不満を持っていてそれが強烈なモチベーションとなり、一人の人間を何らかの行動に駆り立てる、ということは確かにある。

 

つまり不満が原動力であり、不満などが無ければ変えるためのエネルギーも生まれない。


確かに現状を変えるには物凄い力が必要だ。

僕自身でいえば5年以上契約社員をしていた時に、交通事故に遭い、貯金もそんなになくてむしろ借金があって仕事も選べない、といった状況を危惧して一念発起して宅建の資格に挑戦した。

 

1年近くかけて勉強し点数もギリギリで合格したが、その後、FP2級の資格を取ったり、少しずつ自分の人生の選択肢の幅を広げてきた。

文章に記せば簡単だが、たかだか資格取得するだけのために寝る間を惜しんで勉強したし、休日も皆が遊んでいる間僕は勉強をした。

 

仕事にしても全身全霊で結果を出し、そのくらいやると絶対に何らかの変化は起こる、それが自分にとって好ましいものかどうかは抜きにして。


だからまず、何が何でも変えたい、というモチベーションの源はなんであるのか、それにどこでどうやって出会うのか、それも大事になってくると思う。

 

全てを賭けて挑んでくる者に対して神は拒絶しない

 

という言葉があるが、全てを注ぎ込める程のエネルギーの源が必要であり、それが膨大なものとなればどんな人生であろうと変化を起こせる。

どん底から這い上がっていくストーリーに弱い

ある日突然40億円の借金を背負う――それでも人生はなんとかなる

 

president.jp

 

巷では話題を呼んでいるようで、僕も読んだ。
物語の主人公の湯澤氏は、高学歴のエリートサラリーマンで人もうらやむような経歴を辿ってきたが、自身の父親の死去、その事業と同時に借金まで受け継ぐこととなる。

それまでは順風満帆すぎるほどの人生を送っていたというから何が起きるか分からない。

 

とはいえ、元々は恵まれた環境で育ってきた湯澤氏に対して共感できない人も一部いるようで、だがそれを差し引いてもなお、40億という借金のボリュームは手応えがある、いやそれどころか想像もつかない世界だ。

 

他にも、例えばオウケイウェイブの創業者である、兼元氏のホームレス時代の話はあまりにも有名だ。

 

biz-drive.jp

 

こういう、人生の底から這い上がった人の話に僕は弱い、恐らく多くの人間がそうだ。

 

日本は成功者に対してやっかみや嫉妬が物凄い国らしいが、これが、貧困や借金、その他の人生の苦難を乗り越えて大成した人間だと、 "特別にゆるす" みたいなところがあって、割と好感的に受け入れられるようだ。

 

はたからみて何の苦労も無く、例えば親から受け継いだ事業をそのまま展開していく二代目以降の経営者には素直に賞賛出来ないのかもしれない。

 

そして個人的に思うのは、艱難辛苦を乗越えた、例えば徒手空拳で成上った人物を見ると、 "自分にもチャンスがある" という気になるところが大きいと感じる。

 

チャンスがあるのは確かだろう、恐らく誰にでもある、というのは本当だ。

 

問題なのは、誰にでもあるという前提でそれを生かせなかった場合だ。

 

人生を盛り返すのは難しい、最後まで捨てずに勝負する、そういう姿勢がやはり大事であり、それを押し通してこそ、また新たなストーリーが生まれるのだろう。

2017年度宅地建物取引士合格点

1年に一度の宅地建物取引士試験。

昨週行われた本試験では、約20万人以上が受験した。

 
 
 
毎年のことだが、気になるのはその合格点。
今年は33点と34点が拮抗している。
 

 

 

この日のために一年間やってきて試験に臨む人も多く、正に人生を賭けた正念場ともいえる。

 

合格か不合格か。

一点、二点の差が運命を大きく左右する。

 

僕が受験した2014年は、宅地建物取引主任者として最後の試験であり、民法の出題内容がこれまでとは異なり、物凄く難解な、スタンダードとなる試験と言われていた。

 

その年の合格点は32点。

対して僕は33点のギリギリ合格だった。

 

20万円以上モスる学費をなけなしの金を叩いて受講したので、背水の陣ではあった。

 

 同様に、いやそれ以上の意気込みで試験に臨む方もきっと多いだろう、大変な試験だ。

たった一点、されど一点。

 

業界では名の知れた講師陣も袖まくりをして合格点を予想するお祭りのようなもの。

 

まだ合格発表まで日があるので、恐らく予想も変わってくるだろう。

マンション修繕費が狙われる

マンションの大規模修繕にのための積立金が、適正に使用されずに過度な工事代金として計上され、それにともなうお金の流れの不透明さについて、NHKの放送でも問題提起されていた。

 

hh.pid.nhk.or.jp

 

新築マンションが建設されなくなった現代、仕事にあぶれた1級建築士が大規模修繕のコンサルタント業務に群がり、知識の無いマンション住民に対して工事代金を修繕積立金いっぱいまで見積額を提示し、その工事額をもとに建設会社に入札させ、バックマージンコンサルタント会社が10%~20%受取っていたというもの。


マンション修繕に関しては明確な基準やガイドラインが設定されておらず、お金のあるところで、法整備がいきとどいていないところに、うまみを求めたコンサルタント会社による起こるべくして起きたことだ。

 

http://www.mlit.go.jp/common/001170196.pdf

 

国土交通省も異例の早さで問題について発表したようだ。


僕の住む地域でもマンションが建設ラッシュであり、それは日本全体が不動産バブルに浮かれるところも追い風となっているが、とにかく作れば即完売で、例えば土地が借地で建物だけが所有権となっているようなケースもあり、その後の将来的なガイドライン等も含めた住民目線の建築と販売に繋がっているとは言い難い面もある。

 

マンションの構造や運営の仕組みに何らかの問題をはらんでいるとしても、それが噴出するのは10年以上も先の事であり、その時にはマンションを施工した会社も存在していない可能性がある。

 

考えてみれば、住民はそのくらい大きな買い物をしているわけだが、どういうわけか実際に住み始めると自分の事としては考えられずに無関心で組合の集まりにも参加しない。

 

修繕積立金というのは都道府県にもよるのだろうが、月々馬鹿にならない金額を積み立てているのであり、それを取り崩して建築するのだから、一戸建てに住む人の修繕と同じように考えなければならない。

 

だが大きなマンションで100戸以上になるとどうも団地に住んでいるような感覚にとらわれ、当事者意識を失ってしまうのかもしれない。

 


特筆すべきは上述のコンサルタント会社で、マージンは10%~20%とされているようだが、修繕工事というのは時に億単位の金額にも上り、コンサルタント会社は数千万円を稼ぐ、まさに濡れ手に粟の商売。

 

自ら何かを創る訳ではないからぼろ儲けだ。

 

しかも、この手のバックマージンの問題は実証するのが極めて難しい、つまり罪に問われるケースはまれだという。

良く思いついたものだ。


法整備のいきとどかないところや規制のゆがみがあるところでは金が生まれやすい。

ランサムウェアをダウンロードしてしまった

ランサムウェア | トレンドマイクロ

 

ランサムウェアRansomware)」とは?

ランサムウェアとは、感染したPCをロックしたり、ファイルを暗号化したりすることによって使用不能にしたのち、元に戻すことと引き換えに「身代金」を要求する不正プログラムです。

身代金要求型不正プログラムとも呼ばれます。

 

 

safe.trendmicro.jp

 

 

昨年くらいに話題になり、企業メールにまで被害が拡大しているランサムウェア
この手の情報に僕は疎かったこともあり、何も分からずに開封し、あっという間にPCがおかしくなってしまった。


ランサムウェアの種類は幾つかあるようだが、僕の場合は、Lockyと呼ばれるもの。

 

japan.cnet.com

 

元に戻すパスワードが欲しければお金(身代金)を払うようにとの脅迫メッセージが表示されるのだが、困ったものだ。

 

まず、画像ファイルは全滅。
その他の資料も全てやられてしまった。

 

流れとしてはこうだ。

 

普段あまり使用しない携帯のメールアドレス宛に、英語でファイル付きのメッセージが届いた。

携帯では開封できないので、わざわざPCに取り込んで開封したところ、上記のようにLockyにやられてしまったというわけだ。

あーLocky。

 

なぜ疑問を持たずに開封してしまったかというと、英語を話す外国人の知人が数名いて、その誰かからの連絡だと思ったのだ。

 

まあ今思えば僕の知識不足なのは間違いないが。

 

ただ幸運なことに、本当に大事なもの、例えば金融関連の暗証番号やその他のパスワード、また個人情報に絡む類のものはPC内に保存していないので、被害はさほど大きくはなかった。

 

初期化することも考えたが、それよりも良い方法、「システムの復元」機能を使用することにした。

 

正直なところあまり有効な方法ではなく、失ってしまったファイルは恐らくもとには戻らないのだろうが、被害がこれ以上広がらないようにするのが精いっぱいだ。

 

このランサムウェアだが、様々な機能を停止させるほどのパワーを持っており、事態はかなり深刻だ。

 

www.npa.go.jp

 

警察庁まで情報公開をするくらい被害は甚大なのだろう。

 

あーやっちまった。

車の後ろから追随されたことと追随したこと

煽られてトラブルに巻き込まれるケースが増えていると報道されている。

 

allabout.co.jp

 

ただこれは恐らく以前から問題になっていただろうし、今回は死者まで出る痛ましい事件が起きたためにここまでスポットを浴びる事になったと思う。

 

僕も煽られたことは3度くらいある。

 

初めて煽られたときは大学生の時で、普通乗用車を運転していたところ、訳の分からないことでいちゃもんを付けられ、ニュースなどで流れているように、相手は車をしばらく並走してきて、「おい、ふざけた運転してるな!なめてるのか」とかなり激高していた。

 

男性で大体30代くらいだったと思うが、突然のことに驚いて僕は何も言えず、ただあまりにしつこいので車を走らせたまま、「そんなに言うなら警察で話をしましょう」と相手に持ち掛け、相手も「おう!当然だ」みたいなことを言い、いざ警察署に到着するとそのまま逃げてしまった。

 

つまり、その男も自身がおかしい行動を取っている、という認識があったのだろう。

 

バイクで運転していた時も似たようなことに遭遇した。

僕のバイクの運転が気に入らなかったようで、よほど頭にきたのか、車をかなり飛ばして、国道の片側三車線の道路にそのまま車を横付けして、 "通せんぼ" をして僕の進行を妨げ、車から30代くらいの男が降りてきて僕に怒鳴りつけてきた。

 

名古屋か岐阜あたりの訛りだったことは覚えていて、「お前ちょっとはじの方にバイク寄せろ、向こうで話すぞ」と、脅し気味に怒声を浴びせてきて、僕の後ろには車が数台、立ち往生するような格好だったが、誰もがその異様な雰囲気にのまれ身動きが取れずにいた。

助けてもくれなかった、そのくらいの異様さだったのだ。

 

僕はその男の言う通りにするとマズイことになる、と身の危険を感じ、とっさの判断でヘルメットを取り、腰を90度以上に曲げて深くお辞儀をして「本当に、すみませんでした」と、詫びた。

 

大通りで他の車も立ち往生している状況を男もさすがにマズイと思ったのか、しぶしぶ諦めて車を走らせその場を去った。

 

あのまま男の言うように道のはじに寄せていたらどうなっていたか分からない。

僕のバイクの運転も悪かったのだろうが、それにしても常軌を逸した行動だ。

僕はそれ以来バイクには乗っていない。

 

今年になっても、後続車両からよく分からない理由で煽られ、クラクションを大きく鳴らされて窓ガラス越しに怒声まで浴びせられ、さすがの僕も腹が立って(これは今でも本当に腹が立つ)あおりかえし、追随してクラクションを浴びせた。

その男は何歳くらいか分からないが、こちらのクラクションなんか意に介していない様子でそのまま走り去っていった。

 

とはいえ、上記のどのケースも事件へと発展する可能性はあったわけで、何事も無かったことはホントに幸運だった。

 

 

僕の住む地域ではそもそもクラクションを鳴らす人間が本当に少なくて、強引に割り込んでくる車両もタクシー以外はあまり見かけない。

やむを得ず強引に入ってきても、例えば、 "ありがとう" の意味でハザードを付けたりし、そんな小さなことが無用なトラブルを防ぐことにも繋がっている。

 

だが最近では県外からのナンバーも増え、物凄い運転が荒っぽかったり煽られたりすることも増えていて、上記の、僕のケースの二つはどちらも県外の人間だった。

 

なぜそんなに腹が立つのか分からないが、こんな時にいつも思うのは、僕が例えば明らかに見た目が堅気ではなくて、能面のスキンヘッドでヤバ筋のいで立ちならば、彼等は絶対に、僕に対して煽る行為をしないはずなのだ。

 

"自分より弱そう" だから、そういう行為をしてくる。

 

ここに、日本でいまだにいじめがなくならない事の本質とも繋がる何かが見え隠れする。

 

今後このようなケースに巻き込まれそうになったら、素直に謝罪し、先に相手を行かせた方が良い。

 

一時の感情で無用なケガや事故で命まで落としてしまったら全く引き合わない。

 

僕自身も反省した出来事だった。

 

だが、煽りで暴力沙汰にまで発展したり、わざわざ車から降りてきて怒鳴りつけてくるなんて、どうかしてる。

異常だ。