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本当は、やりたいことはミュージシャンではなくて、親への反抗心から

とある40代の男性がミュージシャンを志望している。
彼は子供のころ地元では神童と言われ、その名を聞けば誰もが頷く指折りの進学校を出て、東大へ進学したエリート中のエリートだ。
元々家柄も良いようで、皆それぞれ医者や弁護士になっているとのこと。

 

だが長男である彼だけが40過ぎてミュージシャン志望とはいえフラフラしており、今も母親から月々の小遣いをもらい、そのお金で夜な夜な飲み歩いて弾き語りのようなことも行っている。

 

やはり頭も切れるし、弁も立つ。

きちんとした職に就けばあるいは安定した人生を送ることが出来たのだろうが。

 

ミュージシャン志望ではるものの、歌を唄えばとてもではないが聴けたものではない。

そういった話を飲み屋で僕も含めて話していたのだが、彼の目的は、本当は「ミュージシャンではない」とある人が言った。

 

「酒の飲み方もアル中っぽいし、ミュージシャンっていうよりは、"親への反抗心"。
親が敷いたレールの上を歩きたくない、という思いから "あえて" 道から外れるような行動をしているように見える」

 

と話し、なるほど、と思った。

 


別の例で言うと、幼少時から父親に激しい暴力(性的ではない)を受けていた女性がいて、彼女はずっと父親が許せなかった。
そんな父親に反抗して、その反骨心から自分で努力して海外の大学教授まで上り詰めた。

 

順調にキャリアを積んでいたかのように見えた彼女のもとに、父親の訃報の知らせが届いた。

 

その女性はどうなったかというと、驚いたことに鬱になったそうだ。

 

どういうことかというと、これまでは、父親が憎くて憎くて仕方がない、そんな父親を見返すためにこれまで努力をし、その憎しみが原動力となっていたが、父の死でそれが失われてしまった途端、彼女の原動力が無くなってしまった。

 

上述の神童と言われた男性と共通しているのは、親への反発心だが、親の言うことを聞かずに自分の人生を歩いているように見えても、実際のところは、その親の影響を強く受けて自分の人生を生きることが出来なくなっているというところ。

 

こういう時、その人に必要なのは「赦し」らしい。

 

ゆるすことが出来て初めて自分の人生がスタートする。

そこらへんに書いてある安易な自己啓発にも、「赦すこと、許すこと、ゆるすこと」とあるが、悔しいことにそれは本当だったということだ。

 

憎しみや反骨心は、臥薪嘗胆という言葉もあるように時には辛く過酷な状況において、強い原動力を生み出すが、ともすればそれは、その憎しみや反骨心が無くなると原動力が他には何もない、ということの裏返しであることを意味する。

 

そうすると、"本当の意味で自分の人生を生きている" のかと問われれば、答えを出すのは容易ではない。

 

常に誰かの言葉やメッセージを受けて我々は生きているからだ。

 

また、ゆるしも必要かもしれないが、自分の心の声を聞くことも重要だと僕は思う。

車いすバスケットを描いた、マンガの "リアル" で

 

「自分自身の"声"を聞こえないふりをしていると、そのうち本当に聞こえなくなる」

 

というセリフがあるが、年齢とともに聞こえにくくなっていると確かに感じるからだ。