風俗に通う気持ちの半分くらいは寂しさが理由の時もある
30歳を越えてからというもの、金を払って性サービスを利用する頻度が増えた。
といっても、年に1,2回くらいのものだが。
病気が怖いので、キスをしたりペッティングはしないが、じゃあ何をするのかというと、裸の女性と抱き合って過ごすのだ。
もちろん、男なので性欲はあるからちゃんと抜いてもらうのだが、挿入という行為は実はあまり気持ちがよくないので(風俗でなくても)実際は手でしごいてもらうことが多い。
フェラや挿入行為も求めないと嬢からは驚かれることもある。
最近も、ヘルスサービスを利用した時、いつものように体を寄せて抱き合うと
「こういうのが好きな人いるよねー」
と嬢に言われた。
その時やっとわかったのだが、僕にとっての風俗に通う目的、その半分は寂しさを埋めるためだったのだ。
年に1、2回とそこまで多くないし、サービス内容そのものも極めてオーソドックスなもので、ディープなサービスはあまり好きでは無いが、女性に触れて、触れられたい、という欲求が僕を風俗へといざなう。
僕は独身で恋人も居なくて、結婚する予兆のようなものも一切ないのだが、それを嘆いたりとかもなくて、むしろ身軽であることを謳歌している要素が強い。
だが一方で、あまりの孤独さに心も体も汲々とすることがある、頻繁にではないが、無視できないくらいある。
そういう時は、仕方なく金を払って女性に会いに行くのだ。
夜の男性がすべて、寂しさを埋めるために風俗に通うかといえば、それは分からない。
だが、性行為をしているときに女性が無反応であることを嘆く男性が多いことを思えば
少なからず心のふれあいのようなものをどこかで求めている部分もあるのだろう。
「マグロだったんだ」
と、自分が昨夜抱いた女性のことを哀し気に語る男性が存在することがその証拠だ。
個人的には、寂しさを風俗以外の何かで埋めることがあって、例えば、映画を観るにしても、孤独な男の戦いがテーマとなっている作品を選ぶことが増えた。
最近も、トムクルーズの「ジャックリーチャー」という映画を借りてきて、何回も何回も観たのだが、特に好きなのはトムクルーズ演じる主人公のジャックが、その孤独な生き方について「寂しくないの?」と質問されたときのシーン。
主人公のジャックは、噛みしめるように、
「時にはな」
と、一言だけこたえるのだが、家族を持っている人や女性が観れば噴飯もののこのシーンも、孤独な自分をどこか投影しているので何とも言えない気持ちになってしまう。
特に会話はいらないのだ、むしろ話すことはあまりない。
孤独な気持ちを満たしてくれるなら対象は何でも良くて、だがその中でも最上のものが、女性なのだ。
ミャンマーや中国を旅行したときその手の店に行ったが、性行為はそこそこに、やはり
裸で抱き合っている時が最も満たされた時間だった。
ミャンマー語はおろか中国語も分からなかったが、それでもそこに女性がずっと居てくれる、というのは最高の安心感をもたらしてくれる。
バファリンの半分は優しさで出来ているのと同じように、風俗の半分は寂しさで出来ていると思う。