自分を "失いたい" "駄目になりたい" という欲求
友人と過ごしていたとき、突然、「今日も風俗にいこうか」と言い出した。
男の世界には付き合い風俗というものがあり、僕はその前日にも友人と風俗に付き合いで行っていたのだが、「今日も」というのは、それが連日のお誘いであることを意味している。
病気が怖い僕はかなりの慎重派で、前日はお店には行ったものの、友人が女性と消えるのを見て僕自身は店を出てサービスを利用しなかった。
だがそこへきて、連日のお誘い。
友人はというと、そわそわと落ち着かず、挙動不審で目と手の動きはおかしいし、上がってしまったテンションを抑えきれないといった様子だった。
どうやら、ムラムラするというよりも、何か別の欲求が友人を駆り立てていたようだ。
それが何であるのか、なぜそのような、連日の風俗通いとなるのか率直に尋ねたところ、
「お笑いの千鳥っているよね。そのうちのどちらかは分からないけど、物凄い競馬に入れ込んでいるようで、有り金全部賭けないと気が済まないんだって。勝ってもそのまま全部賭けるし、負けて残りが電車賃くらいしかなくても、それを全部スッてしまうんだと。なんか、失いたい、っていう変な欲求があるらしい、駄目になりたいというか」
概ね上記のようなエピソードを引き合いに出し、友人自身も、何かを失いたい、(恐らくこの場合はお金だ)駄目になりたい、そんな欲求が襲ってきてテンションが上がってどうしょうもない、そういった事を話した。
その気持ちは良く分からないものの、僕は二つ返事で付き合うことを承諾し、例によって店までいってサービスを利用しなかった。
お店から出てきた友人は、「イかなかった」といって、素っ気ない言葉を発し、我々はチェーン店のピザを食べて帰宅したのだが。
そんな友人の姿を見て、後になってから僕にはピンとくるものがあった。
この、 "失いたい" という欲求だが、最近読んだ中島らも氏の著書の、アマニタパンセリナにも記されていたのだ。
人間は、自分を失いたい欲求を満たすために麻薬をやったり、誰がどう見てもおかしなドラッグに手を出したりするのだと。
そのためなら、どんな秘境にも足を運んできた先人たちがいるのだと。
分かる気がする。
僕でいえば、我を失いたい、駄目になりたい、という欲求に突き動かされ、とめどなく歩道を走り続けることもある。
ロバのように口を開けて呼吸がおかしくなって、ゼーゼーと汗まみれになっても走り続けて、その様子を見る通行人がさかなクンのように "ギョッ" っとしたところで、走ることを止められない。
とはいえ、それくらいなら誰にも迷惑をかけずに自分だけで処理できるので問題は無いはずだが、大なり小なり、どんな人間でも "失いたい" "駄目になりたい" 欲求が襲ってくることはあると思う。
はたから見て真面目で、背筋がピンとしていて、おおよそ性的なものに関心がなさそうな人でも、その実、アブノーマルなプレイにしか満足できないという変態性を持っている人だっているだろう。
事実、昔勤めていた会社の先輩に、京大卒で誰もが認める真面目一辺倒の武骨な方がいて、だが夜はSMプレイに余念が無く、しかもSMプレイがいつでも愉しめるようにということで、風俗ビルの隣の建物の一室を借りて住んでいる、といった人がいた。
その先輩は日中は何食わぬ顔で女子社員とも接していたし、性的なそぶりや発言、その他の仕草は一切見せなかった。
それこそがまさに、先輩の変態性が垣間見える瞬間だったと今では思うのだが。
いずれにしろ、人間は "かくあるべき姿" を四六時中演じることは出来ないという事なのだろう。