感情労働大国ニッポン
最近この言葉の定義を知ったのだが、今や日本中は感情労働の渦に巻き込まれている人間が溢れている。
自分の気持ちとは裏腹に丁寧な対応に終始しなければならないのは、思っているよりずっとストレスが大きい。
特に、個人的な見解だが日本の客はワガママだ。
たったひとつの間違いに異様までに固執する人がいるし、1つの企業が提供するサービスや商品について、例えば全く異なるセクションに問合せをしたとしても、その担当者がこたえられないと怒り出す客もいる。
お客さま=神さま
のような構図が根強く浸透していて平社員にはかなり辛い。
これが海外ならそうはいかない。
僕がラスベガスに行ったとき、宿泊しているホテルのフロントに、施設内公衆電話の使い方を尋ねるために、その電話の場所が離れていたのでそこまでついてくるようにお願いしたところ、なんと道の途中で消えてしまった。
フロントに戻ると、それは私の仕事ではない、とばかりに取り合ってはもらえなかった。
仕方なしに、その公衆電話を使って日本に電話をかけるもうまくいかず、電話交換手のような担当に繋がり、僕は英語が出鱈目だが日本に電話したいのだと何とか伝えようとするも、あからさまに電話交換手に溜め息をつかれ、さすがにこちらも疲れて電話を切った。
ちなみに上記のどちらも、別担当者を寄越そうとはしなかった。
日本では考えられないことではあるが、「そういうものだから」と割りきれば諦めもつくし他の方法を考えようともする。
日本だと過剰に顧客のご要望に沿おうと必死になるし、その顧客が相応のサービスを提供するに値しようとしなかろうと、ある程度画一的な、尚且つ丁寧な対応を求められることが多くい。
顧客の方でもそれが当たり前だと思っているところがあり、あまりにお門違いな要望にも応えなければならなかったりして、それが感情労働に繋がる。
とはいえ今やコンビニでも外国人が増えて日本人は賃金と割に合わない仕事をやりたがらなくなった。
これが1つの転換になるのか、その答えが出るのはまだまだ先だろう。
当たり前だが、国によって客へサービス水準はことなる。
見方を変えれば日本のサービスは優れている点も多いため、どこまで客への奉仕を行うのか、その基準や線引きはかなり難しい。
いずれにしろ、感情労働からは離れたい。
ストレスで鼻毛の白髪が増えた。