自分なりの価値基準を持つことが重要らしい

 

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最近、働き方や自分なりの生き方を実践している人の記事に目がいく。

それはとりもなおさず自分自身がそうありたいと願っているからだと思う。

 

年収が幾らあって、家があって、ある程度のブランド品を所有し、貯金をいくらしていて家族も持ち、子供を養い、教育費も貯金しつつ、自身への投資を惜しまない...。

 

そういったものは、"誰か" が作り上げた理想であり、見方を変えればお金をいかに使わ

せるかのマーケティングがいたるところに駆使されている、ということでもある。

 

 

最近、会社の先輩が自宅にレンタルウォーターサーバーを設置した。

僕が子供のころは "水を買うなんて" という意識だったが、今や水はお金を出して買うのが常識になりつつある。

その先輩は、一月に3,000円から6,000円程度のお金を払ってウォーターサーバーを使用していて、これが結構ばかにならない金額なのだが、冷静になって考えてみると、日本の水は決して危険な水ではない。

 

僕が小学生のころは学校の水道をガブガブ飲んだし、もちろん飲み過ぎるとお腹を壊したりもしたがそれでも構わずに飲んだ。

高校生活においても水道水を部活用の飲料水として使用していた、そうしないと、何リットルも消費する部員の喉は潤せない。

今や世界的な水不足で、水を買う、というのは確かに常識としてとらえてもいいが、日本においては、ある程度きれいに濾過されている水が蛇口から流れるし、外国のようにそれが体に害をもたらすことは殆どない。

 

となると、ウォーターサーバーは本来、必要のないものといえる。

 

上記の記事でも、お金をある程度持っていてもそれ以上の消費生活を送っているためにお金が貯まらないケースを引き合いに出しているが、いかに我々が消費生活において見えないなにかに支配されているかに気付かされる。


昔、ビートたけしがTVで、

 

「最近フィットネスクラブが流行っているが、好きで高い金を出しておいしいものを食べて太ってるのに、またお金を出して痩せに行くって、そんな馬鹿な話があるか。その辺でも自分で走ればいい」

 

と、現代の消費社会をある一面から切り取ったなかなか鋭い指摘をしていたが、これなどはまさに的確。

 

本来、必要のないものを削るだけで理想とする生活を送るハードルもグッと下がるだろう。


つまりは自分なりの価値基準を持つことが大事なのだろうが、とはいえ、こうも高度に発達した消費社会と、そこに張り巡らされたマーケティング戦略を掻い潜り自分の考えを見つめ直すのは容易ではない。

 

 

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当時大ヒットした映画、ファイトクラブでは、消費社会の奴隷になり果てた主人公が
内面ではそんな自分に嫌気がさしつつも、それに抗えない葛藤から二重人格を生み出し
もう一方の自分が消費社会を壊すために破壊的行動をしかける、といった、単に暴力映画ではない優れた風刺映画としても楽しめるが、同じことが現実に起きていてもなかなか気づかないものだ。

 

それくらい、自分の価値観を持つというのは難しい。