お金があると選択肢も広がる、という当たり前の事に気付いた

お金があって、選択肢が増えた人たち

 

大学の同窓生に、卒業後東京の会計士スクールに通学した知人がいる。
朝から夕方くらいまで会計の勉強に励み、その学費・住まいの家賃から生活費はもちろん会社経営者である彼の父親が出し、数年かけてその知人は公認会計士の資格を取得、30歳くらいでトーマツというところに就職した。

500万円以上は費やしたはずだ。

別の知人は、公認会計士にこそなれなかったが、就職も出来なかったので父親の経営する会社に幹部候補で入社した。

 

"親が社長"ということのために、自身では到底得られない財力を持って、強引に、歩むはずだった道を捻じ曲げて、ねじ伏せて歩いていく人間が、驚くほど僕の周りにいて、前述したように、思ったよりも親の力の絶大さを僕は痛感している。

 

そんな親が嫌で、「親父のつくった会社には、俺は入りたくないんだ」と、熱く語って自分自身の道をいくと、そう話した高校の友人も、今は父親の会社で働き、背を向けたはずの親父の右腕だ。

 

蛇足だが、中学の同級生は、親の創った多角経営の中小企業で今は経営者として手腕を振るい、毎日のように初対面の人から

「凄いですね、お若いのに事業をたくさんやられていて」

と称賛され、まるで自身が会社をゼロから創ったように話している。

 

 

もって生まれたもの、特に親の経済力はかなり重要

 

僕の地元は、起業と廃業が全国でもトップレベルの水準にある。

平均所得はかなり低く、最近は改善されてきたものの失業率も高いし、きちんと生活していけるくらいの給与を支払う会社は本当に少なくて、体力のある会社は県外資本が殆で地元の零細企業では生活を維持していけないから、多くの人間はダブルワークをしている。

それにしたって、例えば東京の平均年収には到底及ばない。

恐らくそういった背景から、自分で会社を起こそう、という起業が多いのかもしれない。
もちろん、リスクを取っても起業するメリットはある。

これまで働いてきた地元の中小零細では、社長の殆どが月収100万円近くを得ていた。

最も多くて、月収200万円。

それだけのお金があれば大抵のものは手に入るし、子供の教育費にだってお金をかけられる。

 

上述のお金で選択肢を増やした人たちの親は、皆社長だ。

 

 

親の力や財力は子の人生に関係はないと思っていたが

 

認めたくはないが、実際にはあると断言する。
正確にいうと、関係というよりは大きな影響力を及ぼす。
PHA氏もその著書である、「ニートの歩き方」で

 

そもそも人生のスタートからして、人間は自分が金持ちの家に生まれるか貧乏の家に生まれるかを選ぶことが出来ない。
その人が仕事がまったくできなくて人間的にも凄く嫌な奴だったとしても、金持の家に生まれれば援助してもらったり、資産を引き継いだりして何とか生きていける。

でも貧乏だとそうはいかない。(中略)

ゲーム風に言うと、「人生は初期設定によって難易度がイージーかベリーハードかが違いすぎるクソゲーなんじゃないの」ということだ。

 

クソゲーとはまた強烈だが、今なら僕もやはり納得してしまう。
30過ぎても、頭の中はお花畑で一杯で、何をしようと何を語ろうと、親の財力が枯渇しない限りは幾らでも夢を見ていられるし、幾らでも人生をお金の力で買えることが出来る。

そういう場面をまざまざと見せつけられると、やはり納得せざるを得ない。

 

 

努力次第で何とかなるか

 

努力で人生をどうにかする、という点についても、PHA氏は

 

恵まれない環境に生まれ育っても、頑張って社会的に成功している人はちゃんといる」と反論する人がいるかもしれない。
でもそれはレアなケースに過ぎない。
全体的に見ると、収入の多い家庭に生まれた人の子供は収入が多い大人になる確率が高いし、貧乏な家庭に生まれた子供は貧乏な大人になる確率が高い。(中略)
「恵まれない環境に生まれ育っても、頑張って社会的に成功している人はちゃんといる」というのはたまたまうまくいったケースにすぎないしレアケースを一般化してはいけない。
ゲームをベリーハードモードでクリアした人が何人かいたからと言って、ベリーハードモードに挑戦した人の平均得点が低いという事実は変わらない。

 

ゲームを例えに、面白い表現をする。

とはいえ、僕は持って生まれたものや自分の手に無いものを嘆いている訳ではないし、無いものは無いんだかしょうがなくて、コツコツと積み上げていくしか他に方法が見つからないからそれを続けている。

そんな毎日を過ごしていると、強引に人生を捻じ曲げた人を見てつい、モヤモヤもしてしまうのだが。

 

努力でどこまでいけたか分かるのはしぬときだろう。