沖縄にかつて存在した辻遊郭の遊女はジュリと呼ばれていた

4歳で父親の借金を背負い、かつて存在した那覇の辻遊郭に遊女として売られた、正子・ロビンズ・サマーズさん。
当時は政府が辻遊郭を売春を行う場として正式に認めており、一定の年齢に達した遊女に対し免許証のようなものを発行していたようだ。

正子氏も16歳から客を取らされ、第二次世界大戦の最中、激動の人生を送ったわけだが。
最後は廃油を必死にためてそれを売り、借金を返し、辻遊郭から解放されて画家として残りの人生を生きた。

 


彼女のドキュメンタリー番組も放送された。


ちなみに、このジュリという言葉。
遊郭の遊女をジュリと呼んだそうで、僕は売春婦として理解している。

今思えば、約15年ほど前に那覇で高校生活を送っていたとき、ジュリという名前の女の子が一定数いた。
それも、割ときれいな子が多かったように思う。

 

当時は僕も周りも子供だから、遊女や辻遊郭なんて知らないし、今のようにきらきらネームがまだ少なくて、女の子の名前と言えば○○子がまだまだ多かったから、ジュリという、その何とも言えない輝きを放つ名前は目立った。

 

とはいえ、その女の子の両親は言葉の意味を知っていたはずだ。

 

遊郭では当時、美人投票なるものも行われていたようで、遊女といえば美人というイメージも定着していたのかもしれない。

 

美しい女性として育つように、ジュリと、付けたのか。

 

不思議だ。

 

蛇足だが、大学生の時に時給の良いアルバイトの求人が新聞に出ていて、具体的な仕事内容は記載されておらず、とにかく面接しようと出かけて行ったことがあるが、その待ち合わせ場所が辻遊郭があった場所近くの神社前。

 

今もその周辺はソープランド等の風俗店が営業していて、どうやらその関係の求人だったようだが、セルシオに乗って現れた、いかにも、という風貌の男性はふんわりと酒の香りを発し、僕を見た瞬間、

「君はまだこの世界に入るような人間ではない」

そう言ってタクシー代にしろと5,000円をくれた。

 

つまり不採用だったために、何の仕事だったのか、今でも分からないが、ゲイ向けの風俗店はその周辺には無いので恐らくボーイか何かの仕事だったのだろう。

 

四半世紀を経てなお、辻遊郭は姿を変えて別の形で性サービスを提供している。