安定を捨てて新しい道を踏み出した

昨年11月、10年近く勤めた銀行を退職した。

新しい分野、具体的にいうと不動産業界で自分の腕試しをしたいという気持ちに蓋をすることができず、二年間迷い、挑戦することにした。

かなり慎重な性格ということもあり、転職先の給与や待遇面の選択にはかなり注力した。

銀行員時代は年収500近く貰っており、高くはないがまだまだ伸びしろもあった。

上がった年収を下げたり捨てたりするのはなかなか容易ではない、と気づいたのも銀行を辞めた時だった。

そういうこともあり、転職先はその年収をある程度加味したもの、というところが僕の次のキャリアでの譲れないポイントになったわけだが。

結果どうなったかというと、まず、銀行員時代と殆ど変わらない年収で建設業の不動産業務を多少取り扱う会社への転職に成功した。

普通、異業種からの転職組の年収は前職よりも低くなるのが一般的なため、これはかなりの好条件であるといえる。

僕は定説を崩したわけだから、「常識にとらわれるな」ということを自身の体験を通して実現させたことになる。

注目すべきはそのあとで、僕は転職先の会社を、3ヶ月間の試用期間が完了したと同時に退職した。

色々と理由はあるが、やりづらかったのは、経営者に直接、「君の給与は高すぎるんだよ、考えなければならない(雇用条件を暗に匂わせる話し方で)」と言われたことだ。

業界未経験のため殆どなにもできない僕に、それほどの給与は差し出したくない、という本音が出たわけだが、そんな環境では働きづらい。

そもそもその会社は建設業だったため不動産実務には結構疎くて、僕が希望している仕事ではなかったということももちろんあるが。

そんな流れから今何をしているかというと、不動産業の会社に再就職し、銀行員時代の年収より40パーセントくらい下回る給与で働いている。
(もともとはそれがセオリーな入り方だ)

こうしてみると、やはり人生というのは分からないものだ。

安定を捨てて違う道に踏み出すと決意したときには、大きな志を持って新しい1歩を踏み出したわけだが、それが試用期間で退職するという、なんともお粗末な結果に終わり、今また違う会社で働き始めている。

こんなことは予想もしていなかったし、勿論、望んだわけでもなかった。(少なくとも顕在意識においては)

芸術家の岡本太郎は、

「計算づくでない人生を体験することだ」

とその著書で語ったが、僕は今その第一歩を遅まきながら踏み出したことになる。

そんな僕を見て、バカな選択をしたな、という人も少なからずいたことは事実だし、自分自身、これで良かったのだろうか、と、思うこともしばしば。

だが一方では、銀行の仕事をあと数十年も続けるのかと思うと気が重くなり、キャリアを自分で選べないことにも嫌気が差していて限界だったのもまた事実。


いずれにしろ、この道の選択の答えが出るのはまだ先の話だろう。

不確定要素が増えた僕の人生で何が起きるのか、あまり重くとらえずに愉しんで受け止めようと思う。