何かしらの糧が一つでもあれば人間は生きていけるようだ
ドキュメント72時間「京都 静かすぎる図書館」
NHKの72時間で京都の私設図書館に集まる人々の模様が放送されていた。
いつものように様々な人がそれぞれの人生を生きている物語を淡々としたトーンで描いていく内容だった。
印象的だったのは二人の男性。
一人は60歳を越えていて(70過ぎていたかもしれない)、自身の父親がインパール作戦でミャンマー(当時ビルマ)に滞在していたらしく、「戦争のことは殆ど聞かなかったけど、現地の美しさとか、自然の素晴らしさについては良く話していた」と語り、亡き父親の足跡をなぞるためにビルマ語を図書館で勉強しているとのこと。
現地に訪問したこともあるそうで、ビルマ語も随分と長い時間をかけて学んでいたことから、「新聞くらいは読める」と笑顔を見せた。
ビルマ。
今の、ミャンマー を言葉から学び直し、その国の全体像を掴むことで、亡き父の面影を少しでも感じたい、という想いが伝わってきた。
もう一人は50代の男性で、日ごろは新聞配達で生計を立てているようだが、一日の空いた時間で高校の数学の勉強をしていると語る。
元々は非常勤講師として高校で数学の教鞭を取っていたものの契約が満了し、正規職員としての採用試験も年齢制限を過ぎてしまったために受験できない。
「(いつか戻った時のために)数学を勉強している、これがないと、人生で新聞配達だけになってしまうので、それは嫌だから」
と話す姿が印象的だった。
二人の男性の背後にあるものや、これまでどういう人生を歩んで来て今どういったライフスタイルを送っているのかその全てを把握することは出来ないが、身なりからして裕福でないことは想像がついたし、新聞配達の男性にいたっては、一日の殆どの時間を配達に取られ、それ以外の時間に数学を勉強しているという。
その時に僕が思ったのは、
人間は何が無くても、どんなことでも良いから "糧" が一つでもあれば、自身の人生を全うしていくことができるのだ
ということ。
ビルマ語を勉強する男性は亡き父親の面影を追い続けながらも、今はミャンマーとなった同国について学び、それがやはり彼の糧になっているようだったし、新聞配達の男性についてはいわずもがなだ。
これが人によっては家族だったり、子供だったり、お金や仕事、社会的ステータス等とそれはまさに十人十色なわけで。
タイで麻薬密輸をして死刑判決を受けた竹澤氏。
獄中生活時に肉親と死別したり別れたりし、まさに天涯孤独の身となった竹澤氏は、奇跡的な出所の機会に恵まれ、生きて日本の地に戻ることが出来た。
そんな竹澤氏も今は、 "東南アジアの土へ還る" べく、日本脱出の最終目標を見据え、諦めずに人生を立て直しているようだ。
"糧"
それが無いと生きていけない訳ではないものの、それが無いとずいぶん人生は味気なく、毎日が空虚で生きている意味も実感も感じることさえ難しくなる。
"糧"
たった一つでもそれがあれば、例え人生が長く険しい道のりだったとしても、人はその道を歩んでいける。