良い人=人格的に素晴らしいではなく、害の無い人という意味
別に悪い意味では無いのだろうが、誰しも、自身の周りに一人くらいは
「あの人良い人だよね」
と称される人間がいる。
この場合に僕が挙げる"良い人"というのは、人格的に優れていて、人を思いやる心と器量の持ち主で、いつも笑顔を絶やさず、困っている人が進んで助け舟を出す、というものではない。
そして、上述のように、「あの人良い人だよね」という言葉を発する人の本音も、人格的に優れていると称している訳ではないと僕は思っている。
会社のとあるチームに所属する女子社員たちから非常に人気があって、ほぼ全員から好かれている、男性の中高年の上長がいる。
とにかくそこに所属しているチームの社員は彼のことが大好きらしく、熱烈な支持を得ているようだ。
ある日そのチームが再編成されて違う部署に吸収されたため、仕事の水準がより高度なものを求められるようになり、そこで働いていた女性社員全員も否応なしに業務のレベルアップを余儀なくされた。
だが、彼女たちのパフォーマンスは一向に上がらず、それどころか、これまでいかにぬるま湯の中で仕事をしてきたのかが白日の下にさらされることとなり、また新しく編成された部署のルールを彼女たちに落とし込む役割を持つ、その人気の上長についても、全くその職務が全うされていないことが判明し、そのチーム全体が部署の足を引っ張るような構図となっていた。
そのチーム全体に業務について圧力がかかる際、まずはその人気の上長に先に指令が飛ぶのだが、彼は口では受け良く返事をするも、その指令が彼女たちに流れることは無く、チームは何も変わらない。
つまり、その上長は彼女たちに厳しいことが言えず、高度な水準が求められている現状や、そうあらなければ将来的には契約社員である各々が職を失ってしまう結果ともなり得る、という大事な点も伝えられずにいるのだ。
そんな上長が人気だというのは、それは彼女たちにとって、
"厳しいこと、耳に痛いことを言わない都合の良い上司"
または
"人畜無害なひと"
なだけで、決して人格者とイコールではない、むしろマネジメントとしては大失格だ。
僕の所属するチームの間でも、「良い人と仕事が出来る人(ここではマネジメントという意味で)は違うんだなー」といった、もはや語るまでも無い当たり前の認識が、今更ながら、その人気の上長を例えにしてにわかにささやかれている。
"上司"については、コロワイドグループの創業者でもあり、現会長の蔵人金男氏の社内報での発言が、数か月前に話題となったが。
社内報はこちら
http://www.colowide.co.jp/datafile_new/pr_news_pdf_file_148793383651.pdf
リーダーは、鬼と仏の間を行ったり来たり、是々非々で考える。
叱る時は、叱る。
褒める時は、褒める。
だが全員、仏をやりたがる。
裏付けのないやさしさ。
-蔵人金男氏 社内報から-
僕はコロワイドグループの会長を支持している訳ではない。
だが、上述の上長のだらしなさを見ると、時には鬼の顔を持つことも大事なのかもしれないとも思ってしまう。
とはいえ、今は厳しいことも言いにくく、また言えない時代になっているから大変だ。
厳しく、耳に痛いことを言う人間は敬遠されがち。
だから上述の良い人が増え、鬼の顔役は誰もやりたがらず人気も無い。
毒にも薬にもならぬ人が、"良い人"の時代だ。