いじめの陰湿さは今も昔も変わらない

毎年のようにいじめ問題が報道され、時には被害者の死を招くような残念な結果となることもある。

 

だが、"いじめ"という言葉は、その本質を的確に表していない。

 

その実態はといえば、中傷、暴力、窃盗、その他精神的に危害を加えるものであり、全て犯罪だ。

 

最近もいじめを受けた10代の子が、自ら命を断ったことがニュースとなり、その被害の内容が少しづつあらわになっているが、昔も今も、陰湿なやり口は全く変わらないと実感。

というのは僕も中学生だった当時、かなり酷い陰湿的ないじめにあっていたからだ、身をもって体験している。

 

当時は"シカト"(今もこの言葉があるか分からないが)という言葉が生まれた時期くらいで、クラス全員はおろか、同学年の殆どが僕を無視し(無視というのはいじめの中でも最大級の苦痛だ)、机に絵の具をぶちまかれ使い物にならなくされたり、椅子の上に画びょうがあるのは当たり前で、机の中やカバンの中まで荒らされて時には私物も無くなった。

一番恐ろしいのは休み時間で、席をどいてしまうと離れている間に何をされるか分からないので、そのままずっと座り続けるのだが、後ろや横から別のクラスの同級生含め、雑巾や汚水、ごみ、そういったものを投げつけられた。

泣くとエスカレートするし、誰もが被害者になるのを恐れているたため、助けてくれる人なんていない。

 

俗にいう、「先生や親に助けを」という言葉はあまり役に立たない。
特に教師は残念ながら何の助けにもならない、僕自身、幾度となく担任教師に問い詰められたが決して口を割らなかった。

だが、教師は薄々感づいていたはずなのだ、クラス全員が僕を無視しているのだから。

 

告げ口をすれば報復を受けるのは間違いなかったし、教師に報復を防ぐことは、出来ない。

10代前半、半ばといえばまだまだ子供だが、特に中学生の間の3年間は大事な時期で、親よりも友人との絆が大事だったりするし、そこには中学生なりの社会がきちんと作られていて、尚且つその世界が全世界になるから、居場所を確保できずにはじき出されてしまうともはや生きていけない、というくらいに追い詰められる。

 

なので仲間外れにされる恐怖は良く分かるし、これらは日本ならではの同調圧力の強さと、村社会が生み出す特有のものだ。

加えて、酒鬼薔薇聖斗に代表されるように、その時期の10代の少年少女の凶暴性、残酷さは恐らく相当なもの。

 

誰もが、次の被害者になることを恐れ、目の前の被害者を助けることも、助けを呼ぶこともしない、見て見ぬふりだ。

 

僕の場合、小学校の高学年くらいから少しづついじめが始まり、中学生3年の途中くらいまで続いたので、その間の数年間のストレスは相当なものだった。

髪の毛も抜け落ちてしまい、今も生えてこない部分がある。

 

あれから十数年が経ち、数々のニュース報道と哀しい出来事を目の当たりにしてきたが、


被害者が自ら命を断つ

    ↓

世間に公表される

    ↓

学校側はいじめはなかったと発表

    ↓

一転していじめがあったことを認める

    ↓

調査委員会を設置、調査に乗り出す

    ↓

「二度とこのようなことが起きないように...」と声明

    ↓

また違う場所で同じことが起きる

 

このサイクル、もう見飽きたし、延々と繰り返されていて一向に改善されない。

 

今も昔もいじめは陰湿的なものだが、僕の時はスマホSNSは無かったので、そういう意味では以前よりもかなり精神的な圧迫感は増していると思う、当時なら耐えられた僕も現代では耐える自信が無い。

 

だからといって、教師は頼りにならないし、学校を変えるのも容易ではなく、親は仕事と人生で忙しいし、仮に相談したとしても、一時は収まっても最終的には報復され余計にひどい目にあう、おまけに主犯格は賢いからなかなか尻尾を掴めない。

 

誰もが被害者になりたくないから見て見ぬふり、あるいはいじめに加担する。

それも状況をより複雑にする。

つまるところ、延々と続くいたちごっこだ。

 

 

秦かなえ氏の、「告白」はその衝撃的な内容で世間を騒がせたが、あの独特かつ陰湿的な雰囲気はいじめの空気感を上手に表現していて、賛否両論あるもののその点だけはうまく描いていると個人的には感じた。

 

movies.yahoo.co.jp

 

 

被害を受けてきた僕としても有効な解決策があったのかというと、いま考えてみても全然分からない。
違う学校に通う、くらいしか思いつかない。

 

僕の場合は、いじめの主犯格をころすしかない、と考え、どうにかこうにか入手したナイフを持参し、主犯格の自宅付近で待ち伏せをしたこともある。
それくらいに追い詰められていた。(もちろんその選択肢はとらなかった)

 

一方で幸運だったのは、小学校高学年から中学三年間を何とか耐え忍び、高校は全く違う地区へ入学することが出来た点。
そこからは、僕の人生は快適だった。

 

とはいえ、全員が同様の選択肢をとれるわけではない、耐えきれずに命を断ってしまう事もある。

 

いずれにしろ、これからの日本を担う、明るい未来しかない若い子ら、まだ年端もいかない子が人生に絶望し、亡くなってしまうのは心から残念でならない。