外国に行ったら現地語で話し、日本に訪れる外国人観光客にはその国の言葉で

昨夜、夕飯にとラーメン屋で飯を食っていたら欧米の男性外国人観光客が地図を片手に一人で店内に入ってきた。

僕は客としてそこにいたので相手をしなかったが、店主は、英語で道を尋ねられていた。

どうやら近辺の駅を探しているようで、確かにそのラーメン屋周辺は路地が多くて分かりづらく道に迷うのも仕方ないと思われた。

 

店主と外国人観光客とのやり取りをしばらく眺めていたが、男性観光客はしきりに英語で話しかけるのに対して、店主は日本語受け答え。

 

観光客「Eexcuse me. ~?」

ラーメン店店主「あー、○○駅?この道をまっすぐ行って、信号を右です、右、そうです右、信号を右...」

 

そのようなやり取りが目の前で繰り広げられ、ジェスチャーも交えながら店主が説明をすると、外国人観光客も理解し、「Thank You」と言い、「お気を付けて~」と言葉をかける店主。

店主は最後まで英語を話さなかった。

 

僕も東京に出張に行った時、上司を新宿東口駅まで見送った直後に、欧米系カップルの観光客に話しかけられたことがあるが、その時にも思ったのは、彼等はなぜか日本語を話さない。

 

殆ど英語で話しかけてくるし、こちらもなまじっか英語が理解できて簡単な単語くらいなら分かるものだから、日本語で話すことなく、英語でコミュニケーションしてしまう。

 

反対に僕が他国へ旅をする時、道を尋ねるくらいの言語は覚えるたり、挨拶や感謝を述べる言葉は前もって調べる。

 

日本に訪れる外国人観光客が持っている、ガイドブックにも恐らく簡単な日本語は出ているはず。

だが、どんなにコミュニケーションが難航しようともそれを使用しない。

 

根本に何か差別的な意味合いがあるのか、英語であればどこでも通じるというおごりがあるのか...。

理由は定かではないが、日本語で話しかけられるのは稀だ。

 

だが一方で、僕自身、台湾に観光に行った時、あまりに日本語が通じるものだから(現地のポン引きなどが日本語で話しかけてくる)そのまま日本にいる時のように日本語で話し続けてしまっていた。

 

店でお会計をする時など、日本語で話すと、その担当者は日本語が分からなくても日本語が分かる担当者を出してくれる。

 

時に面倒くさそうに対応されることもあったが、日本語でコミュニケーションしてくれるとかなり助かるし安心したのは言うまでもない。

 

上述の外国人観光客と、僕が台湾に行った時の日本語が通じる安堵感は同様なのかといえば、個人的には少し違うと感じる。

うまく表現は出来ないが。


また、僕の地元にはアジア系の観光客が多く、最近は韓国人に道を尋ねられたのだが、彼等は日本語を片言ながら話す。
だが僕が韓国に行った時は、日本語を話す機会もなく、通じる雰囲気もなかったし、(他の日本人に日本語で教えてもらったりはした)また僕も韓国語で話す自信も無く、それどころか韓国語を話すとなにか怒りを買うのではないか、とか、変なことを考えてしまい、気がつけば英語で現地の人間とコミュニケーションしていた。(韓国との関係があまり良くない時期に渡航した)

 

ミャンマーに旅行したときは殆どが英語だったが、僕自身、ミャンマーの言葉もある程度叩き込んで出かけていった。

こちらの下手くそな挨拶にも笑顔で応えてくれた。 

 

日本は安倍政権になり円安も手伝って年々海外からの外国人観光客が増加傾向にある。
それに伴い政府も様々な取組みを行っているが。

 

www.mlit.go.jp

 

 

やっぱり、これ以上の増加を見込もうと思ったら、海外から訪れる観光客向けの言語の整備や、外国人に向けた広告・看板づくり、店舗内のアナウンス等、より細かな整備が必要なのかもしれない。

東京・大阪・名古屋といった首都圏や、僕の住む地域以外の他府県ではある程度整備がされているかもしれないが。

 

台湾に行った後にまた台湾に行きたいと感じるのは、言語が通じることもあるし、日本人が過ごしやすいようにある程度の環境が作られていることもあるからだろう、あるいは戦前戦後の名残もあるのかもしれない。

 

そういったものが、「歓迎されている」という雰囲気を醸し出すし、安心感と非日常感が同時に味わえる。


欧米人がなぜ日本語をあまり話さないのか結局分からないが、我々日本人としては、彼等と同じことをせず、やはり台湾人のように海外からの外国人観光客を満足させる、日本流のおもてなしを考えると良いのだろう。

 

とはいえ日本に訪れる外国人観光客は今や多国籍に及ぶので、言語の整備はなかなか難しいところがある。

 

外国に行ったら現地語で話し、日本に訪れる外国人観光客にはその国の言葉で。

 

それが理想なのかもしれない。