迷惑をかけて助け合う中国社会と、迷惑をかけない日本社会

先日、中国で仕事をしている友人と久しぶりに再会し、その生活ぶりなどを聞いた。

割と田舎の方に住んでいると話し、昔の日本人のような人間が今も多くいる、と彼は話した。

 

外国人に対して特に親切にしてくれるそうで、困ったことが何かしらあって、それに関して友人が頼みごとをすると物凄く、快くやってくれるのだそうだ。

それに関して礼を言うと、「なぜお礼を言うの?当たり前のことじゃない」と、驚かれるらしい。

 

日本では、何か他人から施しを受けたら必ずお礼をするのが一つの礼儀だが(失われつつあるようだが)中国ではそれが、ある程度の親しい中であれば当然のことだという。

また、相手に何かをお願いする、という行為は、"あなたとは深く付き合っていきたい"ということの証のようで、お金の貸し借りも、信頼できる人からしかお金は借りないらしい。

 

「俺も現地の友人に金を貸している。日本では違うよね、友人からお金を借りてはいけないから」
「日本では他人に迷惑をかけない、という社会だけど、中国では迷惑をかけながら助け合って生きていく」

 

そう友人は話したが。
それが本当ならば、常識的な概念がひっくり返るようなことだ。

 

面白かったのは、中国人が持つ日本人のイメージだ。

「勤勉で真面目で、あまり本音を言わない」ということらしい。

勤勉さや真面目さという点では、よく言われることだが、ドイツ人と日本人は似ていると言われるからそれに近いのだろう。


だが本音を言わない、というのはまさに日本人。

 

「例えば誰かからモノをもらって、仮にそれが自分が欲しくないモノだったとしても、日本人は礼を言って受取り、拒否をしない。中国人はいらないものはいらない、とハッキリ言うから、この話をすると驚かれる」

 

だから、現地で日本語を勉強している学生は、二人一組になって日本語で話し、お互いの発音の確認をするのはもちろんのこと"相手を褒め合う"ような授業も行うそうだ。

あまりばちっとハッキリ発言すると、日本社会では毛嫌いされるからだろう。

 

「でもそうすると、相手に褒められても、"それは本音ではないんじゃないか"と、混乱させてしまうんじゃないかな」と友人は話す。

ただでさえ文化や慣習が違うのだから、日本人特有のこの空気を読む的なものは、教えるのは確かに難しい。


とはいえ、中国びいきの友人は日本の悪いところが目につくようだが、僕はそのようには思わない。
日本では、他人に迷惑をかけない、という教えと、困っている人がいたら助ける、という概念もあった。

 

今の時代は"どう生きるか"という概念に個人も日本全体も混乱していて、誰もが余裕もないから、それを忘れているだけだ。

 

いずれにしても、日本全体を覆うこの行き詰まり感と閉塞感は、何とかしなければならない。

 

それには温故知新ではないけれども、もう一度原点に立ち戻り、今までのやり方を根本から変革していくことが必要なのだろう。