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新しい価値観の提唱と慰撫と金銭

これだけ生き方が多種多様な時代になると、「○○な生き方」といった
新しい価値観を提唱する人々が表れ、その鮮麗かつクリエイティブじみた彼らの生き様からも、大衆に向けて強烈なメッセージが発信される。

 

本来それらは有り難がったり、感謝して受入れるものではなくて、一つの視点または側面としてとらえた方が本来は良いと思うが、悪いことに、そういった人々は自身を魅せる技術にも長けているから、どうしても人生を揺るがすくらいの刺激と判断し何の疑いもなく脳に侵入してくる。
僕なんかは特に影響されやすい。

だが、どこかで、違和感を感じてもいた。

 

「単に踊らされているだけじゃないか?」

 

ということだ。


その違和感を見事に文章にしたものが昨夜はてな匿名ダイアリーで見つかった。
これを書いた人は凄い。

 

 

 

坂口恭平とイケダハヤトと古市憲寿みうらじゅんとphaの共通点
http://anond.hatelabo.jp/20121213130449


記述対象と記述者が実際には違うということ。

これは「ネタ/ベタ」問題とも通じるだろう。

つまり、否定的に捉えられがちなある対象の革新性を持ち上げることによって利益を得ているが、記述者はその記述対象とは違うということ。

phaさんはニートに対して新しい意味付けを行ったが、実際phaさんはニートを抜け出せる、抜け出しつつあるということ。

古市憲寿は貧乏まったりな若者に対して新しい意味付けを行ったが、実際彼は有能な起業家と一緒に会社を経営し、学者としても成功を収めているということ。

みうらじゅんは童貞に対して新しい意味付けを行ったが、実際みうらじゅんはヤリチンであるということ。

 

この問題は、坂口恭平にも宮台真司にも適応できる。

 

僕はイケダハヤトに「お前は年収150万円じゃないし、コンサルとか講演で稼いでるじゃん」と言いたい訳ではない。

「お前はホームレス生活してないじゃん」という批判に対して、坂口恭平は「大リーガーの記述をするのに、大リーガーである必要があるのか」と返した。

 

なるほどと思ったのだが、これは違う。

別に大リーガーの生活の取材をしても、ホームレスの一般的な取材をしてもこのような問いは出て来ない。

なぜ、このような問いが投げかけられるかといえば、ホームレスを一般的な考えとは違い賞賛すべきものと描いているからだ。

社会的強者が社会的弱者を賞賛する際に「お前はその生活してるのか」という問いがなされる。

本当にそんないいものであったら、お前はやってるんだろうな、実際やってないじゃんと思うのが世間的判断というものだ。

バイルハウスを提唱するのに、モバイルハウスにその人自身が住む必要はないと僕は思う。

しかし、その実態というものを覆い隠してはならないと思う。

例えば、鬱期であったら坂口恭平はモバイルハウスでゼロ円で家族で生活などできないだろう。

そういった病気や税金や保険料や彼女とのデート代といった身も蓋もない現実ということも同時に見なければならない。

それを込みにして、彼らの「パフォーマンス」を受け止めなければならない。

一般的な価値をひっくり返す言説を信じることに伴うリスクを知っておかなければなら

ない。

(中略)

彼らが行なっているのは、社会的「強者」からなされる「弱者」を「弱者」ではないとする正当化であり、慰撫だとも言えるだろう。

彼らの言説が新しい価値を訴えるものなのか、実際は単なる慰撫であるのかは自分で判断するほかないだろう。

 

 

 

新しい価値を訴えるものなのか、単なる慰撫なのか、そしてパフォーマンス、というのはうまい言い方だが、いずれにしてもそれらすべてに金銭が介在する。

 

「繁栄から没落へと向かう国では価値観が混乱する。今まで良いことだとされてきたことが、間違ったこととされる。将来が非常に不安なので、物事を考えるのが嫌になり、考えても分からないし、誰もヒントをくれないから考えるのを諦めてしまう」

 

村上龍氏の著書でそのような内容を読んだが、間違いなく今は価値観が混乱している時代なので、そこでは絶妙なタイミングで"生き方"を提唱するものが、するりと脳に滑り込んでくる。

そしてそれは金銭となり、誰かのポケットに滑り込み、その人間の価値観を豊かにする助けとなる。

 

そういう時代に生きている、ということをようやく言葉にして消化できた。