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感覚の種類、表現する言葉

死の恐怖と絶望を感じ、そこから生還した後の幸福感は凄い。
人並みに紆余曲折あったけど、僕の人生は平凡で、浪人生活や闘病生活、そして投獄経験もない。

だが昨年、命の危機を感じるほどの出来事に遭遇した。

その恐怖に襲われている間は、月並みな表現だが、人生がまるで自分のものではなくて、他の何かに委ねられている感覚に捕らわれ、ここまでの恐怖心は生まれて初めてだったから、頭が本当におかしくなりそうだった。

あの絶望感と恐怖心は、言葉にするのは難しい。

漫画カイジの、人間競馬のシーンで、電流を切れと叫ぶ中で、「ただ、ただ、生きたい」というセリフが確かあったが、あのイメージに近い、なにがなんでも生きたい、というような。

一生涯同じ仕事、変わらない人間関係と人生、何も建設的なことはせずに寝て終わるだけの休日。
そんなものでも十分、いや本来はそれ以上の幸せは無いというくらいに、それほどまでに切実に、これまでの生活に戻って欲しいと渇望した。

これは悪い夢で、寝て覚めたら夢だったことに喜びを感じて、人生をまた歩めるのだと。

だが、そうではなかった。
あくまでも現実で、そしてそれはあまりにも残酷な現実だった。


どんな出来事だったかを書くのは本題ではないから省くが、その恐怖と、恐怖の対象が去ったときの、あの幸福感といったら。

コカインを接種した瞬間に訪れる、セックスの数百倍の多幸感とか、雨に唄えばの主人公のようにウキウキと唄って踊るほどの幸福感とか、様々な表現があるが、とにかく、生に関する有り難みに気付いた時の、あの、胸が満たされる感覚。

これも言葉にするのは難しい。

本当は言葉にして、ずっとその感覚を抱き締めながら生きていたいけど、人間だから、とても残念なことに、それは忘れてしまう。

良く、「一瞬で幸せになる方法がある。それは何事にも感謝の気持ちを持つこと」と言われるが、あれは本当で、当たり前すぎてそんな大事なことも平常時はなかなか、理解できない。

非常時、大事が迫ったときにしか、気付けない。


人生とは今日一日のことである

今日は残りの人生の最初の一日


人生における良いフレーズは他にもたくさんある。

だが非常時には、人生を語る様々な言葉は無意味で、それだけでは意味を持たないし、全ての場面に通用するような万能性もない。


余命いくばくかの闘病患者に、「今日は残りの人生の最初の一日だよ、だから大事に生きよう」と言えば、それは患者の胸に響くだろうか。

あるいは、死刑執行直前の死刑囚に、神父が、「人生とは今日一日のことである。だから今日を大事に」と言えば、受刑者は納得して死刑台に向かえるだろうか。

絶対的な死を前にのみ、生を切実なまでに噛み締めることが出来るし、その感覚は言葉を超越する。


感覚の種類の多さに対して 、それを表現する言葉が少ない。
そう感じることが多い。

もっとも、それは僕に表現する力がないだけ、ということなのかも知れないが。