真夜中の街を歩く

ストレスが溜まったり、それによってイライラしたり、頭の中をある特定の思考が占有していて身動きが取れない時などは、僕は酒をやらないので、マラソンをする事によって気分を解消していた。

 

全力で走ることもあれば、力を抜いてジョギング程度のこともあるし、日によってそれは変えていて今や日課の一つくらいにはなっている。

 

だが、マラソンは、しんどい。

肉体的にも精神的にもしんどいし、好きではないので、さあこれから走るぞ、という1時間前くらいはあーいやだなーと、うだうだしていることも多い。

そして昨日は日中のうちに走ってしまい、早めに帰宅してゆったりしていると、ちょっとしたもめ事があった。

問題なく解決したが、僕の中で悶々とした気持ちとイライラが爆発し、それを他人にぶつけるわけにもいかないしもう走っているし、と、どうしていいのか分からずにいた。

 

友人とそのことについて話していると、「じゃあ、少し歩いたら?」と言ってきた。

歩く。

僕は歩くという事が本当に苦手で、走るのに歩くことは出来ないのかと思われがちがだが、使う筋肉が違うし歩くのは、とにかく、だるい。

マラソンは長距離でしんどいイメージがあるが、歩くということについては、更に長距離なイメージ。

歩く速度だからゴールまで物凄く時間がかかる、というような。

 

しかし、日中に走っていてさらに走る体力なんてないし、もう夜で他にエクササイズ的なものなんて考えられなかったから、
友人の提案に素直に従い、あてどもなく歩くことに。

 

結果としては、物凄く気分が落ち着いた。

 

住宅街を闊歩し、大通りに出て車が横を走る中歩き、酔っ払いが千鳥足でこちらに向かってくるところをかいくぐり、繁華街を抜け。
高架橋から眺める景色は最高で、最後は警察署の前を通って警察官に敬礼をして帰宅した。

 

夜歩くと、頭の中が整理されて大変良い、という事らしいが、理由は分からないけれどもそれはどうやら事実だ。

また、人間が歩く時の振動が、高ぶった感情や不安定な心に、安定感を与える、という事もあるらしいが、それも事実だ。

 

歩いている時に様々な考えが錯綜するし、しばらくは感情も落ち着かないが、15分くらい経つと、自分に変化がみられることに気付く。

 

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こうして考えてみると、自分が感情的になったり、イラついたり、心が安定しないときは、他人の事に、干渉しすぎたり、他人の行動や言動に「勝手に」敏感に反応したりするために起きていると分かる。

 

つまり他人が何らかの形で関与する。

 

一つの思考が頭を占有すると、なかなかそこから離れられなくて、他の事が手につかなくて大変なときがあって、これが行き過ぎると、ドラッグをやったり、酒に溺れたりするんだー、っていうのはなんとなくわかる。

 

職場に、カミングアウトはしていないゲイの人がいて、その人も、若いころは、頭の中を一つの思考が渦巻いてそれをずっと考え続けてワーッとなってしまってどうしていいのか分からなかったと、喫煙所で話していたが、センシティブな内容なのでそれ以上は僕も聞けなかったし実感出来なかったものの、今なら理解できる。

 

彼も自身なりの解決方法を、何か得たのだろう。
僕も今回、歩くことによって解決方法を一つ増やしたことになる。

 

人のことで悩まない、というのは難しい時代だから、そうなったときの対処法は考えておきたい。