五分後の事すら予想できない
五年後を見据えて努力するとか、五年後の目標を設定する。
あるいは、あなたは10年後どうなっていたか、そこから考えて今目標を...。
という話を聞くと、ウンザリする。
その通りになっていないことが殆どだし、実現されていないという事は
あなたの努力が足りない、みたいな論調も好かない。
そもそも自分以外の不確定要素が多すぎて、働いてた会社が実際に倒産してしまったり
病で長期入院をしてしまったり、そういった出来事を経験した僕としては、あまり意味がないなと感じることが強い。
「目標設定しなければ、何事もかなわない」
と熱く語る人もいれば、
「目標設定なんかしなくても、今を全力でやれば、道はひらける」
みたいな人もいて、どちらもそこそこ立ち位置は変わらないから、目標設定なんてそんなもんなんだと感じる。
出来る時は出来るし、出来ない時は出来ない。
そういう意味では、とっとと手を付ける、ということは大事なはず。
出来ない、向いてない、と気付くのも早いので次にいけるから。
トムクルーズ出演映画のコラテラルで、彼が演じる冷酷な暗殺者が、映画の中で
「大抵の人間は十年後も同じ仕事、同じ暮らし、その方が楽だから。
だが、誰が十分後を想像できる?」
と言っていたが、人生は本来そういうものだし、五分後の世界すら想像できない。
これだけ世の中のスピードが早いと、むしろ目標にしばられない柔軟さが大事だったりする。
とはいえ、一方で資格取得のための学習計画や、営業で一日10件顧客訪問、みたいなのは、まだ有効だったりもするわけで。
それにしても、目標とか、計画、という言葉を聞くと、どうしてこんなに疲れるのかな。
ねばならない、という要素が強いからだろうなあ。
日本中にあふれる、様々な“ねばならない”に縛られると苦しくなる。