給料は評価

給料。

サラリーマンでいる限りはこの呪縛から解き放たれることは無い。


大企業は給料が上がるのは遅いが、スタート時点で割と高い水準であることが多い。
ボーナスも手厚いし、よっぽどのことが無ければ殆ど下がらない。

一方で中小企業。
スタート時点から給与が低いことは当たり前だし、その上昇率に関しても、書面に「年一回」と記載があったとしても
経営者の鶴の一声で多くの事が決定されるから、不公平感が大企業よりは出やすい。


となると、給与の交渉は必然的に重要事項となるが。


toyokeizai.net


考えてみれば交渉といった類のことは殆ど経験することが無く、特に、僕のような地方在住の地域社会のきずなを大切にし
衝突を避けるような環境だと、金の話はかなり言いづらい。

言いづらくて仕方がないが、人生と生活がかかっているので黙ってもいられない。


表題の通り、給料=評価 なのだが、どのくらいの仕事をしたのでこれくらいの報酬を、という考え方はかなり難しい。
よく言われるのは、会社は慈善事業ではないため利益を上げないと給料もない、だから業績連動は当たり前、という風潮についてだが、
もともと給料というのは会社の売上とは関係なく、労働者の時間の切り売りや生産性への対価として支払われるべきものであり
売上高の上下は幹部クラスの役割なので、業績連動性にするのは本来は幹部クラスのみで良い。

そうはいっても、とにかく給料の交渉事はとにかくやりづらい。

中小企業であれば相手は社長、大企業であれば直属の上司や人事になり、相手によって話し方を変える必要があるが、いずれにしても切り出しづらい。


金は命よりも重い


そう考えている人間がいる中で、本来は労働力としての対価である給与はかなり、神経質になって考えられるべき点であるものの、中小企業等はその意識がかなり低いので
他人の給与がどうだろうと関係ない、組織側から「あなたの給料は労働に見合っていないのでもっと待遇を良くします」とは決して言わない。


大企業だと全社員の管理が必要だから自動的に給与が上がるが、中小企業だと交渉しないと上がらないことの方が断然多い。


そうなると、自分の実力やスキル、そして実績も大事になってくるが、同じくらい大事なのが交渉の際のコミュニケーションとなる。
ストレートに理論的に言うと、冷たい感じがして相手も感情的になるし、遠回しにいっても通じない、本当にムカつくくらいに通じない。


今の会社に感謝していることを伝えつつも、現労働内容と給与が見合っていないことを下手に出ながら上手に言っていくという、何とも下らない能力が求められるのだ。


雇われの哀しいところだ、給与の話をすると惨憺たる気分になる。

思考と過去の記憶の処理

何か物事を決断した後に失敗したと過去を振り返ったり、思い悩んでも仕方のない記憶をいつまでも引っ張り出して考えこんでしまったりと。

 

人生において大事なことはどんな状況であれ前進することではあるが、頭の中を負のエネルギーが占領してしまうと、それにしばられて身動きが出来なくなってしまう。

 

そうすると、せっかく良い変化を起こす機会に恵まれてもそのチャンスをいかせずに終わってしまうことにもつながる。

 

僕自身、最近またそのような心境になってしまいクヨクヨしていると、友人から以下のコマ漫画が 送られてきた。

 

otakei.otakuma.net

 

早速すぐにメモを取ったり、話を聞いてくれる友人に一方的に話したり、そういったことをやってみた。

大きな変化は特に感じないが、恐怖や悩みに縛られて身動きが取れない、という状況からは抜け出すことは出来た。

 

それだけでも大きな一歩を踏み出したことにはなるが、下手の考え休むに似たりということわざがあるように、下らない事を考える暇があったら、一つでも具体的な行動をとる、ということがどれだけ重要な意味を持つのか実感させられる。

 

kotowaza-allguide.com

 

行動することでしか人生には変化を興せないので、行動にストップをかけるような思考については、様々な手法で追い出したり別の発想を取り入れるようにしたりと、とにかく負のエネルギーに頭を占領されないように対策を取る必要がある。

 

「人間はその人が考えているようになる」とかなんとか様々な表現があるが、これはやはり正しいと言わざるを得ない。

365日記事を書き続けたところで

このブログを開始して365日経過した。

 

昨年開始する際に、

 

・1日1記事書く

・それを1年間続ける

 

とだけ決めごとをして、それ以外は縛りを設けずに、続けていく中で何かしらのビジネス(金儲け)に繋がればという意図も踏まえスタートした。

 

気付いた点で大きなものとしては、当たり前のことだが、テーマは絞った方が良い。

 

例えば、サラリーマン投資家、セミリタイアのブログ。

 

www.eyasu2008.com

 

そのための手法だったりサラリーマンからフリーになる際の流れやお金の得る方法等、極めて具体的かつ実用的な内容になっている。

 

 

以下は、マンション管理士として独立した社長の、その事業内容と時事ネタその他を記したブログ。

 

sumigokochinikki.livedoor.biz

 

今はマンションも長期修繕の問題なども浮上しており、マンション管理士の重要性も高まってきている。

そういった疑問点を独自の目線で交えながら解説し、それが会社としてのPR、また経営者としての自己紹介の役割を果たしていて、きちんとブログとして成り立っている。

 

タイの刑務所から出所した竹澤氏でさえ、「タイ刑務所に収監された元受刑者が帰国した...」といった、アンダーグラウンドな世界であるものの極めてシンプルなブログテーマに絞り、不定期に更新していてそれなりに読める。

 

 

 

それに比べて僕のブログは落書きだ、落書きに過ぎない。

 

 

ちなみに本ブログの最近のアクセス数は以下の通り。

 

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100いくことはあまりない、100ですらいかない。

 

一時、なぜか一日で1000アクセスになったことがあったが、はてなブログのPRO仕様にしていないので、詳しいアクセス解析が出来ずにどの記事に何の需要があって、どこからアクセスしてきたのかも特定できなかった。

 

 

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 分かる範囲の現時点でのアクセスは上記の様になり、記事を書きすぎているので、僕自身、「あれ、そんな記事書いたっけ」というものもあり、思い出せない。

 

そして、繰り返すようだがPRO使用でないこともありブログも非常に読みづらい。

そうでなくても、僕は、読み手側のために読みやすくしようという気持ちに欠けているので、それも恐らく低調な理由の一つだろう。

 

・ブログのテーマを絞る

・自己紹介をする(顔出しなど含め)

・読みやすくする

・PRO仕様にする

アクセス解析をする

 

ポイントを簡単に記すとこんなところだろうか。

 

あとはどこからきたのか分からないが読者が6ついていて、本当はその人たちの記事を読んで★とかをつけなければならないのだろうがそれも面倒でやっていない。

 

ツイッターとかはフォローしないとフォローしてくれないという日本特有の村社会的な

一面があるようなので、もしかするとブログも相手のものを読んで、きちんとコメントして、何やらかにやらして、と、そういうことを熱心に行う必要があるかもしれない。

 

とはいえ、爆発的に面白いブログで急激にアクセス数とファンの数を増やして一気に有名になるケースもあるので、ルールなんてあるようでない。

 

そういう意味ではあまり何も考えずに書いてもいいかもしれない。 

 

 

だが、ここまでつらつらと書いてきたが、僕のブログは満足のいくレベルには達していないので、上記の事は恐らく殆ど参考にならないだろう。

タイの日常が戻ったようだ

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タイ観光局のホームページがモノトーンから色鮮やかな見た目に変わっている。

 

www.thailandtravel.or.jp

 

 

思えば昨年このブログを開始して、1年間は何があっても毎日書き続けよう、そうして始めた当初、タイ国王の訃報があって、それから大分月日が流れたという事になる。

 

明日でこのブログも365日を数える。

今の時代、女性からすれば男も株価みたいなものだ

株価の上昇が止まらない、好景気とはいえないがこの上昇気流はいつまで続くのか。

久しく日本株には明るいニュースが無かったが、ここへきて2万円の水準が当たり前の光景となってきた。

昨年の、16,000円台が嘘のようだ、蜘蛛の子を散らすように売り逃げしていた人たちがまた戻ってきた。

 

先日、上司と飲んだときに独身女性が結婚相手の男性を選ぶ時の年収の話になり、その時に上司が言ったのは、「男ってのは株価みたいなもんで、上がるかどうかなんてその時点では分からないんだよな。そういう意味では金融機関に勤めている人間は分かり易いかもしれない」と話した。

 

どんな基準なのか分からないが、いつの頃からか女性は年収600万円以上の男性しか相手にしない、というような触れ込みが常識の世の中になってしまった。

 

 

diamond.jp

 

 

当然、そのくらいの年収を取る男性は世の中では少数派であり、地方へ行くと生活水準は下がる一面はあるものの、年収は300万だとか200万だとかが当たり前の世界になってくる。

 

大きく上がる男を探すのは、女性にとっては至難の業であり、医者や弁護士といった専門職かつ高収入の男性が集まる婚活パーティなどが活況なのは、簡単に言えば魚が多いところ、それも高級魚が集うところで釣りをしよう、という構図になっているだけの事。

 

そのため女性にとってもその競争は熾烈なわけであり、普通程度の容姿ではなかなか食い込むのは難しい。

 

それが主な理由か否かは正式な統計が無いので分からないが、体を売る女性が増えている傾向にあるのはいなめない。

 

agora-web.jp

 

 

売春は古くからある商売とされるが、その低年齢化には拍車がかかる。

 

blogos.com

 

 

以前にも書いたが、世の中の消費の多くは女性が動かしていて、例えば上記の例のように体を売って大金を得た女性が自分の体により一層磨きをかけたり、高価な買い物をしたり、実に元気に金を使う。
 

男性は女性がいないと生きていけない一面があると思うが、女性は、男性がいなくても生きていける。

 

金の稼ぎ方を覚えた女性は強くて自分一人で生きられるのであり、極論すれば金さえ稼げば子供だって何とかなる世の中だ。

 

女性からすれば男は確かに株価の値動きのような側面はあるものの、日本株のように多くの株価が上昇傾向にあるわけではなく、多くの男性の元気が無い、という見方が強まっているので、そうなると上がるか分からない株なんか買うよりも自分に投資した方が早い、と、そうなるのは当たり前のことなのだろう。

どの選択肢をとっても後悔はするのは当たり前なのかもしれない

人生は選択。


ある一定の年齢を境に岐路に立たされるという見方が強いが、実際には常に目の前にいくつもの選択肢があって、自分で選び取った場合もあれば、誰かに引っ張られたり何かに後押しされて進むケースもあるだろう。

 

どんな形にせよ、例えば誰かが言った、「この道にあなたは行きなさい」という助言に従う、という選択を取ったのは自分なわけだから結果がまずかったところで人の所為には出来ない。

 

その道を選択して後悔した人もいるんじゃないか、と、思って検索してみると気になる記事を見つけた。

 

ameblo.jp

 

 

www.c20.jp

 

 

僕は知らないが、この岡田嘉子という女優さんは家庭がありながら恋に落ちた男性とソ連に亡命し、その男性は銃殺されるというまさに劇的な人生を歩んだ人だが。

その女優さんが、どの道を選んだところで結局は後悔する、と語ったとされるもの。

 

自分に置き換えて考えてみても、確かに、今の道を選択せずに別の道を歩んでいたとしても、恐らく何かしらの後悔はしただろうし、その道に対して疑問を抱いていただろうとは思う。

 

考えに考えて決めたところでそれが最良の結果になるかどうかはすぐには分からないし、案外すぐに決めてしまった方が結果が良かったりすることだって往々にしてある。

 

人は選択しなかった道を振り返って後悔する

 

という一文をどこかで見かけたが、確かにそうなのかもしれない。

 

以前の職場の先輩でも、誰もが羨む栄転人事で異動していったものの、しばらくの間は仕事が大変だったようで、「本当にこれで(この選択をして)良かったんだろうか、って考える」と、ため息交じりに話していた。

 

今がうまくいっていないと、過去を振り返り自分の選択に疑念を抱いてしまう、それが人間という生き物なのかもしれない。

自分は最良の選択をしたんだ、と、100%自分を信じ切れる人というのは稀だ。

 

そういう意味では、信じるというのは、どんな仕事をこなすよりも、かなり難しいことなのかもしれない。

とはいえ、振り返ってばかりでも一向に前進することは出来ない。

 

人は来た道ばかりを気にするが、どこへ向かうかが大事だ

 

どこかで気持ちにケリをつけて、

 

後悔してもいい

 

そう腹をくくって始めて見つかることもあるだろう。

何かしらの糧が一つでもあれば人間は生きていけるようだ

ドキュメント72時間「京都 静かすぎる図書館」

 

www4.nhk.or.jp

 

「私設図書館」のホームページ

 

 

NHKの72時間で京都の私設図書館に集まる人々の模様が放送されていた。
いつものように様々な人がそれぞれの人生を生きている物語を淡々としたトーンで描いていく内容だった。

 

印象的だったのは二人の男性。

 

一人は60歳を越えていて(70過ぎていたかもしれない)、自身の父親インパール作戦ミャンマー(当時ビルマ)に滞在していたらしく、「戦争のことは殆ど聞かなかったけど、現地の美しさとか、自然の素晴らしさについては良く話していた」と語り、亡き父親の足跡をなぞるためにビルマ語を図書館で勉強しているとのこと。


現地に訪問したこともあるそうで、ビルマ語も随分と長い時間をかけて学んでいたことから、「新聞くらいは読める」と笑顔を見せた。

 

ビルマ

今の、ミャンマー を言葉から学び直し、その国の全体像を掴むことで、亡き父の面影を少しでも感じたい、という想いが伝わってきた。

 

 

もう一人は50代の男性で、日ごろは新聞配達で生計を立てているようだが、一日の空いた時間で高校の数学の勉強をしていると語る。

元々は非常勤講師として高校で数学の教鞭を取っていたものの契約が満了し、正規職員としての採用試験も年齢制限を過ぎてしまったために受験できない。

 

「(いつか戻った時のために)数学を勉強している、これがないと、人生で新聞配達だけになってしまうので、それは嫌だから」

 

と話す姿が印象的だった。

 


二人の男性の背後にあるものや、これまでどういう人生を歩んで来て今どういったライフスタイルを送っているのかその全てを把握することは出来ないが、身なりからして裕福でないことは想像がついたし、新聞配達の男性にいたっては、一日の殆どの時間を配達に取られ、それ以外の時間に数学を勉強しているという。


その時に僕が思ったのは、

 

人間は何が無くても、どんなことでも良いから "糧" が一つでもあれば、自身の人生を全うしていくことができるのだ

 

ということ。

 

ビルマ語を勉強する男性は亡き父親の面影を追い続けながらも、今はミャンマーとなった同国について学び、それがやはり彼の糧になっているようだったし、新聞配達の男性についてはいわずもがなだ。


これが人によっては家族だったり、子供だったり、お金や仕事、社会的ステータス等とそれはまさに十人十色なわけで。

 

タイで麻薬密輸をして死刑判決を受けた竹澤氏。

 

blogs.yahoo.co.jp

 

獄中生活時に肉親と死別したり別れたりし、まさに天涯孤独の身となった竹澤氏は、奇跡的な出所の機会に恵まれ、生きて日本の地に戻ることが出来た。

 

そんな竹澤氏も今は、 "東南アジアの土へ還る" べく、日本脱出の最終目標を見据え、諦めずに人生を立て直しているようだ。

 

"糧"

 

それが無いと生きていけない訳ではないものの、それが無いとずいぶん人生は味気なく、毎日が空虚で生きている意味も実感も感じることさえ難しくなる。

 

"糧"

 

たった一つでもそれがあれば、例え人生が長く険しい道のりだったとしても、人はその道を歩んでいける。