人と比べる生き方をしていると幾つになっても人生終わってる感がぬぐえない
僕は30を過ぎているが、20代半ばくらいに就職に失敗して挫折を経験し、そこから立ち直るのに時間もかかったし、常に、同年代に "負けている" という気持ちがどこかにあって、それが精神を疲弊させていた。
そして30代半ばになった今でも、やはり自分以外の他者と比較して落ち込むことが多い。
人間というのは他者との相対評価で自分という人間を計り、それでしか幸福感を得られない生き物だから仕方のない話なのだろうが、いつも、常に、どこで何をしていても、誰かと競争させられているような気持ちになり、そして他者に何かは負けているのだから(当たり前だが)その事実が精神を蝕んでいく。
本当は、そういった世界から降りたい。
異なる世界観の中で生きたい。
劣等感や他人と比べること、そして心理学についての本を手当たり次第に読んだものの、「自分は自分、他人は他人」と100%考えられない。
これはとどのつまり、自分を信じられないことにもある程度通じている訳であり、自分で自分を信じられないのなら人生はひたすら苦しいものになるばかりだ。
・うまくいきそうな分野を選び、うまくいく方法を取る
・勝てそうな場所、土俵で勝負する
・自分が今持っているものに目を向ける
・向いていそうな分野へ進む
耳にタコができるくらいにどれも聞いたことのあるものばかりだが、シンプルなこと程やはり的を得ていて、これはやはり真剣に考えなければならないことだ。
本来人間はひとりひとり違うのだから、いちいち比べても仕方がない
というのは正論と分かっていても、なかなか受け容れられない。
他人と比較するから良い結果が出ることも確かにあるので一概には言えないが、やはり、自分の生きる道と楽に歩ける場所を探してそこで生きていく選択をした方が人生は楽しいはず。
僕のような凡人でさえ比較で悩むのだから、ほんのひとにぎりのエリートの人が何らかの競争に敗れた時の心境といったら目も当てられないものなのだろう。
苦しみに苦しみぬいて、死を選んでしまう事も正直なところ理解できる。
"人生終わってしまった" といった類のワードを検索すると、同じことを考えている人間が大勢いるようでその手の書き込みはたくさん見つかる。
思わず笑ってしまうような下らない内容で、もちろんツリもあるかもしれないが、人の事だと「なんだそんなことか」と思えても、これが自分のこととなると、それこそ人生そのものと、生き死にを考えるくらいの深刻な問題ととらえてしまう。
いずれにしろ、他者と比較するこの考え方は自分の思考が生み出しているのであり、それを捨てなければ年齢重ねても人生終わってる感が拭えずに大変なことになってしまうと思う。
それ何か関係あるんですか?
時代はどんどん変わり、多様性が認められ、女性の社会進出も徐々に進み、女性が働いて男性が家庭に入ることが一つの常識になりつつある現代。
でも、一般的にはまだ男性が家族を養うという傾向が日本では強い。
したがって、経済力の無い男性は結婚すら困難である。
「年収200万程度しかない男性は結婚が難しい」
そういった記述があちこちにみられるし、実際、そんな男には女性もついてこないのかもしれない。
だがこれが地方にいくとそうでもなくなる。
夫が働かずに、昼間っからパチンコといったギャンブルやスマートフォンのゲームに興じ、奥さんが昼も夜も仕事掛け持ちで働く、といった夫婦を割とよく見かける。
世界の貧しい国でも似たような傾向が見られ、例えばジャマイカの男は働かないくせに家庭を持っていて、それなのにシングルのふりして平気で女性を口説くらしい。
僕の周りには働かない男はまだいないが、昔の同僚に、なかなかだらしがない男がいた。
彼の名前をここでは珍カスとしよう。
珍カスは僕よりも年齢は4つほど上で、30過ぎて年上の女性と結婚し、子をもうけ、奥さん側の両親が保有するアパートの一室を無償で借り受け、生活していた。
奥さんは働いていたのか分からないが、珍カスは僕と同様に契約社員として勤め、なぜか我々は気が合ったために定期的に飲んだりしていた。
とある日、合コンを開催する事になり、男性側の頭数が足りなかったため僕は珍カスが家庭持ちと知りながらも誘う事にした。
「行く」
二つ返事で快諾した珍カスは合コン当日、颯爽と店の前に現れ、自信たっぷりに、財布の中身の福沢諭吉を数枚僕に見せてくれた。
「アコムしてきたんだよ」
と、ニコッと笑い、それはつまり、消費者金融から金を借りてきたということなのだが、なぜそんなにお金を持ってきたかというと、女性をお持ち帰りするつもりできたらしい。
僕は思わず笑ってしまったが、合コンそのものはまあまあ盛り上がった。
そして定番の連絡先交換。
その当時はLINEがまだメジャーでなく、E-MAILアドレス交換をしていて、そんな中なぜか、珍カスが女性との連絡先交換を渋るのだ。
我慢できずに合コンに参加した一人の女性が珍カスの携帯を取り上げてメールアドレスを確認すると、
「〇〇〇(奥さんの名前)dakeoaisu@dokomo.ne~」
とあった。
これには一同大爆笑で、珍カスは浮気をする以前に、全く奥さんから信用されていなかったのだ。
極めつけは、後日分かったのだが、合コンの日はどうやら珍カスの子供の誕生日だったらしい。
忘れていたようだ。
「なぜ誘ったんだ」
と、僕はどやされたが、そもそも忘れた方が悪いはずで、あまりのだらしなさに呆れて笑うしかなかった。
そんなこともあった後、珍カスと僕の上司と三人で飯を食っていたときに、その上司が珍カスに対して
「お前も子供がいるのなら、そろそろしっかりして、契約社員じゃなくて正社員目指して働いた方がいいな」
と、やや説教じみた内容で珍カスを諭したところ、
「それ、何か関係あるんですか?」
と珍カスはそう応え、その一言で上司を黙らせてしまった。
そう、彼には何も関係ないのだ、子供は子供、家族は家族。
そして、自分は自分なのだ。
無責任なことこの上ないという見方も出来るが、別の見方をすれば、ここまで自分の本心に従って生きている人間もなかなかいない。
人生において、何か別の道を選択する際に、「家族がいるから」「子供がまだ小さいから」ということが理由の一つになったりするが、同じ状況でも自分の可能性に賭け、新しい道を歩む人間もいる。
勿論、家族を養わなければならない責任があるだろうしそれは大事なことだから、どちらが良いとか悪いとか、家族の無い僕にはとやかくは言えない。
合コンのために消費者金融から金を借り、奥さん以外の女性に肉体関係を求め、子供の誕生日まで忘れてしまうような、だらしない男代表みたいな珍カス。
だが彼は常に今を愉しく生きていたし、また決して、子供を愛していない訳では無かった。
もしかすると、自分の人生を選択する時に、家族や子供は、その選択を "しない" 理由にはなり得ないのかもしれない。
人のせいにするな -アウトレイジ最終章-
アウトレイジ最終章を観てきた。
映画界含め、どの分野でも既得権益でガッチリ固められていて、新参者には厳しい。
・努力を努力ではなく当たり前のことをやる
・30代や40代は勝ち負けの差が出てくる
・人のせいにするな
たけし節がいつものように炸裂し、上記の記事はいつものような映画の宣伝というところ。
とはいえ、アウトレイジは第一作目から鑑賞していて、やはり単純に面白いし、こうしたアウトサイダーの世界は男の憧れでもあるから、どうしても観てしまう。
「ヤクザの世界といっても、拳銃と暴力を除いてしまえば一般実社会の話になるんだよね。
(中略)
しょせんヤクザも一般実社会と同じなんだってね」
この視点は、ビートたけし監督に言われるまで気付かなかった。
だが、一作目と二作目を鑑賞してきた感想としては、確かに僕が属するサラリーマン世界にも共通しているところがある、むしろ全く同じ。
自分の意思とは無関係に事が進んだり、自身の身の振り方まで勝手に決まってしまったりと、理不尽なことは案外普通に起こる。
命までは取られないものの、サラリーマンとしての生命線を切られることもしばしばだ。
だが現在は、サラリーマンでも副業が比較的認められる傾向にあるようなので、目を付けられない程度に、かつ目立たぬようにして、図太く生き残ることは出来る。
サラリーマンの世界で過ごしていると、自分の価値観とは相いれないものをごり押ししてくる会社や上司との葛藤に悩まされるのは付き物だが、よく皆我慢しているなーといつも思う。
数ヵ月前に本社から専務が拠点訪問で訪れたとき、僕を含む社員を前にして、その専務は自らのことや息子の話を面白おかしく話してくれた。
恐らく緊張を解くためだ。
「大学卒業して就職したばかりの息子が、 "もう会社行きたくない" 言いよんねん。そんなん俺かていきたないわ」
そう頭をかきながら初老の役員は話していて、皆は笑っていたが、僕はちっとも笑えなかった。
雇われとはいえ、役員が出社したくないような会社で、くそつまらない仕事をこなしている僕を含めた多くの人間はなんと哀しいことか。
それは、やくざ世界で言えば僕は鉄砲玉であり、これまではたまたま生き残ってきたはいいけれど、ここから先も生き残れるかどうかは分からない。
やくざの世界は分からないが、サラリーマンで幹部や役員クラスへ道が開かれる可能性は、本当にごくわずかだ。
優秀さだけでは足りない。
そこへいくと、アウトレイジのシーンでもあるようにやくざは銃を使って時には下剋上だって起り得る。
サラリーマンが上司に刃を向けると終わりだ。
話が飛躍したが、やくざ映画ではあるものの、自身が日頃生活しているサラリーマン社会の縮図、いや、日本の縮図だと思ってこの映画を観れば、また違った視点で楽しめる。
アウトレイジ最終章は面白かった。
退職願い後の上司の引き留めは、元カレの懇願と似ているらしい
退職の意思を表明した後、上司の更に上司から電話がかかってきた。
非常に、熱のある声とトーンで僕を引き留めにかかり、どのくらい話したのか分からない。
僕は情にもろいタイプで、人から頼まれれば嫌とは言えずに自分を押し殺して我慢してしまうから、そうした性格を見抜かれているのか、情に訴えられてたまらない思いをした。
正直なところ、決意が揺らぎそうにもなったくらいだ。
知人女性が勤め先を退職する際も大変だったらしい。
彼女は僕とは違って高学歴、語学も数か国語を自在に操り、会社に残っても、残らなくても、まだ若くキャリアも十分に築ける。
だから会社としても将来のホープといった意味合いもあり、かなりの引き留めにあったらしい。
-何が不満だったの
-君が会社にとってどんなに大事な人間か分かっているのか
-これからはきっとよくするから
熱のこもった言葉でやはり引き留めにあったようだが、その間その女性は元カレのことをずっと思い出していたという。
「(僕の)何が悪かったの?」
「悪いところは直すから」
「君の事を大事にするから」
男は釣った魚に餌をやらず、別れるとなった時に大事さに気付いて熱心に引き留めるというが、一方で女性は既に気持ちが冷めているので、もう、当時のような熱いι(´Д`υ)アツィー気持ちにはなれない。
このギャップが男女問題のドロドロを引き起こしたりもするわけだが、こうして考えてみると、上司からの引き留めと、彼女から別れを告げられた元カレの反応は確かに酷似している。
彼女の上司が熱心にかける言葉と、元カレの言葉が殆ど同じだ。
だが残念なことに、これまで変わらなかったのだから、これからも変わらないことは間違いないとみていい。
彼女の決断は正しかったし、大抵は元カレよりもいい男が出てくるものだ。
とはいえ、僕は自身が退職する際に上司がなぜあそこまで、自分のような人間を熱心に引き留めにかかるのか、かなり疑問だったところもあり、考えてみるに幾つか思い当たるところがあった。
・上司自身の保身のため(マネジメント能力を問われる、等)
・メンツのため
・労働基準監督署にかけこまれることを防ぐため
また、いまの日本では働き方改革とブラック企業への対処がかなり進んでおり、労働者にとっては本当に良い状況になっているが、一方では、全く働かずに無駄飯だけをはんでいるような従業員を放置してしまっていることも事実。
優秀な人材はいつの時代も引く手あまたである反面、いてほしくない、要らない社員が辞めてしまい、その要らない社員が労働基準監督署にかけこんでしまうのも困るのだろう。
元カレが、彼女に復縁を迫る理由としては、以下が考えられる。
・今の女クラスと付き合える見込みが低い(と思っている)
・セックスの相手がいなくなる
・自分の気持ちを満たす存在がなくなる
まあ、こんなところだろうか。
他にもたくさん理由があるのかもしれないが、会社(上司)も元カレも自分の気持ちを満たすこと、私欲がまず優先で、自分が困らないためにその行動をとっている、という点は共通している。
僕が会社にとってどうだったのかは分からないが、今回の経験で元カレに復縁を懇願される女性の気持ちが少しは分かった。ι(´Д`υ)アツィー
会社を辞めるとき
今日は僕は休みだったのだが、会社の上司に退職を申し出てきた。
昨年も退職したいと話したところ留意され、それで、今年の今の今までズルズルと働いてきた。
話しているあいだ、上司は引き留めるでもなく淡々とどうしたら良いのか、思案している様子だったが、それは僕の事を案じている訳ではなく、この退職のことを、自分の上司にどう告げるのかを考えていた。
実際に言葉に出してそう話していたし、それはとどのつまり、上司自身の立場だったり、部下の管理能力を問われれるといった、そんなことをもしかしたら考えていたのかもしれないが、当たり前の話でそれは自然の事。
しかも今回は異動するタイミングで話したので、いわゆるバッドタイミングというものらしい。(世間的には分からないが)
だが正直なところ、最も適したタイミングで辞めることなど出来ない。
いつも何かの理由があって、「〇〇が済んでから」とか「もう少し様子を見て」だとか、常に辞めるタイミングが今ではない、ということを示すためのエビデンスを幾らでもある。
異動を発表する前に辞意を表明して欲しかった、と、ポツリと言われたが、僕としては希望する異動が叶うのかどうかそれは正に人生を左右するくらいの気持ちで待っていたので、色んな人に迷惑をかけたろうであろうことは胸が痛いがこれまで、我慢に我慢を重ねて耐え忍んだ日々を思えば、それは許してほしい、という気持ちが強い。
まだ実際に異動はしていないので、上司のメンツを多少は潰すことになるのかもしれないが、それでも僕という人間には今、給与以外にお金が発生していないので、最低限のマナーは守ったつもりだ。
人間が一人異動するだけで、物凄いお金がかかるのだ、それは表ざたにされていないだけ。
とはいえ、辞めていく人間がそこまでのことを気にする必要は本来ないと、やはり思う。
「あの人が悲しむから」とか「会社が困る」とか「迷惑をかける」というのは、確かに綺麗な言葉ではあるが、それを理由に自分の人生の舵を大きく、それも別の方向に切らない理由にはなりえないし、またそれが理由で動けない、というのもいけない。
会社を辞める時は、本当に色々な思いがないまぜになって、どれが自分の本心なのか分からなかったりするし、「これでほんとうにいいのだろうか」と、自分を疑いだしたり、迷いや恐怖心も芽生えてきてとにかく精神的な負担が凄い。
大した決断ではないのかもしれないが、僕のような平凡な人間にしてみれば年齢を考えてもやはり大きなことであり、非常に迷った。
だが一方で会社は、僕がいなくても回る、今もこれからも。
もっと評価されても良い映画、ウォー・ドッグス-War Dogs-
監督は、「ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」で一躍有名となった、トッド・フィリップス氏だ。
イラク戦争中の米国。
さえない日々を送るデヴィッドは旧友の武器会社を手伝うことになり、大手企業が狙わない知名度の低い公募入札に参加して米軍相手の契約を取りつけていく。
やがて、彼らはアフガニスタン軍に武器を調達する3億ドルの大口取り引きをものにするが、トラブルが続出し裏社会の者から命を狙われる。
アメリカという国は、ある一定の期間で小さな戦争をしないと経済が立ち行かない、それは誰もが知っていることの一つ。
政府はその兵器調達の手段として、連邦政府の入札サイトであるFBO( FEDERAL BUSINESS OPPORTUNITIES)を活用。
Home - Federal Business Opportunities: Home
これまでは大手軍事企業しか入札を認められていなかったが、政府による特別扱いが問題視され、中小企業の入札も当時から認められるようになる。
この映画の主人公である、デイビッド・パッカウズ(David Packouz)が、友人のエフレム・ディベロリ(Efraim Diveroili)が経営しているAEY社で、連邦政府に兵器を納入し、巨額の資金を得ることに成功し、のちに「アフガン取引」と現地では称されるくらいの事件に発展した、実話を基にしたのが本作。
詳細は以下のサイトを見た方が掴みやすい↓↓↓
資金もコネも、経験も殆どない20代前半の若者が、連邦政府相手に数億ドル規模の武器取引を行う様子は単純に高揚感を持って鑑賞できるし、トッド・フィリップス監督独特のブラックユーモアがあちこちにちりばめられていて、なおかつ風刺的な意味合いも含まれていることから、単なる三流コメディ映画ではもちろんない。
日本では劇場公開されおらず、特設サイトもなく特にあらすじも殆ど記述されていないが、エフレム・ディベロリ(Efraim Diveroili)演じる、ジョナ・ヒルの悪役が見事。
ツイッターもやっているようだ、更新されていないが。
金儲けは行間から生まれる
決して人格としては優れていないエフレム・ディベロリだが、一方では押しの強さや自信たっぷりなふるまい等は、どこか魅力的で嫌いになれない。
若さが故の勢いと恐怖心の無さが痛快で、運も味方し巨額の資金を獲得していく姿は爽快であり、金儲けの真髄にも迫るものがある。
日本でも一時期、路上駐車が問題となり、法体制が変わるまでに至ったが、その裏でコインパーキングビジネスを着々と進めていた人たちがいて、乏しい資金からまとまったお金を手に入れた、という、ちょっとしたサクセスストーリーがあった。
法が変わると金儲けが必ず生まれる、という点を描き、その意味ではビジネスとしても優れた作品だ。
この映画が日本でさほど観られていないのと宣伝されていないのが不思議でならない。
タイトルにも書いたようにもっと評価されても良い内容だ。
決められない時はコイントスで人生を決めるのも悪くない
そうは言っても、人はいつでも迷うものだ。
あれか、これか......。
こうやったら、駄目になっちゃうんじゃないか。
俗に人生の十字路というが、それは正確ではない。
人間は本当は、いつでも二つの道の分岐点に立たされているのだ。
この道をとるべきか、あの方か。
どちらかを選ばなけれなならない。
迷う。
(中略)
しかし、よく考えてみてほしい。
あれかこれかという場合に、なぜ迷うのか。
こうやったら食えないかもしれない、もう一方の道は誰でもが選ぶ、ちゃんと食えることが保証された安全な道だ。
それなら迷うことはないはずだ。
もし食うことだけを考えるなら。
そうじゃないから迷うんだ。
危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。
ほんとはそっちに進みたいんだ。
だからそっちに進むべきだ。
-岡本太郎-
人生、迷うことばかりですねー。
例えば僕は大学卒業時の段階で、自らの進路において公務員は選択肢から捨てていた。
なれる程の学力が無かったことは確かだが、それ以上に、一度なってしまったらそれがどんなにつまらなくても辞められない自分の弱さを知ってもいたからだ。
地方公務員の事務職として数十年働き、酒ばかり飲んで毎日暮らしていた近所のおっさんが定年退職したが、今ならそのおっさんがなぜ毎日酒を飲んでいたのか理解できる。きっとそんな人生が嫌だったのだろう。
公務員のような安定した職を辞せない人間は割と多いようで、その悩みは計り知れない。
同じ境遇になったことは無いので理解は出来ないが、気の毒だ。
だが僕は、公務員をやめて他の道に歩んだ人間を三人ほど知っている。
一人目は消防士として就職するも書道の道を捨てきれず、奥さんと子供を抱えながらも書道の道へ転じた。
その人は今や書道教室を幾つも経営する事業者としての顔を持ち、業界では有名だ。
二人目は、警察官を退職して中小企業に就職し、今は自身で会社を立ち上げ、経営も順調のようだ。
三人目は、教員の道を捨て、やはり中小企業へ転職。
そしてその会社の役員まで上り詰めた。
もちろん、それ以外の失敗例もあるのかもしれない。
だが、まだ失敗例には出会ったことがなく、上記の三人は全員、いい顔をしていた。
自分の選択に満足しているのだろう。
何かやりたいことがあったり、頭の中が、その事で埋め尽くされたりするのならば、もうやるしかない。
誰かをがっかりさせる結果になるのかもしれないが、それをやらないことによって、自分自身をがっかりさせるよりはずっといいはず。
そうはいっても、簡単じゃない、そんな安易には決められないんだ、という人があるかもしれない。
その通りだ、自分自身にブレーキをかける理由は幾らでもある、いつでもある。
でも、やりたいことが頭から離れない。
そういう時は最も苦しい時で、僕も経験したが、どちらにいくのか決めるよりも、決められない時間の方がきつい。
精神がズタズタになるし、寝られないこともある。
極限まで悩んで決められないのなら、コイントスで人生を決めるのもありなのかな、と僕は思う。
あまり人生を重く受け止めると何もできなくなるし、将来の事ばかり考えると身動きが取れなくなってしまう。
だから、迷っていることを、コインの表裏にして、あとは運を天に任せてしまうのだ。
表が出てほっとする自分がいるかもしれないし、裏が出てがっくりする自分に気付くかもしれない。
コインの結果に従わないこともあるかもしれないが、そのくらいの気持ちで道を決めるのはきっと悪くない。
少なくともただ悩んでいる時よりは一歩前進する。
一夜にして携帯電話の販売員から世界的オペラ歌手となった、あのポールポッツも
コイントスで人生を決める場面があったらしい、本人に会って直接聞いた訳ではないので分かりませんが。
近頃はコイントスのアプリや、「あなたの迷いをズバッと解決」なるものもある。
アプリに人生を委ねるのもなあ、とは思わないでもないが、無駄な時間を浪費するよりはずっと建設的なのだろう。
だがはたからみて絵になるのは、映画のシーンで描かれるようにコイントスで人生の大事を決する場面。
一人、部屋の中で、「あれか、これか」を考えながら、アプリをいじる姿は、やはりちょっと想像できない。